二律背反

 明日、それでも初詣に行こうとする人はいったいどれぐらいいるのだろうか。

 もちろん、このような時だからこそ神仏に詣でて祈願したい、という気持ちも分かる。痛いほど分かるけども、結局それは感染リスクを自ら上げる行為に他ならない。

 最近の風潮で腹立たしいのは「感染症対策をきちんとしているから大丈夫(文句を言われる筋合いはない)」という言動が(特に政治家に)目立ってきたことだ。勘違いしないでもらいたい。マスク装着やソーシャルディスタンスは感染リスクを軽減することはあってもなくなることは決してない。まして現在のような市中感染が蔓延している時には、大丈夫なんてことは絶対にあり得ないのだ。
 ちなみにマスク装着は確かに有効な手段だが、それは全員もれなくマスクをしている時に限られる。もし100人中99人がマスクを装着していても、残りひとりがマスクをしていず、その人が(無症状でも)感染していた場合、99人のマスクの効果はほとんど無に帰するのだ。

 初詣に行きたい気持ちは心情的には分かるが、どのような理由であれ、現在人混みの中に出歩くのは合理的ではなく、この2つは相反して並び立たない。「感染症対策」云々は、結局の所言い訳でしかないのだ。

気がつけばそばにいた~筒美京平の音楽

 筒美京平が亡くなった…と聞いてもその時は特に感慨はなかった。
 そういえば最近とんと名前を聞かなかったなぁ…そんな感じで、80歳、そんな年だったのか、との事実をただ飲み込んだだけだった。

 しかし以降TVでは彼の作曲した歌の数々のついて取り上げる特集が相次ぎ、そのヒット曲を紹介されるにつれ、やはりじわじわと感興が湧いてきた。(そうか、これも筒美京平だったのか)(え、これも!?)と改めてその業績を思い知らされる。中でも一番驚いたのは「サザエさん」主題歌が彼の作品だったと言うことだった。

 「ブルーライトヨコハマ」「また逢う日まで」ここら辺は自分が物心ついた頃に自然と耳に入ったヒット曲なのでその頃の刷り込みがすごいのだが、これらは彼の作曲家としてのキャリアの最初の方を飾った作品だと分かる。
 それから、「17歳」「わたしの彼は左きき」「私鉄沿線」「ロマンス」「東京ららばい」「魅せられて」「卒業(斉藤由貴)」「なんてったってアイドル」…。よくぞここまで、と思うほどの思い出深いヒット曲が並んでいる。どの歌もキャッチーなメロディと印象的なサウンドでついつい耳をそばだたせてしまうものがある。
 個人的には「雨だれ」「木綿のハンカチーフ」「最後の一葉」といった太田裕美の曲が感慨深い。どれもしっとりとした叙情性の内に強靱な力強さを併せ持っており、そのアコースティックな響きとともに心に深く刻み込まれる楽曲だった。

 こうして並べられるとその数・幅・時代ともに振り幅の大きさに改めて目を瞠るが、逆に言うと「筒美京平らしさ」「筒美京平ならでは」といった作家性というか個性というものは不思議なぐらい希薄なのだ。日本のポピュラー作曲家というと僕は以前から いずみたく の作品を偏愛しているが、筒美作品には いずみたく のような一本芯の通ったものが良くも悪くもない。むしろ作品ごとの多様性が顕著で、全般的にポップで軽快な曲が多いという傾向こそあるものの、ちょっとひとりの作曲家の業績とは結びつけられないのだ。
 彼と同時代に活躍した歌謡曲の作曲家というと、平尾昌晃・宇崎竜童・都倉俊一といった人達が思い出されるが、これらの人と比較して、筒美京平の名前はよく聞いてたのに人となりはまったくといっていいほど思い浮かばない。上記3人は歌手として、また審査員としてTVへの露出もけっこうあったが、彼はまったくといっていいほどTVには顔を出さなかったのだ。つまり主役は歌手と割り切り、自分は裏方と徹してたといっていい。

 先頃NHKスペシャルで「筒美京平からの贈りもの 天才作曲家の素顔」と題された番組が放映されて、それを観て気づかされたのが、類希なる音楽センスを持ちながら、それを前面に出そうとすることを潔しとしなかったことだ。むしろ自分を出すことを極力戒め、「名曲」を作ろうとはせずただひたすら「ヒット曲」を追い求める真摯な姿勢がうかがい知れた。そのために時代や流行を敏感に感じ取り、「今何が売れるか」に常に目を光らせる。その姿勢はキャリアを積めば積むほどより謙虚になった。番組中で特に目を惹いたのはC-C-Bのデビュー曲「ロマンティックが止まらない」に関して起こった2点だ。まずは元々バンドのメインヴォーカルではないドラムの笠浩二をヴォーカルに選んだこと。確かに彼の声質は非常に耳に引っかかるものを持っている。そしてレコーディング中、笠がメロディの一部を譜面通りでなく、勝手に変えて歌ったのを採用したことだ。当時筒美京平といえば泣く子も黙るビッグネーム、対して笠はこれからメジャーデビューしようという新人、力関係は歴然としている。普通の作曲家ならば頭ごなしに否定されただろう。しかし筒美京平は"若者の感性"を信じて改変を受け入れた。
 どちらがメロディとして優れているか、僕は改変後のものが頭に焼き付いているので冷静な判断はできないが、彼の中ではそんなのは無意味なのだろう。なぜなら「ロマンティックが止まらない」は大ヒットしたのだから。

 その他、正直歌唱力が未熟なアイドルの作品を数多く手がけた事も特筆すべき事項だ。70年代から80年代にかけて、確かにアイドルとしては成功したがその歌声は…という人が指折り数えるほど存在し、しかも筒美作品によって大ヒットを飛ばしている。「赤い風船」「センチメンタルジャーニー」「スニーカーぶる~す」…。これらの人達の曲を書く時、しばしば直接呼んでレッスンをほどこし、その声が生きる所を的確に見抜き、彼ら・彼女らの声が最大限生きる曲を"当て書き"することができたのだ。確かにこれらの曲は、その人が歌うと独特の魅力を発している(逆に他の人が歌うとピンとこない)。これぞプロの仕事と言うべきものだった。

 しかしこの徹底したプロ意識は成否を併せ持っていた。昭和歌謡界をあれほど席巻した筒美京平が、時代が平成に変わるとともに不思議なぐらい目立たなくなったのだ。その理由のひとつは、70年代のフォーク・ニューミュージック隆盛の頃からその芽はあったのだが、平成の初めに起こったバンドブーム以来たとえ未熟な面があってもそのアーティストの個性が尊ばれるようになってきて、「プロの仕事」は必ずしも尊重されなくなってきたことが挙げられる。アマチュアがメジャーデビューする敷居も低くなっていき、自作自演も当たり前になり、間口の広まりとともに新たな才能も見いだされるようになる。そうした時代の変化とともに、筒美京平の才能は次第に行き場を失っていったのだろう。なんでも万能に手際よくこなしていく手腕よりも、逆に小室哲哉のように、何を聞いても小室と分かるような個性の方が受けた。なによりこれらの台頭により、筒美京平の主戦場であった歌謡曲の世界そのものが希薄になっていったのだ。代わりに「邦楽」だの「J-POP」なんて呼ばれるようにつれて、筒美京平は完全に行き場を失っていったのだろう。ここで、それこそ「筒美メロディ」なんて呼ばれるような特徴があったらまだ活躍の場は残されていたかも知れないが、今度はその多様なプロの仕事っぷりが逆に足かせになっていった。彼の音楽センスは元々非常に柔軟性に富んでおり、自分を前面に出すよりも外部からの刺激を受けてそれを取り入れ、自家薬籠中の物とすることによって新しいものを生み出してきた面が強い。それが作曲の依頼が滞ることによってその外部刺激そのものが減少し、それが結果的に彼の作曲活動そのものを低調化させてしまい、かつてはうまく回ってヒット曲を量産できたサイクルが逆に負のループへと陥っていった。
 そうして、作曲活動という面では必ずしも恵まれない晩年となってしまった。

 ヒット曲を書くことを第一義とした作曲家人生、ヒット曲を生み出せなくなった晩年、彼はどんな思いでいたかはもはや預かり知れない。しかし彼にとっては意外なことだろうが、その作品は残っている。TVのいくつかの追悼企画の中で、「木綿のハンカチーフ」が特に取り上げられる例が複数あったが、確かにこの曲は今見ても非常に画期的なものだった。当時メロディが先に作られることが多かったこの世界で、この曲は松本隆の詞が先に作られ、後から筒美京平が曲をつけた。しかも松本隆があえて曲がつけにくいような構成(前半が男性が語り、後半がそれに対する女性のアンサー)で書き上げ、そのため筒美も最初かなり苦労したらしいが、それを乗り越えたことによって非の打ち所のない名曲になった。
 そう、筒美京平自身は必ずしも歌い継がれる名曲など狙ってなかったかも知れない。しかしその類希なる音楽センスを持って書き上げられた楽曲は、結果的にしばしば時代を超えて生き続けていった。
 筒美京平という名前は知られていた。そして彼が作った歌も数多く今も生命を保ち続けている。ただその両者がしばしば結びつかなかっただけで、ふと気がつくと自分たちが筒美京平作品になんと囲まれて生きてきたのか、と思い知らされてしまうのだ。このことこそ、彼にとって一番の勲章だったのかもしれない。

トランプと陰謀論

 トランプが悪あがきを続けている。

 長くかかったアメリカ大統領選も、どうやらバイデンの勝利がほぼ確定的になった。
 それにしても「負けを知らない男」トランプは決してそれを認めようとはせず、「開票に不正があった」として法廷闘争に持ち込もうとしている。
 それ自体は以前から予測されていたことであり意外でも何でもない。むしろ予想通り過ぎてあきれるほどだ。


 トランプが大統領を続けたこの4年間、いったい何度同じような事態を目にしただろうか。大統領の権威を笠にとり、自分の都合の悪いことは「不正だ」「フェイクニュースだ」と相手を非難・否定することによって自分の非を認めないでここまできたのだ。今回も「郵便投票は不正の温床」「郵便投票が開票される前の(自分が有利な時点の)段階で投票を打ち切るべきだ」と主張し、実際に次々と訴訟を起こしている。
 今回の矢継ぎ早の訴訟騒ぎに関しても「不正の証拠はある」と言い張っているが、断言しよう、この証拠が出てくることは決してないだろう。
 結局今までもトランプはこうしてブラフを噛ますだけで、実際に具体的な証拠を出したことはないのだ。
 今年に入ってからも、新型コロナウイルス(COVID-19)の発生源に対して「武漢の研究所が流出させたという決定的な証拠がある」と大見得を切っておいて、結局その証拠は出さな――いや、出せなかった。

 そしてトランプの不正発言に呼応するように、ここ数日ネット上などで怪情報が飛び交っている。

 曰く「投票所でトランプ票が捨てられた」
 曰く「どこからともなくいきなり大量のバイデン票が現れた」
 曰く「投票率が200%に達した」

 いや、冷静に考えれば、こっちこそ典型的なフェイクニュースだろ、ふつー。

 しかし恐ろしいことに、トランプのやり方に4年間晒されている内に、こういう考えがトランプの支持層に広くはびこってしまい、合理的な判断力が失われつつあるように見える。これら立証されてない噂を元に、選挙の無効を訴える騒ぎがあちこちで起こっているのだ。

 その根底にあるのは、自分に不利な状況に陥った場合、「自分は悪くない」「相手の方がおかしい」と常に考えて自分側の問題点を回避しようとするその思考回路だ。この思考回路、それこそ巷にはびこる「陰謀論」と共通している。自分がうまくいかないのを「すべてはフリーメイソンが悪い」と言っているのと本質的には変わらない。

 そう、トランプおよびトランプ陣営がわめいていることはとどのつまり根拠の乏しい陰謀論でしかない。しかし当人はその事に気がつかないのだ。

 アメリカの分断が叫ばれて久しいが、それを激化させた原因のひとつに、トランプがこの「すべては向こうが悪い」という考えを国民に植え付けた事が挙げられる。この「自分に甘く、他人に厳しい」教えによる排他的な考えが、現在の対立激化を助長させたのだと思う。

 すべてはこのひたすら独善的でしかない男をトップに掲げ続けた弊害と言っていい。トランプが今後どのようなシナリオで奇跡の逆転劇を演じようとしているのか、訴訟の嵐で時間稼ぎをし、最終的に下院で決定させるという説が有力だが、この提訴も次々と棄却され続けているのが現状だ。もうそろそろトランプの化けの皮が剥がれてきたようにみえる。

 この敗北を機に、トランプが速やかにホワイトハウスを去ることを心から願う。

"スター"のまばゆさ ~山口百恵ラストコンサートを観て

 '70年代に少年期を過ごした自分にとって、山口百恵は特別な存在感を持っていた。

 別段ファンだったわけではない。コンサートはもちろんレコード(当時)を買ったこともなく、ただ単にTVに出てるのを観ていた程度だが、なのに年を重ねるごとに芸能界での存在がどんどん大きくなっていくのをリアルタイムで感じていていつしか唯一無二の存在になっていた。
 もっともデビュー当時はそれほど目立ってた訳ではない。というか同時期のアイドル歌手の中ではむしろ目立たない方にいたと思う。一応「花の中三トリオ」のひとりとして名は通っていたものの、当時から傑出した歌唱力を持っていた森昌子・アイドルらしい天真爛漫な輝きにあふれた桜田淳子と比べると、どこかおとなしめで地味な印象を与えた。
 それが少しして「禁じられた遊び」「ひと夏の経験」といったちょっと思わせぶりな歌を発表し、その優等生的なイメージと歌の内容とのギャップが逆に鮮烈で、他の2人にはない独自の立ち位置を確立していった。

 しかしそれはまだ助走段階にすぎない。「横須賀ストーリー」に始まる一連の阿木燿子・宇崎竜童コンビの歌を歌うことにより、それまでのアイドルの枠をすべてぶち壊すような独自の存在へと変貌していくのだ。なにより「プレイバック part2」は衝撃だった。あんなドスを効かせた("シャウト"なんて言葉、当時の中学生は知らなかった)歌い方、途中完全無音の間("ゲネラルパウゼ"なんて専門用語、当時の(以下同文))を配して緊張感を高める作曲技法、そのすべてが新鮮だった。それからはもう向かうところ敵なし、当時のアイドルすべてを飛び越して"特別な存在"になっていった。

 そしてなにより、こうした絶頂期においての結婚・引退発表。そして本当にラストコンサートを最後に表舞台からすっぱり消えてしまったのだ。当時の記者会見で「三浦友和の"女房"になりたい」と言っていたのが印象に残っているが、ほんとうにその去り際の鮮やかさは他に例を見ず、それ故に逆に彼女は"伝説"になった。

 閑話休題。その伝説のラストコンサートの模様が、この前いきなりBSで放映された。確かその当時もこのライヴはTVで生中継され、その最後の方だけちょっと観た憶えがあるのだが、なんだろう、放映されると知った途端そうした一切合切の記憶がいろいろ押し寄せてきて、1回ちゃんと全部観てみようという気になったのだ。
 なので録画の上、最初からじっくりと、時折巻き戻しながら再生してみた。

 

 なんだか開始直後から異様な空気が漂っているのを感じる。もう40年も前の映像と聞いてその年月に驚くけども、録画映像を観ているだけでなんかその時代に逆戻りしたかのような妙な臨場感があった。インストゥルメンタルのイントロダクションの後登場した山口百恵は、肩の辺りが大きく膨らんだ金色の衣装を着てアイドルアイドルっぽく、当時の彼女のイメージからすると若干違和感がある。最初の数曲は正直知らない曲が並んでいて、今回の放映の前に放送された紹介番組で「横須賀三部作」なんて言及されてたけども、「横須賀ストーリー」以外知らんわ!とちょっと開き直って聴いていた。なによりまず驚いたのは「プレイバックpart1」。いや、「あ、やっぱりpart1ってあったの!?」という新鮮な驚きだった。「part2」は誰でも知ってるが、2というからには1はあるのか、なんて当時ちょっと引っかかってたことを思い出す。そんな疑問はいつしか忘れてしまったけど、それが今いきなり氷解したのだ。
 にしても最初の数曲を聴いただけでも、曲間のMCを含めてこのコンサートがいかに細かいところまで作り込まれているかがひしひしと伝わってくる。バックバンドは奥の方に一段低いところに目立たないよう配置され、曲によってはバックダンサーが入るものも数曲あったが、基本的にステージ上には山口百恵ひとりだけが立っているような感覚なのだ。武道館を埋め尽くした数万の観客を前に、たったひとりでまったく物怖じすることなく余裕すら感じさせて相対するひとりの女性。曲間MCの一言一言まで、事前に考え抜かれて準備されていることを感じさせる。そこには場当たり的なものは一切見当たらない。一本芯の通った凜としたものがにじみ出ていた。これが当時21歳の女性だという事実が、今となってはにわかに信じがたい。昨今のアイドルグループのライヴにはおそらくこういったものはないだろう。曲間MCなど、むしろ即興的な、素を感じさせるもののほうが自然体でいいと思われている節がある。それはそれで魅力はあるけども同時にそれは隙を作り"緩さ"にもつながりかねない。時代もあるだろうが、ここにはそうした"緩さ"を一瞬たりとも許そうとはしない覚悟すら感じさせた。

 その「プレイバックpart1」に続いて「プレイバックpart2」を歌い始めてからステージは一気にアクセルを踏み込んで加速する。以降「絶体絶命」「イミテーション ゴールド」といった阿木・宇崎コンビによる、まさしく彼女の代名詞とも言うべき後期のヒットソングを続けざまに歌い続ける。当時「つっぱりソング」なんて呼ばれた曲群の怒濤の攻勢にめくるめくような感興を覚えるが、一方でまだ序盤なのにこうした喉を酷使するシャウトを連発してペース配分は大丈夫なのかと心配になってくる。実際最後の「横須賀ストーリー」辺りになると歌声に若干疲れが出てきて音程が怪しいところが散見させるが、それでも勢いを止めることなく容赦なく突っ走った。想像だけども、本人もここら辺が一番きつかったのではないだろうか。ここまでするか、というほどの全力疾走だが、まだまだ前半、ゴールはずっと先にあるのだ。それでも一切スピードを落とそうとしないところに、ここでもまた"覚悟"が感じられた。

 ようやく第1部終了、インターバルがあった(と思われるがここではカット)後、彼女は今度は鮮やかな赤の衣装に着替えて登場する。当時の彼女のイメージからすると先ほどのよりこちらの方が合っている気がするが、そこで歌ったのは阿木・宇崎コンビより前の曲たち。「ひと夏の経験」から始まり、時間を遡ってデビュー曲に至るまでをメドレーで走馬灯のように辿っていったのだ。この頃の曲は都倉俊一作品が多かったんだな、なんて思いながら聴いていたが、やはりちょっと当時の大人びた彼女からすると幼い気がして持ち歌なのにちょっと違和感がある。しかしこれはラストコンサート。彼女の歌手人生の集大成としてやはり外すわけにはいかないだろう。それに短い休憩だけで彼女も持ち直したかのようで、どんな曲も全身全霊込めて大切に歌っているのが見て取れた。それにしてもタイトル聞いて「あ、知らないやこれ」と思った曲も、いざ聴いてみると「あ、これかぁ」と思い出すようなものがいくつもあり、彼女の歌がどれだけ世に浸透していたかを改めて思い知らされた。一連のメドレーを歌い終えた後、バックバンドとバックダンサーの紹介。バンマスを先頃亡くなった服部克久本人が担っているのが目を惹いた。
 そして第2部のラストを飾ったのが、再び阿木・宇崎コンビの「ロックンロール ウィドウ」。赤の衣装はこの曲のためだったのか、と思わせるほどぴったりで、しかも歌唱もバックダンスもまさしくキレッキレで、まだこれほどの力を残していたのか、と感嘆した。このコンサート通じて演奏として白眉だったのは、実はこの曲だったのかも知れない。

 退場後、インストゥルメンタルで「いい日旅立ち」がしばらく流れ、その短いインターバルの後、今度は青い衣装で登場。そのまま「いい日旅立ち」を歌って第3部に入った。ここからコンサートは一気に「動」から「静」に移る。激しさは影を潜め、スローテンポの曲を並べたのだ。そしてコンサートもいよいよ終盤に入ったことを感じさせ、静かな中にも彼女の歌声には徐々に熱が籠もっていくのが分かる。随所にMCを挟みながらも、その言葉のひとつひとつを噛みしめるように置いていく。なによりも現在の心境、そして母親について語る時、所々で声が上ずり、それまで頑なまでに自分を律していた覚悟に少しづつほころびが出てくるのが感じられた。こみ上げてくる感情を抑えきれなくなってきたのだ。
 そして歌い出すのは、多くの人が予想していただろう「秋桜」――。後期の山口百恵の歌の中で、いわゆる「つっぱりソング」の狭間にあって、そっと野に咲く花のような叙情的な歌が2つあった。「いい日旅立ち」と「秋桜」だ。作者はそれぞれ谷村新司さだまさし。どちらの曲にも愛好者は多いだろうが、どちらかと問われれば僕は迷いなく「秋桜」を取る。さだまさしの作品中でも特に傑出したものであり、詞の内容と曲とが最初からそうあるかのようにぴったりと寄り添って歌になったかのような名曲だ。彼女がこの曲を最初に歌った時から本当にその素晴らしさには目を瞠り、当時から「山口百恵の歌のナンバー1」と密かに思っていた曲だった。しかもその内容は、まるでその未来を見越していたかのように、その時の彼女の境遇にぴったり寄り添っていた。
 始まっててすぐ、その歌声がそれまでとは違ってきていることに気づく。先ほどのMCで感じられたほころびがそのまま、いや歌と心が共振するかのようにより増幅していて、抑えても抑えてもあふれていく感情が歌声を突き動かしていく。声は震え音程もあやしさを増し、もはやそれまでのストイックなまでの姿はない。やもすれば感情に押し流されそうになるのを必死に抑え込んでいるのは明らかだった。それでも最後まで歌のフォルムを崩しきらずに歌いきったのはその"覚悟"の強さとしか言いようがない。
 しかし終わりの時が近づいているのは誰の目にも明らかだった。それでも次の曲からは再び声に力が戻り、時折容赦なくこみ上げてくる感情を抑えて歌い続けたのは、本当に最後の力を振り絞っていたのだと思う。

 「歌い継がれていく歌のように」のリフレインが会場に何度も繰り返す中、彼女は一旦ステージを退場し、そして再び現れた時、あの純白のドレスを着て現れた。「山口百恵のラストコンサート」というとなんだかこの衣装、という風に印象づけられたのだが、実際は本当に最後の最後だけ着ていたものだったんだな。そして歌い出すのは正真正銘のラストソング「さよならの向こう側」。現役時代に発表された最後のシングルであり、初めてそれを耳にした途端、誰もが「あ、お別れの歌だ」と感じたその歌だった。だけどもその時、さすがの山口百恵もまともに歌いきるだけの力は残されていなかった。歌声は何度も途切れ、このまま歌えなくなるのではないかとハラハラした。しかしそれでも、彼女は感情に完全に押し流されるをよしとはしなかった。本当に最後の最後の気力を振り絞って立て直し、彼女の歌を聴いてくれる人すべてに対し「約束なしのお別れ」を告げた…。

 そうして、どこにそんな精神力が残ってたんだ、の驚きを持って彼女はすべての曲を歌いきり、それでもなお凜とした態度を失わずに、ステージからあちこちの方向に丁寧なお辞儀を何度も繰り返す。それから中央に戻ってあの有名なラストシーン、手に持ったマイクをまっすぐ客先に向けて静かに置き、おもむろに客席に背を向けた。奇しくもこの年、あの王貞治が現役を引退、それを「バットを置く」と表現されたのとまるで呼応するかのような象徴的なシーンだった。
 この彼女の最後の姿は、すべてをやりきったかのようなすがすがしさにあふれたもので、丁寧で落ち着いていたが決して間延びせず、姿を消す瞬間も潔さが感じられた。
 終演後、今回の放映ではけっこうあっさりと明かりが点いて観客も退席を始めていたが、僕の記憶では生中継の時は、ステージの明かりが消えた後もしばらくの間アンコールを求める声が悲鳴のように木霊していたのだが、もはやそれに応えることはなかった。今回観て改めて感じたのは、山口百恵はいかにそのラストステージを完璧にやり遂げてみせるか、その事を一番に考えていたように思える。そして実際、ほぼやり遂げてみせたのだ。

 

 今回の放映、正直最初のうちは「ちょっと観てみようか」という軽い気持ちで観始めた。ところが始まって程なく、40年の歳月を超えてその想像を上回る強靱なエネルギーに圧倒され、ついつい最後まで見入ってしまう。「なんだろうこの圧倒的な存在感は」しばらく自分の気持ちに整理がつけられずしばらく呆然としていた。そして思い当たったのは、昨今の芸能界ではあまり使われなくなった、"スター"という言葉だった。
 かつては有名俳優や歌手のことをよく「スター」と称されていたが、気がつくと最近はこの言葉、ほとんど用いられなくなっている。人気アイドルの数は多いが、それこそ最近は「会いに行けるアイドル」とかファンと近い目線に存在することに重きが置かており、それに対し「スター」は文字通り空にまたたく星のごとく、手の届かない存在。今の芸能人にあまり"スター"性が求められなくなっているのだ。
 しかし今回のコンサートを観て、かつて山口百恵という、まさしく恐ろしいまでの高みに昇った「スター」が確かに存在した、という事を痛感させられた。それはまさしく時代を超越して存在感を示すことができ、それ故に"伝説"と言われる。
 今の目線の低いアイドルにはそれはそれで親しみやすい魅力があるが、一方でこのような"伝説"を生み出すようなことがこの後あるのだろうか、とそんなことを考えさせられた。

原因と結果を取り違えてないか?

 その猛威をまったく衰えさせる気配を見せない新型コロナウイルス(COVID-19)。おそらく今年の新語・流行語大賞は「3密」「クラスター」「アベノマスク」といったコロナ関連の用語が大半を占めるだろうなとか、「今年の漢字」はきっとコロナ禍の「禍」になるだろうとか、少なくとも今年1年すべてこれにかき回されるなるだろうな、とやるせない気持ちにさせられる。
 不穏な状況の常だが、世の中で怪しげな情報が飛び交うことが多い。そして今日は大阪府知事自身がこんなことを言い出した。
「特定の成分入りのうがい薬を使ってうがいをすれば、コロナ感染率が下がる」というものだ。
https://www.asahi.com/articles/ASN8465THN84PTIL01M.html

 なんとも眉唾な話だが、話を聞いていくうちに「確かにそういうことはあるかもしれない」と思った。ただそれは、要はうがい薬によって口腔内が殺菌されてコロナウイルスが一時的に減ったってだけで、体内に潜むウイルス本体はそのままだろう。言ってみれば、手に付いたコロナウイルスも石鹸で洗うことによって手からウイルスがいなくなるのと同じことだ。抜本的な解決とはほど遠い。感染して体内で増殖したウイルスは口腔内にもあふれやすく、それゆえに鼻孔の奥の組織や唾液を採取することによりPCR検査ができるのに、その口腔内のウイルスだけを減らすって、原因と結果を取り違えているようにしか思えない。
 うがいすることにより「重症化を避けられる可能性もある」とは一応言っているが、現段階では推測の域を出ないことであり、希望的観測じゃないのか?と疑いの目を向けたくなる。

 なによりも一番まずいのは「PCR検査の前にうがいをすれば、一時的に口腔内のコロナウイルスが減少することによって、感染者でも陰性と出る可能性がある」ということだ。つまり、今陽性と出てほしくない人にとって、検査逃れのいい方法を教えてもらったようなものだ。そして案の定この発表があってからその日のうちにうがい薬を買い占めに走る人が一気に増え、たちまち品薄になってしまった。一応会見内で「買い占めはしないでください」とは言ったようだが、そんな言葉に効力があると思っているのだろうか。

 今回のコロナ対応で存在感を見せた吉村知事だが、今回はどう考えても勇み足としか思えないのだ。