「自分を律する」ということ

 確か岩城宏之のエッセイだったと思うのだが(これを機に出展を探したのだが見つけられなかったので記憶で書きます)、こんなエピソードを読んだことがある。

 岩城がある日、知り合いのある高名なヴァイオリニストを自分の演奏会に招待しようとチケットを渡した。だがそのヴァイオリニストはその日時を聞いて即座にこう断ったという。「すまないが、その時間にはどうしても外せない予定があって行く事が出来ない。でもその終演時間には予定が終わってるのですぐ駆けつけるから」
 そして演奏会当日、終演後程なくそのヴァイオリニストは演奏会場に現れて岩城に挨拶に来た。「聴きに行けなくて悪かったね」
 約束通り駆けつけてくれたヴァイオリニストに岩城は礼を述べると共に、なにげなく「ところでその"外せない予定"ってなんだったんですか?」
 そのヴァイオリニストは悪びれる様子もなく即答した。「いや、家で練習していた」

 これを読んだ時の驚きは忘れられない。なぜ驚いたのか。それは"外せない予定"というのは普通、誰かと約束してたとかその時間にやらないと誰かに迷惑をかけるとか、そういうどこか対外的なものを指すと思い込んでいたからだ。それを自分ひとりで練習するために招待を(それも悪びれることもなく)断るだなんて、随分と岩城も軽く見られたもんだな、といささか憤慨のおももちがあった。

 あまりに印象が強くてそれからも何かの折にふとこのエピソードを思い出したりしてたのだが、年月が経つうちにだんだん考えが熟成されてきたのか、徐々に印象が変わってきた。その人はプロのヴァイオリニストであり、しかも名声あるソリストである。常に高レヴェルの演奏をすることを求められており、そのレヴェルを維持するためには日々のたゆまぬ練習が不可欠なのは火を見るより明らかだ。
 そのヴァイオリニストにしてみれば、自分の練習時間を確保するというのは何にも増して大切な"予定"であり、すべてに優先して真っ先に押さえるべきことだったのだ。だから、むしろ見直すべきなのは――このエピソードを読んで驚き、憤慨すら覚えた自分の思い込みの方だろう。


 自分ももういい加減人生後半戦に入ってきて近頃思うのは、自分のような平凡な人間が何か少しでも成果を出そうとする場合、時たま思いつきでやるようでは大したことは何もできないということだ。気が乗った時に集中的にやったとしてもたかが知れているし、自分なりに頑張ったつもりでも後から振り返るとそれほどのことはできていない。ほんと馬齢を重ねてきて、いったい自分がどれだけのことをやってきたのか、そのあまりの少なさに情けなるほどだ。
 ただ、自分のような者でもなんらかの成果を上げることができる方法が1つだけある。それは「毎日少しづつ積み重ねていく」ことだ。ほんとにちょっとだけ、30分、いやなんなら10分でもいい。ただ毎日欠かさずひとつ事を積み上げていくこと。大事なのは使った時間よりも「決めた事をさぼらないこと」だ。1日1日の成果はほんのちょっとでも、1年間欠かさず積み重ねればふと振り向くと思った以上の成果が上がっている。5年、10年とやって行けば自分でもちょっと「えっ?」と思うほどのことがなされているのだ。ここ数年こうしたことを自分でも気にするようになって、「日々の積み重ね」の重要性がようやく実感できるようになってきた。
 こうして「毎日積み重ね」の習慣、ひとつ挙げると以前当ブログでも書いた漢字の書き取りがそうだが、何年も続けていくうちにいつしか日常で使うような漢字はすらすら書けるようになったし、また当初はなまってろくに動かなくなっていた字を書くのに必要な指の筋肉も、なめらかに動くようになった。この成果はまさしく日々の成果といっていいと思う。
 とはいえこの普通に10分程度で終わる習慣さえ、実際に毎日どこかの時間でやろうとすると、ついついどこかに紛れそうになって、欠かさずやろうとしてもつい忘れてしまう時がある。こんな時は翌日に2日分やって追いつくのだが、2日分ならともかく、それが3日・4日と溜まっていくとリカバリーがどんどん困難になっていき、遂には諦めざるを得なくなってしまう。

 そして思い出すのは冒頭のヴァイオリニストの言葉だ。一般的な感覚では彼の行動は「不義理」だろう。日本人の多くは、こうしたことは極力避けることが望ましいという空気の中に晒されていると思う。しかしこうした「不義理」を避けようとした結果「日々の積み重ね」が損なわれることも多く、しかもそれを「仕方ない」と思ってしまう。それが実は負のスパイラルであることにはなかなか気づけない。
 ヴァイオリニストの場合はその時間が毎日何時間も必要なのでなかなか難しいが、自分の場合にはやるのに短くて10分、長くても30分~1時間ぐらいのものだ。それを毎日実行し続けていくのに一番いいのは――1日の時間の使い方の中で、なるべく他への影響が出にくい時間帯を選択し、「その時間が来たらそれをやる」という習慣をつけることだ。
 「習慣をつける」と一言で言っても「言うに易し」で、その時間になっても疲れたりその気にならなかったりでついついサボりたくなる時もある。けどそれでもとにかく問答無用でやる、やらなかったら次の日に必ずリカバリーすると決めると逆にサボった方が重荷になるから渋々でもやる。その時間どうしてもできない理由があるならその時からリカバリーの事を考えておく――そうしていくことによってえっちらおっちら日々積み重ねていくと、やっぱりやったけの実績が上がっていることに、後々気づかされるのだ。

 「自分を律すること」というのは、こういう小さな事の積み重ねからだんだんに身についていくことだと思う。