至高のヴィオラソナタ ~ショスタコ万華鏡(1)

 いきなり素っ気ないピッツィカートの音型でそれは始まった。一見単純この上ないのになぜか奇妙な浮遊感があり、程なくピアノの不思議な和音が加わることによってその浮遊感はますます際立っていく。どこに向かうのか分からないまま心の根っこから引き釣りこまれて、それまでまったく予想だにしなかった世界に連れていかれるような感覚があった。そのうちヴィオラがはるか上方からトレモロで次第に下降していくのを聴くうちに、なんか自分がどこにいるかようやく分かったような気がした。あ、これは"この世"から離れ"彼岸"に向かう端境をたゆたっているんだ、と――。

 この曲、ショスタコーヴィチヴィオラソナタを初めて聴いたときの摩訶不思議な感触は今も心のどこかに残っている。中学時代、俄然クラシック音楽にとりつかれた僕は、当時の音楽愛好家の常道としてFMラジオにかじりつき、番組表と首っ引きで目につく曲を手当たり次第にエアチェックしていってむさぼるように知っている曲を増やしていった。そうしていっぱしのクラオタ(当時はそんな言葉なかったが)ができあがっていったのだが、そうする内に、全く初めて聴く曲に対してまさしく雷に打たれたような衝撃を受けてラジオの前で固まってしまったことが中学時代に3度ほどあった。そのいずれも鮮烈に憶えているが、その1曲目はバッハの「マタイ受難曲」、2曲目はブルックナー交響曲第9番、そしてもう1曲が、このショスタコーヴィチヴィオラソナタだった。後の2曲は多くの人が認める著名な名曲であり、熱く語る人には事欠かないだろうが、このヴィオラソナタに関しては、知っている人は現在でもショスタコーヴィチをかなり聴き込んでいる人に限られ、語られることは少ない。

 しかも僕がこの衝撃を受けたのは1970年代末。当時の日本ではショスタコーヴィチといえば交響曲第5番と「森の歌」がかろうじて知られているぐらいで演奏される機会もほとんどなかった。確か僕もそれまで交響曲第5番をかろうじて耳にしたぐらいで、それも冒頭の弦の激しさにちょっと恐れをなして最後まで聴き通せなかったぐらいだ。ましてヴィオラソナタの作曲は1975年、なんとできてからまだ数年しか経っていない新曲だった。
 そんな状態の僕がいきなりこれほどの衝撃を受けてしまったのだ。とにかくそれまで聴いていたクラシック音楽とは明らかに違う音楽世界がそこにはあった。なんだかよくわからないがその時録音したテープをとりつかれたようにに何度も聴きまくり、それは心の奥深くにしっかり刻み込まれていった。第1楽章は冒頭に書いたように現実世界と彼岸の間("三途の川"というとちょっとニュアンスが違うのだが)を漂っているように続く。第2楽章は一転して諧謔に満ちたスケルツォ。非常に機知に富んでいるのだが、なんだか滑稽な仮面をかぶって踊っていて本当の顔は一切見せないかのような腑に落ちなさをどこかに残している。(大分立ってからこの曲が未完に終わったオペラ「賭博師」から改変されたものであることを知り、しかもどちらもまるでこっちがオリジナルだとしか思えないような板につきっぷりなので別の意味で驚いた) そして第3楽章。全体の半分を占めるようなアダージョだが、ここでは冒頭から静かな歌が感じられ、それは次第に力を増し、抑えても抑えきれない感情の昂ぶりが遂には耐えがたい哀惜の歌を絶唱するかのようだった。しかし徐々にそれは鎮まりを見せ、不思議なぐらいの充足感を湛えながらいつまでも、いつまでも名残惜しそうに(最後の1音はいつ終わったのかわからないぐらいに)消えていく。

 聴いているうちに、なんとなくこれは「お別れの曲だ」と思った。ところがこの曲がショスタコーヴィチの最後の作品であり、なんと亡くなる3日前に完成した!(※)と聞いた時には心底驚いた。本当にこの世にお別れを言うために書かれたのか、と。
 ※当初はそういう話がまことしなやかに言われていたが、実際には死の約1ヶ月前に完成されたことが分かっている。ただしこれが彼の最後の作品であることには間違いはない。

 この曲をきっかけに僕はショスタコーヴィチの作品をとりつかれたように聴き始め、当初は聴き通せなかった交響曲第5番も何度も何度も繰り返し聴くようになり、次第にその魅力の虜になっていった。とはいえ当時日本のショスタコーヴィチ受容はまだまだ遅れており、聴く機会はほんと限られていた。FMでもかかることはまずなかったので、限られた資金で中古レコード屋をまわって集めたりしたが、当時は交響曲全集も弦楽四重奏曲全集も1種類づつしかなく、収集は遅々として進まない。結局交響曲全15曲をすべて聴けたのは大学を卒業する頃だった。この頃になってようやく「マーラーの次はショスタコーヴィチだ」と各レコード会社が注目し始めて、一気に発売点数が増えたのを憶えている。

 そうしていっぱしのショスタコマニアができあがっていたのだが、そのきっかけがヴィオラソナタだというのが自分にとってはひとつの財産になったと思う。初期にも中期にもそれぞれすばらしい作品が目白押しなのはもちろんだが、ショスタコーヴィチのもっともかけがえのない、至高の作品は、晩年の数年間、特に室内楽にあることに最初から目が行くことになったのだから。

 その生涯を追うと、なんだかショスタコーヴィチの作品はこのヴィオラソナタに向けて収斂していくようにすら思える。20歳の時に発表した交響曲第1番でいきなり世界的な成功を収めて、若き天才作曲家として広く世に認知されたショスタコーヴィチは、その後スターリン政権下において、有名だからこその苦難を長年にわたり背負い続けることになり、おそらくその多大なるストレス(とそれに伴う飲酒・喫煙)もあったのだろう、50歳を過ぎた頃から手足の麻痺に悩まされるようになった。その麻痺は進行性であり、晩年には生活にも支障が出るほどになっていた。(彼が長年にわたって苦しむことになったのがいったいなんの病気だったのか資料がなくて長いこと分からなかったのだが、その子供(ガリーナ・マキシム)の証言によると、どうやら成人してからポリオに罹ったらしい) 最後の頃には腕の麻痺で五線紙を書くことすらおぼつかなくなるほどだったが、それでも必死に指を動かしながら作曲するのをやめようとしなかった。
 しかしこの麻痺は彼の作風にも変化をもたらした。元々彼の作品は饒舌と言っていいほど音が多い傾向があったが、指が動かなくなるにつれてあふれ出る楽想を書き飛ばすことができなくなり、徐々に音を節約し、必要最低限な音のみで構成されるものに変わっていった。それとともに時折冗長になる悪癖もなくなり、まさしく余計なものがすべて削ぎ落とされ、研ぎ澄まされたような音楽に変わっていったのだ。
 ヴィオラソナタ作曲時にはまさしくひとつの音譜を書くにも多大な労力がいったらしい。自筆譜には、最初に書いた音譜をなぞるように書き直した跡があちこちにあるという。ままならない指を必死に動かしながら、それでも非常な集中力を持って魂を削るように書き記した音楽、それがこのヴィオラソナタだった。

 そのようにして、まさしく「白鳥の歌」と呼ぶにふさわしく完成したこの作品、ショスタコーヴィチ全作品の中でも特別な存在になったと思う。膨大なショスタコ作品の中でも「どれかひとつを」と訊かれれば、自分は間違いなくこのヴィオラソナタを選ぶだろう。実のところ、自分の葬式の時にはぜひともこの曲の第3楽章を流して欲しい、そう考えている。それほどまでに、この世のお別れにこれほどふさわしい曲は他に浮かばないのだ。

十字架上の最後の七つの言葉

 自分はキリスト教徒ではない。というかイエス キリストの生涯を鑑みても、いわゆるひとつの、世界中に流布する神話と同等の価値しかどうしても見いだせないのだ。この中で語られるイエスが起こした数々の"奇蹟"、これらにしても「実際はどういう事柄だったものが、こういう伝説として伝えられたのだろうか」なんて事を穿って考えてしまうのだ。そんなだから「本当はイエスはどういう人だったのか」ということをSF的に考察して新しい光を当てた「百億の昼と千億の夜」(光瀬 龍/萩尾望都)や「砂漠の女王」(星野宣之)に出てくるイエス像の方が逆に興味津々となってしまう。ちゃんと聖書を読もうと挑戦したこともあったが、冒頭1ページ目の"あれ"のおかげで挫折してしまったきりになっている。
 まぁキリスト教そのものはともかく、一方で聖書に出てくる有名な言葉にしても、ふと「実はこれってすごく深い意味なんじゃないか?」とハッとすることもあって、イエスの言葉も、例えば儒教における孔子の言葉のように、宗教的なことは置いといてひとりの卓越した賢人の言葉として考えれば、また違った価値が出てくるのではないか、という気がしている。
(「求めよ、さらば与えられん」「右の頬を打たれたら左の頬もさしだしなさい」「この中で自分に罪がないと思うものだけが石を投げつけなさい」「神を試してはいけない」 これらの言葉の意味を本当に真摯に受け止めて考えると――すさまじいまでに厳しい言葉のように思われる)

 とはいえこのキリスト教が人類の遺産と言うべき数々の音楽作品を生み出す原動力になったことには感謝の言葉しかない。受難曲やミサ曲、レクイエムといった教会音楽からブルックナー交響曲に至るまで、キリスト教がなかったらおそらく成立することなかっただろうと考えるとぞっとする。自分が信じる信じないに関わらず、これだけは間違いのない事実だ。
 今回はそれらキリスト教が生み出した音楽の中で、ちょっとユニークな存在のものを取り上げたい。マイブーム、というか、かなり前からことあるごとに繰り返し、時にはヘヴィローテーションで聴き続けてしまう、自分にとってそういう存在なのが、ハイドンの「十字架上の最後の七つの言葉」だ。

 元々ハイドンの作品自体は、クラシックを聴きはじめた中学の頃から40余年(^^;、常に好奇心の上位を占めてきたのだけども、この曲は彼の作品全体を見渡してもかなりユニークな存在であり、構成的に特異なこともあって当初はさして興味を呼び起こしてはいなかった。それが、10年あまり前にふと聴きだしたことをきっかけに、いろいろなヴァージョンの録音を取りそろえて取っかえ引っかえ聴くようになってしまった。

 そう、実はこの曲にはいくつものヴァージョンがある。この曲の成り立ちを調べると、まずは1786年、スペインはカディスにある聖クェバ教会から、礼拝時にその儀式をより盛り上げるために、イエスが十字架に架けられた時に発したという七つの言葉に沿って、それぞれひとつづつ音楽を作曲してほしいという依頼を受たところから始まる。ハイドンはそれに応えて、序奏と七つのゆっくりとしたソナタ、そして終曲という9曲からなる管弦楽曲を作曲した。ハイドン自身「10分も続くようなアダージョを、7つも次々と聴かせて飽きさせないように書くことは容易なことじゃなかった」と後に語っているが、序奏からずっと、緩徐楽章ばかりが延々と1時間も続くような構成になっている(それが僕を長いこと敬遠させていた原因だった)のは宗教音楽としても異例であり、現在演奏機会にさして恵まれていない要因にもなっている。
 しかしハイドン自身、それだけの苦労をしただけの価値がある作品ができたという自負があったのだろう、その出来に満足し、かなりのお気に入りだったようだ。その証拠に、その翌年には自らの手で弦楽四重奏曲版に編曲(僕が最初に知ったのもこのヴァージョン)、加えて本人監修によるクラヴィーア版も出版し、さらに10年後の1796年には、いくつか曲を書き足してオラトリオ版にリメイクしている。
 すなわち、この曲にはハイドン自身が関わった5つのヴァージョンが存在するのだ。即ち、
・初演版:まず司祭がイエスの言葉を述べ、それに対してハイドンの音楽が演奏される。
管弦楽版:初演版から、ハイドンの音楽だけを取り出して演奏する。
弦楽四重奏団管弦楽版をハイドン自身が編曲。
・クラヴィーア版:管弦楽版をハイドン監修の元、編曲(編曲者は不詳)。
・オラトリオ版:晩年になってオラトリオ作曲に意欲を見せたハイドンが、この曲を改めてオラトリオに再構成。管弦楽も拡大。
 ひとつの曲を生涯にわたりこれだけ手を加え続けた作品は、ハイドンの数多い作品の中でも他にはない。

 そしてこの曲とともに、イエスが最期に発したという7つの言葉も、この曲を通じて知ることができた。この曲がなければおそらく生涯知ることもなかっただろうこれらの言葉を見ると、なんだかイエスの本音というか生の言葉が垣間見えるような気がして、上記に挙げたような言葉とはまた違った感興が湧いてきます。ハイドンの作曲した曲は、序奏の冒頭からいつになく感情をあらわにした激しさがあり、なにかただならぬものを感じさせてくれます。

1.「父よ。彼らをお赦し下さい。彼らは自分が何をしているのかわからないのです」
 最初の言葉は、なんかまだいつものイエスという感じがします。はたして本当の救世主なのか単なる詭弁家なのか――もちろん後者ということで磔になったのですが、この状況においてなお自分の正しい事を確信し、自信に満ちた言葉です。

2.「はっきり言っておくが、あなたは今日、わたしとともに楽園にいます」
3.「婦人よ、そこにあなたの息子がいます」「弟子よ、そこにあなたの母がいます」
 ここら辺もまだ余裕が感じられます。自分が「神の子」であるという確信からなのか、まるで自分が死から超越していると思い込んでいるようなように見受けられます。ハイドンの曲も、ここら辺まではきびしいなかにもどこかおだやかな抒情性を感じさせる、どこか気品すら感じさせます。

4.「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか!」
 ところがここからどうやら話が違ってきます。今までにない激しさで、どうも初めて、今までの自信に"疑念"が湧いてきたように見受けられます。音楽も、徐々に悲愴感を強めて行きます。

5.「渇く」
 そして急転直下。どうやら状況も極限に達したかのようです。体から徐々に血が失われていって、強烈な欠乏感に襲われたのでしょうか。極端に切り詰められた直線的な言葉が胸を突きます。ハイドンの音楽も実に強烈なインパクトを与えます。執拗に繰り返される弦のピッツィカートに、ついつい血がポタポタと落ちる様を思い浮かべてしまうのですが…。

6.「成し遂げられた」
 この言葉は他に「すべてが終わった」とか「すべて完了した」とか何種類かの訳があるみたいで、それによって受ける印象がかなり違ってくるのですが…。どうやら前言の苦しさを通り越して、(不思議なことに)なんらかの到達点に達したようです。どうもここら辺門外漢には筋が通って見えないのですが――なんというか、マンガの格闘シーンの中で、主人公が絶体絶命のピンチに陥ってもう逃げ場がない!と思われた瞬間、いきなりニヤリと笑って「それを待ってたんだぜ」とうそぶき、一発逆転を図る――そんなシーンを類推してしまいます。
 音楽も、厳しいながらも一種敬虔なおだやかさを取り戻します。

7.「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」
 そして、すべてを超越したかのようなこの言葉を最期にイエスは息を引き取ります。正直腑に落ちない気持ちはあるのですが…。曲は実に充足したおだやかさに満ちています。僕もこの曲まで来ると、なんかほーっと息をつくような感じになります。

 そして、その死の直後、あたりに地震が起こってまわりの人を驚かせたと伝えられています。ハイドンの曲も、終曲として「地震」と名づけられた短い、しかし今までのおだやかさを打ち破るような激しさに満ちた音楽を置き、強烈な印象を残してさっと幕を引きます。


 イエスの最期は、やはり自分には腑に落ちない"謎"を残しています。しかしそれでも――いや、それ故に、か――妙に心にひっかかり、魅力的な題材とも思えるのです。そしてハイドンの音楽が、その気持ちをさらに増幅させてくれます。
 そして、同じ題材で他の作曲家も曲を書き残してくれたら、いろいろ興味深い曲が生まれてただろうな、なんてことを夢想してしまいます。(実際ハイドンの他にも、シュッツ他数人の作品が残されているようですが、間違いなくハイドンが一番のビッグネームですね) 例えば晩年のモーツァルトが書いたら、もっと身を切られるようなきびしい曲になったのではないか、シューベルトが書いたら、ブルックナーが書いたら…。
 おそらく誰が書いてもハイドンとはひと味違うものになったでしょう。ハイドンのこの音楽には、その題材に対してちょっときびしさが足りないようなきらいもありますが、でもその代わり、"パパ ハイドン"の名にふさわしい、慈愛ともいうべきあたたかさを常に感じさせてくれます。

 その特異さ故に実演に接する機会というのは非常に少ないのですが、僕は2015年の「ラ フォル ジュルネ」の際に弦楽四重奏版とクラヴィーア(ピアノ)版を各1回づつ聴く機会に恵まれました。この年のテーマは「PASSIONS」とのことで、"祈り"の音楽が数多く取り上げられたのだが、その範疇としてこの曲も3種類のヴァージョンで演奏されました。(もうひとつ「ハープ版」なるものが演奏されたのだが、これはチケットが取れなかった)
 その中で初日に聴いた弦楽四重奏版(ケラー弦楽四重奏団)は、期待値の高さに反して、会場がデッドだったこともあってどうも散漫な印象を与えるものだったのだが、その翌日に聴いたピアノ版は非常に感動的なステージとなり、今もなお強い印象を残している。
 その当時書いたレポが残っているので、最後にそれを引用しておきます。

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 演目は、個人的に今回一番の目玉であるハイドン「十字架上の最後の七つの言葉」の今度はピアノ版。曲目だけで選んだので、演奏するジャン=クロード ペヌティエという人はまったく知らなかったのだが…。
 座る席はきのうよりも後ろの方になったので、よりステージを見下ろす観が強い。ステージに置かれているのはピアノ1台のみ。照明の幅もより狭くなり、きのうよりさらに深遠さが増しているように見えた。
 登場したペヌティエ氏はかなり恰幅のいい初老の男性だが、ステージに上がってもピアノに座ろうとしない。そのそばに設置されたマイクの前で足を止めると、何かを繰りながら訥々としゃべり始めた――。
 これは――。オリジナルの形で上演しようというのか! この曲は元々スペインの教会からの依頼で、イエス磔刑に処せられる際に発した7つの言葉に基づき、司祭が語るそれに合わせるように7つのソナタ(+序奏と終曲「地震」)が作曲されており、初演時にはその通り、まず司祭が説教をし、それに続いて音楽が演奏されたという。普段演奏される際はもちろん音楽だけになり、現にきのうの弦楽四重奏版もその通常形態での演奏だった。僕もこのオリジナル形態での演奏はCD1種類でしか聴いたことがない。それをピアノ版でやろうというのか…。

 キリスト教には詳しくないので、ここで語られる言葉についても、まぁ受難曲のように、新約聖書の中から抜粋されたものなんだろうな、ぐらいのことしか分からない。しかしその語りは朴訥ながらも確信に満ちて心に届く。幸い後ろの壁に日本語訳が随時投影されるので意味も分かるし、これから始まるものが通常のコンサートではない、なにか特別な式典である事を感じさせた。
 そして一通り語り終わってからおもむろにピアノに向かい、振り下ろされた腕から響きだす序奏の第1和音、その瞬間からこの場の空気ががらりと変わった。彼の作り出す音楽はまっこと真摯ですべての華燭を去り取り、中身だけをそのまま取り出したかのように直接こちらに響いてきた。決して一本調子にならずそれぞれのフレーズにきめの細かいダイナミズムがつけられていて、それが、まさしく洞窟の奥から一条の光のように聴く者にひとつひとつ語りかけられていった。

 1曲弾き終わると再び立ち上がってマイクに向かい、次の言葉を語り出す。語り終わるとピアノに向かい次の曲を…。ステージの上は彼ひとり。譜めくりすらすべて自分で行い、小さなスポットライトの中にすべての世界が充足して収められていた。
 聴き進むうちに、今、自分がすさまじい体験をしているのだと確信した。イエスの受難の物語と言うのは、正直自分にはあまり宗教的な感覚はない。ただ、一人の男が受けたすさまじいドキュメンタリーとして感じ入ってしまう。そして今目の前で展開されているそれは、まるでバッハの受難曲で受ける感興に勝るとも劣らないものがあった。ほとんどたったひとりの人間によってそれが作り出されているとは信じられないほどに。
 おそらく彼はこの形での演奏を何度となく繰り返しているのだろう。語りにも、それに伴う演奏にも一寸の隙もなく、よどみなく、すべて意味を持って執り行われている。そして会場の"洞窟の底"効果が聴く者の集中力を更にいや増し、会場のテンションを極限にまで引き上げていた。第4、第5、第6と言葉が進むにつれて言葉も音楽も徐々に緊迫感をましていき、そして遂に第7。ここにきて音楽は不思議とおだやかな充足感を増し、あふれるほどの感情に包まれる。続く終曲、ここで初めて言葉を経ずに連続して流れ込み、叩きつけんばかりの強烈な音響の中、幕を閉じる――。
 最後の1音が鳴り響いて消えた後も、数秒の間完全な沈黙が会場を支配する。次の瞬間どっと堰を切ったように拍手が始まり、一旦始まると今度は容易には鳴りやまなかった。
 僕自身、間違いなく今回のLFJの白眉だ、これを超えるものはちょっと想像できない、と確信した。この事がたった一人の人間によって現出したことがちょっと信じられなかった。ジャン=クロード ペヌティエ氏、彼はたったひとりでイエスの受難をすべて表現しつくした、最上のエヴァンゲリストに違いない。申し訳ないが、きのうのケラー弦楽四重奏団の演奏とは次元が違っていた。
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 終わってすぐ、この人が演奏した「十字架上の最後の七つの言葉」のCDが欲しい!とCD売り場に駆け込んだのを憶えている。しかし見つからず、後に検索しても録音は残していないようだった。残念なことだ。でも6年経った今もなお、あの素晴らしい時間を追体験したい、という気持ちが消えないでいる。

それでもオリンピックを開催するのか

 本当に、本当に信じがたいことだが、東京オリンピックが強行開催されようとしている。
 世論調査をすれば毎回確実に過半数が中止を選択するし、国際的にもあちこちから中止の声が上がっている中、それでも日本政府も東京都も、まるで最初からそんなこと念頭にないかのように開催に向けてひたすら歩みを進めている。
 管総理は事あるごとに「専門家の意見を聞いて」と自分の判断を表に出さないが、それでいて政府にとって都合の悪い意見は初っぱなから聞く気はない。政府の諮問機関である感染症対策分科会の長である尾身会長が「普通はない」と名言したのに対して「個人の見解」と突っぱねてしまった。

 結局の所管内閣は「判断を先送りし続けた挙げ句既定路線をやらざるを得なくなる」政権でしかない。おそらく誰もが内心は「誰か『止める』と言ってくれないかなぁ」と思ってるんじゃないかと邪推したくなるが、でも自分からは絶対言い出せない。結果ずるずると開催してしまいそうだ。管総理は典型的な調整型リーダーで、平時ならばそういうトップでもうまくいくことはあるが、今は新型コロナパンデミックの非常時、時には軋轢をものともせず大胆な決断が必要となるのに、よりによってそういうのにまったく向かない人が総理大臣になってしまっているのだ。

 もちろん前任の安倍総理だったら違っていたかというとそんなことはない。そもそも今の自民党政権、少なくとも第2時安倍内閣からは「道理を引っ込めて無理を通す」政権に他ならないからだ。明治以降最長政権を記録したとは言っても、その実体は数限りない横紙破りを無理矢理押し通してきた上に成り立ってきたにすぎない。自分のやりたいことならば道理を"忖度"のもと押し殺して、無理を通しまくっていた。その一部が氷山の一角として露見したのがいわゆる森友学園加計学園であり、「桜を見る会」に他ならない。そうしてやりたい放題無理を通しまくっていた安倍政権だが、結局それが"忖度"の上に成り立ってきたのが今回致命的になった。なぜならウイルスには忖度が効かないからだ。結果として一番の武器を封じられた安倍内閣はいろいろやった上で機能不全に陥り、過度のストレスで総理の持病が再発、最終的に第1時政権の時と同じ理由で退任という情けない事態に陥ってしまった。

 そして第2時安倍政権時の官房長官として懐刀であった管総理も結局同じ路線を踏襲するしかなかった。しかも「管内閣の一番の欠点は管官房長官がいないことだ」なんて当初から言われてたが、総理がトップらしいリーダーシップを発揮できない分ますます烏合の衆と成り果てた感がある。なにしろコロナ対策で有効な最後の手段である「緊急事態宣言」がほとんど機能しなくなってしまったのだから。第2回も第3回も(もちろん蔓延防止等重点措置も)あまり効果が出てない、全くないとは言わないが全然物足りない効果しか出ていない。それを総理自ら「減ってるでしょ」と根拠なく言い張っているんだから、その言葉にますます重みがなくなり、もはや彼の言っていることは戯言にしか聞こえなくなっている。もはや万策尽きて、国民に対して"忖度"を強要しているような状態だ。もはや末期症状と言っていい。


 さらにはオリンピックに対しても「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証しとして実現」(そういのは打ち勝ってから言え!)「選手や大会関係者の感染対策をしっかり講じた上で開催」(どうやったら具体的にそれができるのか、エビデンスに基づいて明言してもらいましょうか)「国民の命と健康を守るのは私の責務だ。五輪を優先させることはない」(ちょっと何言ってるか分からないんですけど、マジで)と、もはや支離滅裂状態に陥っている。これらの言動をちゃんと全うしようとするのならば、「オリンピック中止」一択しかないのだが。

 結局今政府がコロナ対策としては、明言はしないが緊急事態宣言は当てにしていず、ワクチン接種に全振りしているようだ。とにかくワクチンはどうやら確保の目処が立ったので、後はどうにかして1日でも早く国民に広く接種を進めていくか、それしか考えてないように見える。実際ワクチン接種がある程度進んだ国(イスラエル・イギリス・アメリカ)はとりあえず感染拡大が抑えられ、徐々に日常を取り戻しつつある事は確かで、日本もとにかくワクチン接種を進めていけば徐々にそうなってくれるはず、とその日が早く来るのを指折り数えているのだろう。確かにここに来て接種ペースはぐんと上がってきているのは確かだが、エンジンがかかるのが遅すぎた。なにせオリンピック開会式の7月末時点でも65歳以上の高齢者の接種分ですら終わってないのだから。ワクチン接種が広まって感染状況が改善するには、おそらく国民の過半数の接種が完了することが必要だろう。先の東京オリンピックのように10月開催だったら間に合った可能性もあるが、純粋にアメリカの放送局の都合で夏開催に最初から決まっていた、という時点でもはや手詰まりだった。
 それに確かにここにきて急速にワクチン接種が進みつつあるのは、4月に管総理が訪米した際にファイザー社と直接交渉し、確保を確約したとの背景があるのだが、おそらくだがその交渉の際にこちらから「オリンピック開催」を確約したのではないだろうか。要は「オリンピックは必ず開くからワクチンをくれ」と。しかも日本にワクチンが順調に入ってくるようになったのと時を同じくして、韓国にはワクチンが入ってこなくなっていきなり接種が滞りだしたなんてことを聞くと、どうやらオリンピックを交換条件として、韓国に行くはずだった分のワクチンをも日本が横取りしてしまったんではないかと危惧したくなる。

 だかこれによって、日本はますますオリンピックをやらざるを得ない状態に追い込められてしまっているのだ。だがオリンピック期間中にワクチンの効果が出始めるというのは期待できない。かくなる上は、せめて最低でも無観客開催、できることなら期間中外出禁止令を出すぐらいの強硬手段に出るべきなのだが、今もなお観客制限だのパブリックビューイングだの、何らかの形で経済効果を得たいとの色気を出しまくっていて期待ができない。

 最後に改めて言う。結局の所、ワクチン以外でコロナ感染を抑えるのに確認されている唯一の手段は「人流を止める」以外にないのだ。

今こそ兼好法師に学べ

 新型コロナ(COVID-19)感染者数がここにきて下げ悩んでいる。

 年明け早々に発令された2度目の緊急事態宣言から間もなく2ヶ月、さすがに一時の爆発的拡大は影を潜めて長い下降傾向を示しており、宣言下のうち関西・中部・福岡では本日限りの前倒し解除が決定した。しかし首都圏では下げ止まり、つまりは減少の鈍化が指摘され、あろうことか増加傾向すら見え始めた。
 元々今回の緊急事態宣言は施行当初から効果が疑問視されてきた。自粛要請範囲が夜間の飲食店に限られるなどかなり限定的であり、結局施行後も前回のように繁華街が閑散とすることもなく、特に日中など「これで緊急事態宣言下なの?」と疑問が湧くほど人通りが減らなかったのだから。

 しかしそれでも東京で1日最高2,500人にも達した新規感染者数は近頃200~300人を推移しており、まさしく1桁減少している。はたしてこれは緊急事態宣言の成果なのか。ここにきて世界中の新規感染者が減少傾向にあり、またぞろ「ファクターX」の存在が囁かれる一方、濃厚接触者を追わなくなった事に起因するPCR検査の減少による見せかけの減少だとも言われている。

 いずれにしろまだまだワクチン摂取の成果を期待するには早すぎるし、今はまだマスク着用・消毒の徹底・接触の回避という地道な方法に頼るしかないのだ。

 首都圏の感染者数下げ止まり・増加傾向は結局の所人手が増えたことによる所が大きい。確かにコロナウイルスが低温で活発化することは確かなようだが、暖かい日が増えてきたからといってウイルスが不活性化するわけではないことは昨年夏の第2波でよくわかったはずだ。

 このような状況の中、思い起こされるのは700年も昔に吉田兼好法師が書き記されたとされる「徒然草」の一節だ。第109段の「木登り名人の話」と言われるものだが、古典の教科書にも載ってたりするから知っている人も多かろう。かいつまんで言うとこういう内容だ。

  木登り名人が弟子に高い木に登らせて作業をさせている。弟子が目もくらむような高所にいる時に名人は何も言わずにただ見つめているだけだったが、弟子が作業を終え降りてきて、もうあとちょっとで地上という段になっていきなり「気をつけろ」と声をかけたのだ。
 あそこまでくればもう飛び降りたって怪我もしまい、と不審に思って訊くと名人はこう答えた。「高い所にいれば怖くて自分で気をつける。本当に危ないのは降りてきて『もう安心だ』と気を緩めた時だ」と。

 

 今、我々は減少傾向に安堵して気を緩めている。今こそ本当に危ない時なのだ。

昔と今とで呼び方が変わった言葉

 新型コロナの蔓延によって閉塞した状況を劇的に変えてくれるかもしれないワクチン接種がいよいよ日本でも始まった。もちろん「変異種にも効くのだろうか」「順調に接種が進むのだろうか」といった懸念事項もまだまだ多いが、そんな中ニュースでもちょっと聞き慣れない言葉が飛び交うようになった。
 「副反応」だ。
 もちろんワクチン接種によって想定外の効果が出てしまい、最悪の場合アナフィラキシーショックで命の危険にさらされかねない要注意事項であることは分かるのだが、一方こう思う人もいるのではないだろうか。「あれ、これって"副作用"って言うんじゃないの?」
 ひょっとして「副作用」っていつの間にか「副反応」って呼ぶようになったのかな、と気になって僕も調べてみた。
 それで分かったのだがこの2つ、確かに「副作用」の方がよく聞く言葉だけど、これは薬、即ち治療薬において想定外の効果が出てしまう場合には「副作用」を使い、対してワクチンでの想定外の効果を「副反応」という、明確に使い分けがされていることがわかった。新型コロナに関して言えば、アビガンやレムデシビルに対しては「副作用」、今回のファイザーその他によって作られたワクチンには「副反応」が使われるのだ。

 そういえばコロナウイルスの「ウイルス」だってかつては「ビールス」っていってたよな、と思い出す。これはどちらも綴りは"virus"であり、英語での発音をカタカナで書けばむしろ"ヴァイラス"に近い。ただこれを1970年代ぐらいまではドイツ語読みに近い「ビールス」と表記していたものを、その後正式に「ウイルス」と表記するように正式決定したもので、どちらも元は同じもの、表記の揺れと言っていい。

 考えてみれば、このように「かつてはこう呼んでたのに今は別の言葉になってるな」というものがいくつも思い浮かぶ。ここしばらくつれづれにそうしたものを思いつくままメモしてきて片っ端から調べてみた。そうしたら、ある時から改称したもの・厳密には別のもの・いつの間にか変わったものといくつかのパターンが見えてきた。

 ○伝染病 ⇒ 感染症
 まずは今回の新型コロナで盛んに耳にするようになった「感染症」という言葉。これも「伝染病じゃないのか?」と以前から気になっていた。世界の歴史を遡ると、ペストやコレラ天然痘といった古典的なものから約100年前に同じようなパンデミックを起こした「スペイン風邪」まで、実に様々な伝染病の大流行が起こったことが分かる。なのに今回、「感染症」はよく聞くのに「伝染病」という言葉はとんと聞かない。これはどういうことか…。
 実はこの2つは本来の意味が異なっており、「伝染病」は「感染症」の中に含まれる。空気感染・接触感染等方法はいろいろあるにしても、"人から人に"伝染するものを「伝染病」と呼んでいる。それに対し破傷風のように人を介さずに感染する病気も存在している。そして人を介する介さないに関わらず感染して広まっていく病気の総称として「感染症」が使われているのだ。
 新型コロナウイルスは基本人から人に伝染するものだから「伝染病」と言えそうだが、ウイルスが付着した所に触った事による感染もあることから、必ずしも"人を介して"とは言い切れない。結局の所、感染経路の特定は重要だが人からのみなのかそうでないので分けるのはそれほど重要ではない、ということになって、徐々に「伝染病」という言葉は使われなくなって「感染症」で統一する気運が高まっているらしい。

 ○日射病・熱射病 ⇒ 熱中症
 実は僕が一番最初に気になったのはこれだった。
 「日射病になるから帽子かぶっていきなさい」出がけに母親からこんな言葉をかけられるのはもう夏の風物詩のようなものだった。日射病ほど一般的ではなかったが熱射病という言葉もあるのは知っていた。しかしふと気がつくといつからか熱中症という言葉が幅を利かせて日射病も熱射病もとんと聞かなくなった。なんで?と思ったけども両者は症状としてはほぼ同じであり、日射病は直射日光によるもの/熱射病はそれ以外の高温多湿によるものと不調の原因の差だけのものだった。なので両者を統合する熱中症という言葉が生まれ、2000年に統一されたのだそうだ。なので今、日射病は基本使われていない。

 ○歯槽膿漏歯周病
 歯茎がどんどん痩せてって歯を支えきれずぼろぼろになる歯槽膿漏の恐ろしさはかなり前からずっと言われてきた。しかしこれもまたいつの間にか歯周病という言葉が幅を利かせて、歯槽膿漏という言葉はあまり耳にすることがなくなっていた。
 だがこれも歯茎周りの病気の総称として「歯周病」という言葉が後から生まれたものだった。歯周ポケットに歯垢が溜まって…なんて言葉は歯ブラシのCMでお馴染みだが、これによって歯茎が炎症を起こし、最初の軽い段階は歯肉炎、それが重くなって歯周炎、さらに重度になると歯槽膿漏と呼ばれるようになり、歯槽膿漏までいったらもうちょっと取り返しのつかない状態なのはご存じの通り。で、これらの炎症を総称して「歯周病」と呼ばれる。
 おそらくは、歯槽膿漏まで行く前にも早めに治療しておくべき、という訓戒の意味も含めて「歯周病」という言葉が声高に言われるようになったのではないだろうか。

 ○精神分裂病統合失調症
 これは全く同じもの。2002年から正式に呼称の変更が決定され、その事が新聞記事になったのも憶えている。
 でもその記事を読んで「なるほどな」と納得しちゃったんだよな。なぜなら「精神分裂病」という呼び名は僕の子供の頃からけっこう、それこそ子供の会話の中でもそれなりに出て来る言葉であり、その使われ方は「○○○○」(差別用語につき伏せ字)と完全に同義語だったもんな。子供だから正確な意味なんて知りゃしない。ただそういうもんだと気軽に使ってたんだけども、まさしく「精神分裂病」=「人生終わり」といったニュアンスだった。
 しかし実際はそうではなく、それなりには治療方法もあり、治療の成果によっては社会復帰も可能なものだった。けども精神分裂病の言葉の意味は勝手に一人歩きしてしまい、そのイメージを覆すことはもはや困難な域にまで達していた。そこで病名の方を変更することで対処したということだ。
 この言葉には、子供時代とは言えあまりにも不用意に使っていたという事が後から分かって、我ながら忸怩たる思いがある。

 ○マリファナ大麻
 これも全く同じもので、厳密には「大麻草から抽出したマリファナという成分」が麻薬となっている訳なんだが、なぜか知らないが日本ではいつしかマリファナという言葉はとんと聞かれなくなって、最近はもっぱら「大麻」と呼ばれている。薬害としては麻薬の中では軽い方で、だから「むしろ煙草の方が有害だ」と声高に叫ぶ人もいて、実際使用が認可されている地域もあったりする。一方医療目的で大麻が使用される例もあり、だから日本でも「医療用大麻を認可せよ」と主張して結局大麻の栽培が発覚して捕まった元女優もいたりして――軽いからこそ却って厄介な薬物だ。いったいこの言い換えがいつ、どういう経緯で行われたかは結局分からなかった。
 なのでこれは勝手な推測なんだけど、ジャスミン茶は漢字で「茉莉花茶」と書くから、僕も何度か「え?マリファナ茶?」と誤読しそうになってしまうことがあった。これがジャスミン茶にとってはマイナスイメージの元となるから、あんまり言わないでくれ、とお茶業界からクレームが入った…とかないかな?

 ○ピンポン ⇒ 卓球
 やっぱりいつのまにかあまり使われなくなったのが「ピンポン」。もちろん卓球とは同義語で、てっきり日本だけの通り名だと思ったら、なんと「テーブルに"ピン"と跳ねてラケットで"ポン"と打つ」からピンポンという、世界共通の名前だった。でもその気軽な感じの呼び名故に軽いお遊び的なイメージがついてまわり、オリンピックでも争われるあの苛烈で激しい応酬とは相容れない、ということで競技としてはもっぱら「卓球」(英語では「テーブルテニス」)が使われて、そちらが認知されるに従って「ピンポン」の呼称はだんだん廃れていった、というものらしい。

 ○リンス ⇒ コンディショナー
 こちらは逆に、てっきり何か違いのある別物だと長いこと思い込んでいたのだが、なんと全く同じものだった。
 それも単に「リンスって名前ださくね、もっとかっこいい呼び方ないかな」という理由でコンディショナーという名前が生まれた、と聞いた時には思わず天を仰いだ。だからなんか意地でもリンスという呼び方を使い続けたくなっている。

 ○かき氷 ⇒ フラッペ(自然消滅)
 同じような意味で、なんか時代の徒花のように思えるのが「フラッペ」という言い方。要はかき氷を「もっとオシャレに呼んで流行に乗りたい」という業界の意図みたいなのが透けて見えるのだ。実際一時はそれなりにこの呼び方が広まったこともあったが、結局今は「かき氷」に戻って落ち着いている。
 個人的なイメージだけども、ガラスの器に山盛りにしてスプーンですくって食べるのが「かき氷」、紙コップに入っててストローさして食べるのが「フラッペ」のような気がする。王道はやっぱりかき氷だよ。

 ○シナチク ⇒ メンマ
 これまたふと気がつくとまったく耳にしなくなったのが「シナチク」という言い方。というか僕が子供の頃はもっぱらシナチクという言葉しかなかった。それが――「メンマ」という言葉を初めて聞いたのは確か桃屋が瓶詰めのシナチクを「メンマ」の呼称で売り出した時だった。「メンマ?シナチクだろ!」なんて勝手に叫んでいたのだが、その後「メンマ」という言葉がどんどん幅を利かせて、シナチクという言葉はどっかに行ってしまった。
 どうやらシナチク自体に罪はなく、「シナ(支那)」の名前が悪かったらしい。中国が、日本で自国のことを「シナ」と呼称することを、太平洋戦争中の蔑称であることから抗議対象としていることは知られているが、それがシナチクにも及んでしまったのだ。(でも日本には「シナ」を禁じておいて英語では相変わらず"China"が平気で使われているんだからおかしな話だ)

 ○ホットケーキ ⇒ パンケーキ
 最後に、某チコちゃんでも取り上げられたこれ。子供の頃は「ホットケーキ」しかなかったのに、いつしか「パンケーキ」なるものが幅を利かせて、ホットケーキの影がどんどん薄くなってきている。しかもこの2つ、どうみてもおんなじようなものに見えるんだよなぁ。
 チコちゃんも明確な違いを提示できなかった事からも分かるように、両者明確な違いはないらしい。ただイメージ的にはホットケーキといえば乗せるものはバターと蜂蜜と決まってたのに、パンケーキはなにやらほんと多種多彩なものを乗っけて彩り鮮やかでいかにもオシャレ。結局流行に乗れた方が主流になる、というのはいつの世でも同じなのかなぁ。

 言葉は世につれ変わっていくものだが、こうして自分が生きてきた中でも探していくと、それぞれに歴史が感じられて非常に興味深かった。他にもこういのが見つかったらいつか第2弾もやりたいもんですね。

最強の加湿器

 今回のコロナ禍のおかげでマスクやアルコール消毒液などいろんなものが今までにないほど注目を集めた(イソジンは一瞬で消えたな)が、その中のひとつとしてこの冬、加湿器にも注目が集まっている。
 冬の低温がコロナウイルスを活性化することはかなり前から言われていたが、さらにスーパーコンピューターの解析で、乾燥が飛沫の拡散を大いに促進することが分かってきたからだ。おかげでこの冬は加湿器の売上がかなり増加したらしい。

 自分も久しぶりに加湿器を購入することにしたのだが、それにしてもいろいろある加湿器のうちどれにすべきか、というのが悩みどころだった。

 現在、家庭用として普通に売られている加湿器は、その加湿方法によって大体次の4タイプに分けられる。
○スチーム式
○超音波式
○気化式
○ハイブリッド式
 この中で「スチーム式」はもっとも馴染みやすい。要はお湯を沸かしてそこから出る蒸気で加湿する方法だ。ある年齢以上の人なら、石油ストーブの上にやかんを乗っけておき、その口から湯気が立っているのは冬の風物詩として当たり前の風景だった。原理的にはそれと変わらない。
 一方僕が最初に「加湿器」として認識したのは「超音波式」だった。上部に取り付けられた吹き出し口からスーッと白い霧が絶え間なく吹き出し続ける様は初めて目にした時からすごい印象に残った。原理的には発生させた超音波で水を細かく砕いて吹き出すもので、要は霧吹きと一緒。指で押して霧を発生させる霧吹きを、機械で自動的に延々と吹き出し続けるようにしたものと思えばいい。
 「気化式」はあんまり馴染みはないのだが、これは原理的には濡らした手ぬぐいを吊して干して置いて、それに風を吹きかけることで湿気を飛ばすようなものらしい。そしてそれに熱を加えてさらに加湿効率を高めたものが「ハイブリッド式」ということか。

 それぞれにメリットデメリットがあるが、「スチーム式」はシンプルかつ古典的なだけに、実は加湿効率面・衛生面でももっとも優れている。水を沸騰させた湯気だけに殺菌力も高く、沸かし続ければ水が残っている限りどんどん加湿されていく。ただ一方、水を沸騰させ続けなければならないため、他の方法よりも熱量が格段にかかるのだ。電熱でやる場合、消費電力は他の方法に比べて圧倒的にかかってしまう。
 一方「超音波式」は超音波を発生させる原理があればどんどん霧になって放出されるので効率もよく、ランニングコストも格段に安い。湯気でなく霧なので冷たく、不注意で火傷をする心配が無いというのもメリットだ。だが一方一番の問題点は衛生面。タンクに溜めた水を直接空中に散布する方法のため、水の中に雑菌やらカビが発生するとそれがそのまんま空中にばらまかれてしまう。そのため超音波式加湿器による「加湿器病」なんてものまであるほどだ。そのためこのタイプを運用するには、タンクの掃除・水の除菌等その手入れに常に気をつけなければならない。
 「気化式」もシンプルだが、これは原理的に加湿効率に難があり、まわりの環境に影響されやすく、低温など場合によってはあまり加湿が進まない可能性がある。その欠点を克服するために「ハイブリッド式」が考案されたのだが、どちらも手入れが面倒という欠点があり、お値段も張るのが多い。

 このように帯に短したすきに長し。結局それぞれの利点と欠点を天秤に掛けて自分に向いたものを選ぶ必要がありそうだ。

 実は僕が最初に買ったのは「スチーム式」だった。その頃はやっていた、使い終わったペットボトルに水を入れて逆さにぶっさすと、そこから水が加湿器内に流し込まれて熱せられ、湯気が出てくるタイプのものだ。卓上で簡単に移動できる手軽さやペットボトルを使う遊び心もあって数シーズン使ったのだが、そのうち使用を断念せざるを得ない大事件が発生した。
 あの東日本大震災だ。
 福島から青森にかけて広範囲で発生した巨大津波により福島第一原発メルトダウンを起こしたことは記憶に新しい(というか今もなお現在進行形なことを忘れてはならない)。一時期すべての原子力発電所が稼働を停止し、それにより電力供給が逼迫した。供給量を抑えるために計画停電という異常事態まで起こり、積極的に節電せざるを得ない事態に陥った。我が家もこれを機に電気ポットの使用をやめ、昔ながらの魔法瓶に切り替えたのを始め、その他なくてもあまり支障が無い電気機器の使用をいくつも取りやめた。そして、消費電力の大きいスチーム式加湿器は真っ先にその対象となった。
 またこの時取りやめたのはもうひとつ理由があった。使っているうちに機器内に水道水のミネラル分が付着し、水漏れ等の誤作動が頻繁に起こるようになっていたのだ。どうもこれもスチーム式の宿命らしく、白くこびりついたそれを掃除して取り除かなくてはならないのだが、けっこう手の入らない細かいところにもはまり込んで素人ではけっこうどうしようもなくなってきていたのだ。分解掃除できるようになっていればいいのだが、安価なものは必ずしもそうなってないものも多い。
 その結果、使用を取りやめるとともに廃棄処分することにした。

 以来久しく加湿器は使っていなかったのだが、今回のコロナ禍で約10年ぶりに買うことにして、どの方式にするか、考えた上で選んだのが「超音波式」だった。ネットなどで調べてみると、衛生面でお勧めしない口調のものも目立つが、前回のスチーム式の反省点から、安価で省電力、仕組みがシンプルで手入れしやすい点を評価して購入したのだ。
 もちろん使用に当たり衛生面は気をつけているつもりだ。抗菌仕様の機器を選び、水は必ず(カルキ消毒されている)水道水を使い、水の入れっぱなしは絶対にせず、毎晩水を抜いて分解・拭き掃除をして一晩そのまま乾かし、翌日使う際にまた水道水を入れ直す。さらには使用前にタンクに必ず除菌液も入れている。これだけやればまぁ大丈夫だろうとは思うのだが、それでもやはり雑菌をばらまいてないかという不安は完全には拭いきれない。
 それに使ってみた印象なのだが、なんだか時折鼻の奥がスースーする気がする。これは推測だが、霧吹きの要領だから水の粒が他の方式と比べて粗く、それを直接吸入すると霧の中を歩くような違和感を覚えるのではないだろうか。中に含まれるカルキ臭も関係しているかも知れない。それ自体は大した刺激ではないのだが、衛生面に不安を抱えるものだからそれが一層気になってしまうのだ。
 さらにもうひとつ。冬の寒い空気の中で使うと、吹き出される霧はひんやりと冷たく、気化熱で温度を奪ってより一層冷え込みを増すような気がする。冬だからこその加湿が、逆に寒さを助長させるのだ。

 こうして考えてくると、純粋に冬の加湿という意味ではスチーム式が一番よかったんだなと改めて思う。暖かい湯気というのもありがたい。ただいかんせんランニングコストが…。こうしてみると、かつてのあの「石油ストーブの上にやかん」方式はある意味最強だったんだな、と思えてくる。方式はシンプルこの上なく手入れも楽。暖かい蒸気で加湿できる上、ランニングコストは暖房する"ついで"なのだ。もちろん石油ストーブは室内の酸素を使いまくるので空気が汚れるのを避けられないし、灯油で直接火を燃やすので安全性の面からも注意が必要なのだが。

 だからできれば火を使わず空気を汚さない電気式の方がいいのだが、やはりランニングコストが…と考えた時、ふとひらめくものがあった。電気式で、電熱でもなく、火も使わずに水を沸かす方法が今はあるじゃないか。そう、IHヒーターだ。実は今までIHはほとんど使ったことがなかったので馴染みがないのだが、これなら直接熱も発しないし電熱よりははるかに効率よく水を沸騰させることができるだろう。ポータブルな卓上IHヒーターを買ってきてその上にやかんの水を入れて置く、それだけで消費電力もそこそこで蒸気を発する、スチーム式の欠点を克服した加湿器代わりにならないだろうか。

 いや、でもそれだけではつい何かに引っかけてやかんをひっくり返すと大惨事になりかねないな。さらにもう一歩進んで、小型IHヒーターとその上部に水を入れて蒸気吹出口をつけた備え付けのタンクを設置して、どこでもコンセントひとつで蒸気を出せるスチーム式加湿器をどこかで出してくれないだろうか。これならば①手軽で②お手入れも楽で③衛生面からも安心で④空気を汚さず⑤安全性も高く⑥電気代もそこそこ⑦蒸気が暖かい、という各方式の欠点をかなりカヴァーできる仕様になる。さらにこの上部タンクを取り外しできるようにして、外すと普通に煮炊きできるIHヒーターとして使えるようにしたら…。これぞ「最強の加湿器」とでも言えるものにならないか。こういうアイディア家電が得意なアイリスオーヤマさん辺りが商品化してくれないかなぁ。

コロナ禍でのニューイヤーコンサート

 今年も元日にウィーンフィルニューイヤーコンサートが無事開催された。

 もっともこの世界的なコロナ禍の中、いつも通りに開催することは到底無理な話で、結局史上初の無観客開催となった。ただ金銭的に見れば、世界中の90もの国や地域に配信され、さらにはCDやブルーレイが発売されるのだからそちらの方が来場者のチケット代より遙かに多くの売り上げが見込まれるから、大きな損失にはならないだろうが。

 しかしそれでも会場内の雰囲気は異様だった。なにせ客席には誰一人座っている者はなく、ウィーンフィルムーティがステージに登場しても当然ながら拍手は一切無く静寂が支配している。ムーティの登場に際してはさすがにオケのメンバーが音を鳴らして迎えるが、逆にその少ない音が寂しさを醸し出す。代替案として事前に申請された人によるオンライン拍手が導入されたが、それが行われるのは各部の終演後のみで、ひとつひとつの曲間は終わっても物音ひとつしなかった。

 またメンバーの感染対策として、団員は非常に頻繁に(楽団長のフロシャウアー氏は「毎日」と言っていたが本当だろうか)PCR検査を行っているそうだが、ということは逆に、検査の結果感染が発覚し出演できなくなったメンバーが相当数いるのではないだろうか。今回オーケストラのメンバーを見ていて気がついたのは、いつになく女性の姿が目立つことだ。ウィーンフィルが世界的なオーケストラの中でも特に女性の参加が遅れた団体であることは確かだが、近年はさすがに女性団員も増えてきた。しかしいくらなんでもこんなにずらりと女性が並んだ姿は見たことがない。例年ニューイヤーコンサートともなればさすがに現在の主要メンバーがずらりと並んで壮観なのだが、今年はなんか見覚えのない顔が多い。また女性団員もだいたい弦に偏っているのだが今回は木管にもちらほらと女性の姿が見える。特に2ndクラリネット若い女性が座っているのには驚いた。今までウィーンフィルのクラに女性が座ったのは記憶にない。
 ただ今ちょっと調べてみたら、彼女は一昨年ウィーン国立歌劇場管弦楽団に入団したAndrea Götschという女性らしい。とはいえもちろんまだウィーンフィルメンバーではなく、おそらく推測だが今回のコンサートには、彼女のようなウィーン国立歌劇場管弦楽団からの助っ人がかなりの数混じっていたのではないだろうか。

 しかしそれはそれとして、今年は特に素晴らしい内容の演奏会になった。その立役者としてやはり指揮をしたムーティの名を真っ先に挙げるべきだろう。かつて初めて彼がニューイヤーをに登場した頃はまだ若くて血の気が多く、ウィーンフィルをけっこう駆り立てて音楽がいささかせかせかしたものになっているのを感じた。「シュトラウスロッシーニクレッシェンドするなよ」なんて思ったのを憶えている。しかし彼も今や大ヴェテランになり(あの伊達男が今年80歳になるとは!)、前回2018年に登場した時も、いい意味で脂が抜けて音楽が自然に流れるようになり、ウィーンフィルの持ち味をうまく引きだしているのに感心した憶えがある。要所では手綱をとりつつ基本ウィーンフィルに勝手にやらせる術を会得したみたいだった。そして今回、音楽の流れはいよいよゆったりと悠揚せまらぬ流れになっていたようだ。これはひとつには今回無観客で行われた事も作用したのだろう。観客のいないムジークフェラインザールはいつに増して残響が長くなったようで、速めのテンポでやったら前の音が消え入る前に次の音で塗りつぶされて響きが濁ってしまう危険があった。しかしこのゆったりとしたテンポによって響きがますます豊かに馥郁たるものになっていたと思う。その棒は抑制が利いたもので、ウィーンフィルに最低限の鞭を打つだけでうまく乗せる術を、長年の共演の中で身につけていたのが今回功を奏していたのだろう。もっとも「春の声」や「皇帝円舞曲」といったワルツのラストではいささかやり過ぎと言えるほど溜めて演奏したのはちょっと鼻についたが。
 で、アンコールはどうするんだろうと観ていて気になっていた。例年恒例の、「美しき青きドナウ」のイントロで拍手が巻き起こって中断→新年の挨拶への流れとか、ラデツキー行進曲の手拍子とか、観客が前提のお約束はどう対処するのかと思ってたが、結局「ドナウ」ではまずムーティがマイクを持って挨拶した後おもむろに演奏を始め、ラデツキーももちろん手拍子なし。手拍子を引き出すために慣例として挿入している冒頭の小太鼓も省略して普通に演奏を始めた。しかしこれはこれで無理に観客に流されることなく自然な音楽作りにつながったと思う。結果として今回のニューイヤーコンサートは演奏者のペースでテンポよく進行していき、聴いていて「次はどうなるだろう」と始終わくわくしながら最後まで聴き通すことができた。

 結果的に今回の指揮者がムーティでよかったと思う。ウィーンフィルとの実績豊かなヴェテランだったからこそ、コロナ禍での初めての無観客といういつにない異様な状況でも逆に災いを転じるようなことができたのだ。これが例えば一昨年のドゥダメルのような若いチャレンジングな人選だったら、お互い余裕がなくうまくかみ合わずに終わってしまったかも知れない。
 終わってみればいつも以上に楽しめたニューイヤーコンサートだった。まだまだ予断を許さない状況の中、このような演奏を聴けて幸せだった。