ギャグとシリアスの狭間で ~みなもと太郎氏を心から悼む

 相変わらず、いや今までにも増して猛威を振るう新型コロナウイルスの感染拡大の中、またひとり千葉真一という昭和の大スターをこの世から失い、その死亡記事を新聞で読んでいたところ、ふと隅っこの方で小さく囲まれた訃報が目に入ってはるかに強い衝撃を受けて息を呑んだ。みなもと太郎、死去…。
 この瞬間、不朽の名作「風雲児たち」は永久に未完のまま強制終了することが確定した。


 書き出しというのはどんな作品でも重要だが、歴史ものを書こうとする場合、いったいどの時点から書き始めるか、というのは重要な選択だと思う。みなもと太郎も「風雲児たち」で幕末ものを書こうと構想するにあたって、その起点をどこにするか、を散々考えたのだろう、そして結局――関ヶ原から書き始めた。
 おいちょっと待て!というツッコミが聞こえてくる気がする。言うまでもなく関ヶ原の戦い徳川家康が政権を取るにあたってそのアドヴァンテージを決定づけた戦いである。この時点では幕末どころか徳川幕府自体がまだ存在すらしていない。僕自身、友人から勧められて読み始めた時はその意図が分からず、当初はそこまで大した作品に思えなかった。なにせ単行本第1巻まるまる関ヶ原の戦いが、それもギャグタッチで描かれ、小早川秀秋が思い切りアホに描かれるなど、単に「有名な歴史をおちゃらけて描いている」程度にしか思えなかったのだ。
 ところが――その中にちゃんと作者の独自視点があることが、合戦後に初めて気づかされる。もちろん史実通りに西軍は負け、西軍で参加した諸藩は様々な煮え湯を飲まされることになるのだが、その中に「なんのために関ヶ原にきたのかまったくわからない藩」が3つある事が示される。その3藩とは、薩摩・長州・土佐…。学校で幕末の歴史をかじった人ならば、その不思議な符丁に驚かない人はいないだろう。作者はそこに幕末の"芽"があるのを見つけ、そこが物語の端緒だと確信したのではないだろうか。
 第2巻以降も時系列的にはそのまま続き、関ヶ原の始末から徳川幕府の成立過程、家康という男が如何に用意周到で、自分の死後も徳川幕府が永続するためのシステム作りに奔走したか(確かにそれまでの戦国武将は天下人その人の能力に頼っていたから、こうした"システムの構築"という発想をこの時代に考えた家康という男の先見性には目を瞠る)が描かれる。そして初期徳川幕府で、家康の死後、徳川家に不思議な縁のある大老保科正之によっていかに徳川幕府というシステムが確立していくかを、このマンガはしっかり描いていく。
 この時点でこの「風雲児たち」というマンガの独自性がはっきり見通せてきた。江戸徳川260年の歴史を、家康という卓越した天才が作り上げた江戸幕府というシステムの歴史としてとらえ、幕末の時代、そのシステムがいかに綻び、崩壊していくかを描いてこうとしているのだ、と。言わば歴史そのものを主人公とした群像劇。そう、SF文学の古典、アジモフの「ファウンデーション」シリーズにも通ずるような一大歴史絵巻の姿が垣間見えてきた。
 もっとも当初の構想からそうであった訳ではないそうで、最初は普通に坂本龍馬を中心とした幕末群像劇を描こうとしていたらしい。ただ龍馬を描くためには背景としてこれを説明する必要があり、これの説明として前提としてあれにも触れなければならず…とどんどん遡っていった挙げ句、結局「徳川幕府の成り立ちから描かなきゃだめじゃん!だとすると、書き出しは――関ヶ原!」となってしまったようだ。

 こうして第1部として徳川幕府の確立を単行本4巻にわたって描き、これで江戸幕府の土台がためはできた、ようやく時を飛ばし一気に幕末に――とはならなかった。あくまで目的は幕末であり、別に江戸時代全体を時系列を追うことは考えてはいなかったが、こうして描き始めた以上、この確立したシステムが綻び始めるのはいつか、との視点で考えるようになり、そして次に着地したのは――第1部から約150年後、田沼意次の時代だった。
 田沼時代といえば、以前は収賄が横行した暗黒時代なんてイメージがあったが、現在はそのような見方をすることは少ない。確かに金が力を持つようになってきたのは確かだが、貨幣経済が充実し、いわば日本における重商主義が成立した時期といえるだろう。そしてその時代の変化を読み取って巧みに後押ししたのが老中田沼意次だった。
 ただしこうした"時代の変化"は家康が構築したシステムに軋みを生じさせ始めた。というのも徳川幕府システムは鎖国という閉鎖された世界の中で、徳川将軍を頂点とするゆるぎない身分制度を大前提として構築されていたからだ。それがこの時代、貨幣経済の発展によって、その前提が揺さぶられ始めた。
 まず貨幣経済の発展に伴い産業はそれまでになく盛んになり世の中は豊かになっていったが、それとともに各人が自分の才覚により金を稼ぎ、かつ力をつけることが可能になった。すなわち、それまで身分制度の下ガチガチに押さえつけられていた個人の一部に、自分の才能を発揮させることが可能になり、それとともに身分的には低くとも金を稼ぎ、その金で時には武士でも逆らえない力を持つことができるようになる。それは身分制度に亀裂を入れる結果となった。
 次に、がんじがらめに鎖国して他国の情報を遮断したはずが、唯一開いた長崎の出島という狭いトンネルを通して少しづつ、外国の先進的な技術が漏れ伝わってくるようになっていった。もともとは幕府が貿易の利権目的で厳しい管理のもと運営してきたものが、これにより西欧諸国の先進科学技術とそれに伴い、日本とはまるで違う合理主義的な考え方や社会組織が徐々に一部の人々に浸透していくことにあった。
 みなもと太郎はそこに徳川システムの崩壊の芽を読み取った。そして実際この田沼時代に、それまでにない個性を持った人物が次々と輩出していったのだ。前野良沢杉田玄白の「解体新書」組に万能の天才平賀源内、そして逸早く外国に目を向けて優れた著作をあらわした林子平、さらに北方を探検し日本の在り方を見つめた最上徳内に特にスポットを当て、その周りに集った様々な人物を取り上げて、それまでとは違う百花繚乱の個性を描き出した。
 田沼意次はこれらの人物をひそかにバックアップする要人としての役割をするが、一方で当然ながらこうした動きを警戒した人物もいた。単に時代遅れの保守的な人物だというだけでなく、中にはこの動きは徳川システムに仇なす危険分子だと悟った人もいただろう。最終的には揺り戻しが起き、田沼意次は失意のうちに失脚、ここに登場した"早すぎた人達"の多くも悲惨な末路をたどる。田沼意次に代わり反動的な松平定信が実権を握るなど、徳川システムを再整備するような時代が来る。
 しかし一旦生じた綻びは完全に埋まることはなく、その後何度となく揺り戻しを経験しながらも止まることなく確実に大きくなっていく。そんな中、大黒屋光太夫のように遭難を経て実際にその目で外国を見、帰国する者も現れ、一度開いた窓は少しづつ拡がりをみせ始めた――。

 さて、「風雲児たち」の最初の方の流れをごくかいつまんで話してきたが、お分かりのように作者は徳川幕府の歴史そのものにどんどんのめり込んでいった。登場人物は巻を追うごとにどんどん急増し、時代の流れもじっくりと遅くなり先に進まなくなってくる。それにこっから先は特に目立って時代をすっ飛ばすこともなかったのだ。この調子ではいったいいつ幕末にたどり着くのか…?
 実際その心配は杞憂ではなかった。何よりも掲載誌「コミックトム」の編集部自体がいらつき始めた。いつになったら幕末に入るのだ、いますぐ幕末に入らねば連載を打ち切るぞ、そんな圧力が日に日に強まり、遂には単行本1巻分で30年分を一気に駆け抜ける"暴走"を経験する(第17巻)。これにより高田屋嘉兵衛をはじめ何人かがごくごく簡単に触れらるだけで終わってしまうといった事態が起き、当時読者からも多大な反発があったが、どうだろう、作者自身「このまんまではいつ終わるかほんと分からんぞ」と弱気になったこともあったかもしれない。
 まぁこのおかげで話はシーボルトとその娘いね、高野長英江川太郎左衛門英龍、村田蔵六大塩平八郎、そしてジョン万次郎といった幕末に直接つながる人達の話になりますます充実してくるが、この暴走箇所もできることなら番外編でもいいからちゃんと書いて欲しい、という気持ちは常にあった。

 でも編集部との軋轢はその後も完全に消えたわけではなかった。当時そんな裏事情を知らなかった僕は「コミックトム」を「今もっとも充実しているマンガ雑誌」と信じて疑わなかった。もちろんこの雑誌が某新興宗教の息がかかった出版社から出ていることは承知(またみなもと太郎自身、学会員であることを隠そうとしなかった)していたが、作品自体に宗教色は感じなかったし、かの横山光輝「三国志」手塚治虫ブッダ」を始め、息の長い真の傑作をじっくりと描かせてくれる雑誌だと思っていた。
 だが結局――単行本で追っていた自分は第29巻の末尾で遂に黒船来航にたどり着いたのを見て「ようやく真の意味で『風雲児たち』が始まる」と高揚した。それからしばらくして発売された第30巻が――宝暦治水伝を取り上げた外伝であることに驚き、かつこれが「風雲児たち」の最終刊であることを知り信じられない気持ちで呆然としてしまった。
 ここで雑誌「コミックトム」自体が休刊、「コミックトムプラス」という新雑誌にリニューアルした。「風雲児たち」も「雲竜奔馬」としてリニューアル…と聞いていたが、この作品を読んで心底失望した。そこには僕が「風雲児たち」に求めていたものがなにひとつなかったからだ。「雲竜奔馬」はおそらく一番最初にあった構想、坂本龍馬を主人公とした幕末もので、しかし龍馬を主人公としたこと自体が失敗であったことは明らかだった。「風雲児たち」にあった歴史的壮大さはかけらもなく、主人公が駆け回る辺りの描写しかできないことが足枷になって極度に矮小化された世界しかなかった。描いていく内になんとかならないだろうか――との思いもむなしく。結局「トムプラス」自体短命に終わり、「雲竜奔馬」は中途半端な打ち切りの憂き目に遭う。ここに「風雲児たち」の未来は完全に途絶えてしまった――と思った。

 しかし、ここまで営々と築き上げてきた実績はそうそう消えなかった。中断を惜しむ声が相次ぎ、そして「雲竜奔馬」終了の翌年、"拾う神"が現れた。リイド社が刊行する時代劇専門誌「乱」だ。時代劇の、劇画調のマンガが主流のこの雑誌の中でギャグタッチの歴史ものはいささか異質ではあるが、同じく江戸時代を舞台とする意味では共通項も多い。こうして満を持して「風雲児たち」の正式な続編たる「風雲児たち 幕末編」が連載開始した。
 再開第1回の接ぎ穂として登場したのは、前作ではまだ登場してなかった、しかし幕末を語る上で決して避けては通れない井伊直弼。一生を部屋住みで終わるはずだった彼が、いかにして井伊家の家督を継いで大老への道を歩み始めるか、そこから語り始め、さらには前作末期で重要な役割を担っていたシーボルトの娘いねも登場、その後も次々と主要登場人物が揃い始めた。
 そして何よりも嬉しかったのは、この「幕末編」が前作の正当な続編として描かれ、中途半端な出来だった「雲竜奔馬」はまさしく"なかったこと"として扱われていたことだ。そのため「幕末編」の最初の方では「雲竜奔馬」で描かれたシーンが再度描かれているが、それによって「雲竜奔馬」を読む必要なく話がつながっていった。
 「幕末編」を読み進む内に、今度は編集部がみなもと太郎に全幅の信頼を置いて、今度こそ思う存分描きたいように描かせていることが伝わっていた。苦節20年、遂に「風雲児たち」は理想的な発表の場を得たのだ。

 以来20年近く、「風雲児たち」は滞ることなく順調に連載を続けていた。しかし――読み進む内に「大丈夫か」という別の不安が次第に鎌首をもたげてきた。
 物語の進行が、目に見えて遅くなってきたのだ。
 理由ははっきりしていた。いよいよ幕末の佳境に入っていくにつれて様々な人物が同時進行的に様々な動きをし始めた。みなもと太郎はそれらすべて丹念に調べ上げて自分なりの解釈を加えてまとめ上げ、微に入り細を穿ちことごく網羅していこうとしていたのだ。そのすべては歴史の流れを構成するのに必要な要素であり、それらをはしょっていては自分の考える"幕末史"にならない。そう、これは彼が関ヶ原を起点にすると決めた時から宿命づけられていたのかもしれない。みなもと太郎は歴史に魅入られていたのだ。
 ひとつの大事件を前に、その前提としてこっちではこんなことが、あっちではあんなことが…と時系列を何度も戻りつ何度も別視点で繰り返すことも珍しくなくなった。ある意味ストーリーを語る上では破綻していると言っていい。しかしそれは歴史の前では二の次だ。そして彼の40年にわたる実績は、そうしたことを容認できてしまう編集者と読者を獲得していた。だからこそ最近は作中で1年時が進むのにえらい時間がかかったし、さらに本来の大事件を語る際は単行本1冊まるまるそればっかりで構成されることもざらだった。再開第1回で井伊直弼が登場することを述べたが、彼が桜田門外の変で暗殺されるのは「幕末編」第21巻、実に初登場から10年以上後のことだった。
 読者はそれでも皆大歓迎。ただ、次第に心配になってきたのはみなもと太郎自身の年齢だった。このペースでは、明治維新に到達するまでどう少なく見積もってもあと10年は連載を続ける必要があるだろう。しかしみなもと太郎は既に70歳を越えている。本人がこの作品の終着点をどこに設定しているかは分からないが、はたして完結まで寿命がもつのだろうか――。
 近頃は不安を抱えつつ、それでも年齢を感じさせない健筆は期待を抱かせるに充分だった。なにしろ画業50年に達する大ヴェテランが、連載を抱える一方でコミケに同人誌を出版し、しかもそちらでは堂々今時の萌え絵を披露している(さすがにそちらまではチェックしてないが、艦これとかが好きだったとか)と聞けば、その若々しさには驚くしかない。
 しかし予感は的中してしまった。それも思ったより早く。昨年の前半までは変わらぬペースで連載を続けていた(その頃にはちゃんと新型コロナネタまで織り込んでいる)のに、後半になって休載したままなかなか再開しない。大丈夫か…そう心配していた矢先にこの訃報である。享年74歳。直接の死因は心不全であるが、昨年より肺がんを発症し闘病していたことが訃報には記されている。
 生前最後に刊行された「幕末編」第34巻には文久2年、高杉晋作らによって英国公使館が焼き討ちされる前夜までが描かれている。関ヶ原から書き始められた大河歴史ギャグ絵巻は、明治維新まであと5年にまで迫ったところで永遠の中断に入った。

 ――ただただ残念でならない。個人的にはこの後、将軍としての慶喜がどのように描かれるかをずっと心待ちにしていた。いろいろ評価が分かれて、歴史ものでも描かれ方が千差万別な人物だが、「風雲児たち」では群を抜いて傑出した能力を持っていながらどこか不安定さを感じさせる人物として描かれており、みなもと太郎の手によって彼が「大政奉還」や「鳥羽伏見の戦い」でどのような描かれ方をするのか、想像するに楽しみにしてのだ。


 「風雲児たち」であまりに長く書いてしまったが、この作品のもうひとつの大きな特徴は、これだけの大著な歴史物でありながら、一貫してギャグマンガの体裁で描かれていることだろう。まぁあくまで"ギャグマンガの体裁"であってギャグマンガとして評価できるかというとそれは難しい。ギャグがあまりにもベタだし、時折吉本新喜劇のネタを引用することからも分かるように「ここは笑うところですよ」とわざわざ示しているようなのが多く、正直「風雲児たち」で笑った試しというのはほとんどない。しかしそれは重要ではない。重要なのは、本質的にどうしようもなくシリアスで息が詰まるようなシーンを、一見気楽に、かつその中に人物の本質を突くような洞察力でもって描写しているところだろう。

 印象に残ったシーンをひとつだけ。かなり最初の方、徳川家康臨終のシーンを引用させてもらう。
 家康「露と落ち 露と消えぬる我が身かな お江戸のことは夢のまた夢… 辞世じゃ」
 秀忠「それは豊臣秀吉の辞世ではありませんか」
 家康「わあっはっはっはっはっはっはっ、これでヤツのものはすべて奪ってやったわ~っ」
 そうして息を引き取る。戦国の最後の最後にすべてを手中にし、そのまま自分の子孫に未来永劫引き継ごうとさせる、その壮絶な人生をまざまざと感じさせる名シーンだった。


 そうして考えると、みなもと太郎氏は生涯一貫して「ギャグマンガしか描かなかった」作家だった。しかも、シリアスをギャグ化するのにその生涯を捧げているのだ。僕が氏のマンガに初めて出会ったのがいつなのか特定できないが、子供の頃からいつの間にかこの絵には馴染みがあった。出世作である「ホモホモ7」もどっかしらで読んだ憶えがあった。
 そしてこの「ホモホモ7」からして"シリアスをギャグ化する"姿勢は一貫している。書き出しはやたら線の多い劇画タッチで描かれ、そんな中で主人公で凄腕スパイであるホモホモ7が満を持して登場する。しかしその主人公だけが空白の多いギャグタッチなのである。これはもうさすがに笑った。それもツボに嵌まってゲラゲラとしばらく笑いが止まらないぐらい受けた。しかしすごいのは、こんなほとんど出落ちの一発ギャグ的な発想で、単行本2冊分まるまる持たせるだけの筆力だ。大分後になって復刻された「ホモホモ7」を改めて全部読み、なによりもその事に感服した。
 そしてその後、「風雲児たち」を書き始めるまでの作品を見ると、「ハムレット」「シラノ ド ベルジュラック」「レ ミゼラブル」といった西欧の名作を次々とギャグマンガ化していった。この頃、氏は自分の作風を確立していったと言っていい。なにせ、こんな誰もが知っているような名作をこんなおちゃらけて料理していって、しかも最後には感動させてしまうのだから。こんな才能、他にはない。なんだろう、誤解を恐れずに言えば、みなもと太郎は自分のギャグで必ずしも読者を笑わそうとしていない。ギャグタッチにすることによって、表現を柔らかく、かつシンプルに消化、さらに読むものをリラックスさせてその本質を理解しやすくする、そのためにギャグマンガの体裁を利用していたような気がするのだ。そして本当に決めたいところではシリアスに剛速球を投げ込む手腕も持ち合わせており、その絶妙な緩急のつけかたにより、より一層読む者の心に突き刺さるような呼吸を会得していた。
 そして1979年、こうした誰にも持ち得ないような"武器"をひっさげて「風雲児たち」の連載を始める。当初はこんな生涯をかけたライフワークになるだなんて思っていなかったかもしれないが、まさしく漫画史に残る空前の大作に成長させてしまった。江戸時代のことを知りたいのであれば、まず何よりも真っ先に読め!と推薦したい画期的な作品だ。残念ながら未完に終わってしまったが、この後の事は自分で調べて自由に想像の羽を広げてもらいたい、そのための種はしっかりと敷き詰めてある。

 生涯、ギャグとシリアスの狭間を自在に行き来して作品を残した唯一無二の作家、みなもと太郎。その偉大なる業績を仰ぎ見ながら、心から追悼の念を強くした。彼への思いはいくら書いてもあふれてきてとどまるところを知らない。僕もこの辺で筆を置くことにしよう。