コロナ禍でのニューイヤーコンサート

 今年も元日にウィーンフィルニューイヤーコンサートが無事開催された。

 もっともこの世界的なコロナ禍の中、いつも通りに開催することは到底無理な話で、結局史上初の無観客開催となった。ただ金銭的に見れば、世界中の90もの国や地域に配信され、さらにはCDやブルーレイが発売されるのだからそちらの方が来場者のチケット代より遙かに多くの売り上げが見込まれるから、大きな損失にはならないだろうが。

 しかしそれでも会場内の雰囲気は異様だった。なにせ客席には誰一人座っている者はなく、ウィーンフィルムーティがステージに登場しても当然ながら拍手は一切無く静寂が支配している。ムーティの登場に際してはさすがにオケのメンバーが音を鳴らして迎えるが、逆にその少ない音が寂しさを醸し出す。代替案として事前に申請された人によるオンライン拍手が導入されたが、それが行われるのは各部の終演後のみで、ひとつひとつの曲間は終わっても物音ひとつしなかった。

 またメンバーの感染対策として、団員は非常に頻繁に(楽団長のフロシャウアー氏は「毎日」と言っていたが本当だろうか)PCR検査を行っているそうだが、ということは逆に、検査の結果感染が発覚し出演できなくなったメンバーが相当数いるのではないだろうか。今回オーケストラのメンバーを見ていて気がついたのは、いつになく女性の姿が目立つことだ。ウィーンフィルが世界的なオーケストラの中でも特に女性の参加が遅れた団体であることは確かだが、近年はさすがに女性団員も増えてきた。しかしいくらなんでもこんなにずらりと女性が並んだ姿は見たことがない。例年ニューイヤーコンサートともなればさすがに現在の主要メンバーがずらりと並んで壮観なのだが、今年はなんか見覚えのない顔が多い。また女性団員もだいたい弦に偏っているのだが今回は木管にもちらほらと女性の姿が見える。特に2ndクラリネット若い女性が座っているのには驚いた。今までウィーンフィルのクラに女性が座ったのは記憶にない。
 ただ今ちょっと調べてみたら、彼女は一昨年ウィーン国立歌劇場管弦楽団に入団したAndrea Götschという女性らしい。とはいえもちろんまだウィーンフィルメンバーではなく、おそらく推測だが今回のコンサートには、彼女のようなウィーン国立歌劇場管弦楽団からの助っ人がかなりの数混じっていたのではないだろうか。

 しかしそれはそれとして、今年は特に素晴らしい内容の演奏会になった。その立役者としてやはり指揮をしたムーティの名を真っ先に挙げるべきだろう。かつて初めて彼がニューイヤーをに登場した頃はまだ若くて血の気が多く、ウィーンフィルをけっこう駆り立てて音楽がいささかせかせかしたものになっているのを感じた。「シュトラウスロッシーニクレッシェンドするなよ」なんて思ったのを憶えている。しかし彼も今や大ヴェテランになり(あの伊達男が今年80歳になるとは!)、前回2018年に登場した時も、いい意味で脂が抜けて音楽が自然に流れるようになり、ウィーンフィルの持ち味をうまく引きだしているのに感心した憶えがある。要所では手綱をとりつつ基本ウィーンフィルに勝手にやらせる術を会得したみたいだった。そして今回、音楽の流れはいよいよゆったりと悠揚せまらぬ流れになっていたようだ。これはひとつには今回無観客で行われた事も作用したのだろう。観客のいないムジークフェラインザールはいつに増して残響が長くなったようで、速めのテンポでやったら前の音が消え入る前に次の音で塗りつぶされて響きが濁ってしまう危険があった。しかしこのゆったりとしたテンポによって響きがますます豊かに馥郁たるものになっていたと思う。その棒は抑制が利いたもので、ウィーンフィルに最低限の鞭を打つだけでうまく乗せる術を、長年の共演の中で身につけていたのが今回功を奏していたのだろう。もっとも「春の声」や「皇帝円舞曲」といったワルツのラストではいささかやり過ぎと言えるほど溜めて演奏したのはちょっと鼻についたが。
 で、アンコールはどうするんだろうと観ていて気になっていた。例年恒例の、「美しき青きドナウ」のイントロで拍手が巻き起こって中断→新年の挨拶への流れとか、ラデツキー行進曲の手拍子とか、観客が前提のお約束はどう対処するのかと思ってたが、結局「ドナウ」ではまずムーティがマイクを持って挨拶した後おもむろに演奏を始め、ラデツキーももちろん手拍子なし。手拍子を引き出すために慣例として挿入している冒頭の小太鼓も省略して普通に演奏を始めた。しかしこれはこれで無理に観客に流されることなく自然な音楽作りにつながったと思う。結果として今回のニューイヤーコンサートは演奏者のペースでテンポよく進行していき、聴いていて「次はどうなるだろう」と始終わくわくしながら最後まで聴き通すことができた。

 結果的に今回の指揮者がムーティでよかったと思う。ウィーンフィルとの実績豊かなヴェテランだったからこそ、コロナ禍での初めての無観客といういつにない異様な状況でも逆に災いを転じるようなことができたのだ。これが例えば一昨年のドゥダメルのような若いチャレンジングな人選だったら、お互い余裕がなくうまくかみ合わずに終わってしまったかも知れない。
 終わってみればいつも以上に楽しめたニューイヤーコンサートだった。まだまだ予断を許さない状況の中、このような演奏を聴けて幸せだった。