なんで京アニが…。

 ただひたすら、強い憤りを感じずにはいられない。

 僕にとって京都アニメーションと言えば「響け!ユーフォニアム」を制作した会社、という認識なのだが(その後再放送された「けいおん!」を観たぐらい)、非常に緻密で丁寧に作りこまれた高い完成度を常に維持し、それは作画だけに止まらず、演出・声優の演技・音楽等あらゆる方面にいきわたっており、「アニメって実は総合芸術なんじゃないか」なんて考えてしまうほどそれは想像の域を超えていた。特に「けいおん」「ユーフォニアム」共に音楽が非常に重要な役割を担っているのだが、そのすべてにおいてまったく手を抜かず、むしろアニメを離れても存在し得るだけの価値を持った音楽作品まで生み出してしまい、でもやはりその音楽をアニメの中できっちりと表現しきってしまうその手腕は目を瞠るしかない。

 その比類ない製作者集団のかなりの人たちが、たった1人の愚かな行為によって1日で無に帰するほどの惨事に陥った。これにより、現在制作進行中の作品も、企画段階の作品も、すべて無期延期になってしまうだろう。

 現時点で死者だけでも33人に上り、助かった負傷者も復帰できるかどうかは分からない。そしてこのスタジオに置かれていた資料や成果物もすべて取り返しのつかないものになってしまった。これらはすべて京都アニメーションが今まで作りだしてきた文化および人的資産の喪失に他ならない。

 現時点ではその影響がどれほどの大きさなのかは測りかねるが、再開できるまでそうとうな期間の操業停止を余儀なくされるだろう。ただ、この事件によって、京都アニメーションと言う日本が誇りうる会社が消滅することだけは避けたい。

 犠牲者の冥福をお祈りするとともに、時間がかかってもいい、その復活を心から祈っています。

 

 【7月19日追記】

 世界中の京アニファンから弔意と支援の輪が広がってきている。

 本当にありがたい事だが、自分もなにかできることを…と、とりあえず「リズと青い鳥」のブルーレイをポチった。普段アニメの円盤を買うとかまずしないんだけども、「リズ」は昨年上映したのを観て、まさしく珠玉の名作と呼ぶにふさわしい出来に心底感激してたので、手許に置くのに躊躇はなかった。主要2人の心理描写の繊細さはもちろんの事、音楽をここまで精緻に扱い、劇中でもっとも大切な所を音楽そのもので語らしめたところは驚嘆した。なによりこの映画を観て「オーボエってなんて素敵な音がするんだろう」と気づかされた人がたくさんいるのではないだろうか。それだけでも嬉しい。

 

 【7月21日追記】

 その後、病院に収容された重体者のうちひとりの死亡が確認され、死者は34人になった。犯人の名前も公表され、これまでの言動等もいろいろ分かってきたとはいえ――異様なのは、その34人の犠牲者の名前が今もなお一切公表されていない事だ。さすがに事件後3日も経てばその時建物にいた人数、うち負傷者(=助かった人)の情報もはっきりして、消去法では犠牲者の特定はほぼできていると思われるが――これは、個々の遺体の損傷が激しすぎてどの遺体が誰なのか、その特定が難しくなっている、ということを意味しているのだろう。助かった人の中にも今後不自由な生活を強いられる人もいると聞く。ほんと、憤懣やるかたない。

"闇営業"そのものが問題な訳ではない

 "闇営業"と言う言葉が日本中を駆け回っている。

 もちろん吉本興業所属の一部芸人が、事務所を通さない、所謂"闇営業"で反社会的勢力の会合に出演して報酬を得、それにより解雇または謹慎処分を受けた件についてだが、あまりにこの言葉が独り歩きして使われまくっていて、この調子だと今年の新語・流行語大賞にもノミネートされそうな勢いなのだが、これで却って問題の把握が難しくなっている気がする。
 なによりもなんだか闇営業そのものが問題となっているかのごときニュアンスになっているのが非常に気にかかる。

 もちろん一般の企業の場合「アルバイト禁止」として自社社員の副収入を禁止することを明記している事は珍しくないが、だからといって今回の芸人の問題をそれと同レヴェルで考えると事の本質が見えなくなる。
 というのも今回の件で明らかになったのは「吉本興業」というお笑い芸人に於いて最大勢力を誇る事務所の営業体質の杜撰さで、そこに注目しないと見方を誤ってしまいそうなのだ。

 言うまでもなく吉本興業はお笑い芸能事務所の一番の老舗であり、今もなおその大多数の芸人が所属する一大勢力である。もちろん最近はその他様々な芸能事務所ができそちらで活躍する芸人の数も増えてきたとはいえ、「吉本かそれ以外か」でくくられかねないほど規模に差があってその優位は揺らいでいない。
 ただその中でも吉本には待遇面であまりよくない噂、要は中間搾取がすごいとの事は、芸人の間でも(さすがに冗談めかしてとはいえ)相当昔から言われ続けてきた。しかし今回の件でさらに明示された情報は耳を疑うほどのものだった。

 今回の件で取りざたされているのは以下の3件。
1.出演料の取り分は、会社9で芸人1。すなわち芸人は出演料の1割しか受け取れない。
 前述のように中間搾取のことは言われてても、具体的な数字が出てきたのは今回が初めてだった。にしても1割とは…。もっともこれは芸人の格に寄っても違っており、人気芸人になるにつれて掌返すように優遇されるとも聞くが。

2.芸人との契約に関して、明確な契約書が存在しない。
 一番信じがたかったのがこれだった。これって口約束ってこと? 「吉本芸人」を名乗る人は沢山いるが、実際は誰一人として明確に契約していないんじゃ…。じゃあ「吉本芸人」の定義っていったいなんなんだ?

3.芸人の数に対してマネージャーの数が絶対的に足りず、手が回らずにほっとかれている芸人が沢山いる。
 芸人にとって一番かわいそうなのはこれかも。芸人は金をとってくるがマネージャーは経費でしかないからなるべく削ろうとしているのかもしないが、そもそもこれって運営会社としての体を成していないんじゃないか…。

 報道されたこれらの情報が真実だとしたら、吉本っていったいなんなんだ?それでまともな会社と言えるのか?と言いたくなる。ちゃんとした契約もせず、所属しているのにほっとかれ、たまに仕事があってもほとんどを会社に持っていかれ…。吉本って、お笑い芸人の口入れ屋かなにかじゃないのかと言いたくなってくる。そりゃ人気・実力が伴わなけりゃ箸にも棒にもかからないシビアな世界とはいえ、芸人を単なる「金を稼いでくる駒」扱いしてると言われても反論できないだろう。

 そんなだから、潤沢に仕事のある一握りの芸人を除き、ほとんどの人は事務所をあてにできずに自分で生活費を稼ぐしかない。バイトに明け暮れる芸人は珍しくないが、どうせならば本業で金を稼ぎたいと思わない人はいないだろう。そんな人たちにとって蜘蛛の糸のような存在が――事務所を通さず、直接依頼者からイヴェント等の出演を請われる"闇営業"だったことは想像に難くない。なにしろ出演料をまるごと、それもおそらくはとっぱらいでもらえるのだ。貴重な現金収入としてそれで糊口をしのいでいたのだろうと思うとちょっと涙が出てくる。
 もちろん吉本としては自分の子飼いの芸人が事務所を通さずに仕事をするのは面白くない。しかしとてもじゃないが吉本自体、それに文句を言えるような筋合いじゃなかった。なにせちゃんとマネージメントしようにも手が足りなすぎるし、またその気もなかったのだから。結果的に吉本も闇営業自体は黙認し、あまりに目立つことをしない範囲だったら何も言わなかった。

 だから芸人が闇営業に走る背景は待遇面・契約面・運営面すべての点において芸人をないがしろにしてきた吉本自体にそもそもの原因があり、それが分かっていながらも改善する気がさらさらなかったことに問題の根幹がある。芸人世界の昔ながらの慣習か何か知らないが、それは現在の日本社会においてはとてもじゃないが通用するものではない。結果芸人の闇営業が横行しつつもなぁなぁに済ませてしまう商習慣が長い事定着してしまっていた。それが今回の事件の温床につながっている。

 古来お笑い界はその土地その土地の"実力者"を取り込まなければやっていけなかった、それ故にどうしてもその手の勢力とつながりやすいという背景があったと聞いているが、現代はさすがにあからさまなつながりはほぼなくなってきた(と信じたい)。会社としてコンプライアンスが常に取りざたされる現在、そうしたつながりが露見したら最後、社会的生命を失う事にもなりかねない。だからこそ吉本も最近はそういった勢力との接触を絶とうとしていたらしいが、そのしわ寄せは結局闇営業に行ってしまっていただけだった。事務所を通しての仕事だったら反社会的勢力から距離を置くノウハウの蓄積があっただろうが、個々人の芸人にはそこまでの判断はできない。結局正規の道を絶たれたその分、闇営業の芸人に直接当たる事が増えていくことになっていた。

 なんのことはない、吉本は自分で自分の首を絞めていたようなものだ。総勢6000人もの芸人を抱えていると豪語しつつもその管理もマネージメントも怠っていたツケがすべて今回ってきている。今回謹慎に追い込まれた芸人の中には重要な稼ぎ頭も数人含まれていたが、それによりレギュラーの出演番組がすべてお蔵入りやら再編集やら、最悪番組自が体存続の危機に追い込まれておりその被害総額は相当なものになるだろう。普通ならばそれら被害額はいったん事務所が肩代わりしてその後問題を起こした本人に事務所から請求する――というのだと、これまた最近不祥事を起こした某人気役者に関する報道で知った事だが、今回吉本が肩代わりするだろう被害額を本人に請求できるかどうかすら疑わしい。なぜなら、本人が吉本と契約したという書類が存在しないのだから。罰則規定もなにもないだろう。

 現在吉本はその6000人もの所属(?)芸人全員に対して、所謂反社会的勢力とのつながりがないかを面談して根絶の徹底化を目指すと言っているが、芸人の方に責任を持たせようというそのやり方自体に「違うだろ」と言いたくなる。闇営業自体、吉本側が黙認してる以上それを責めることはできない。しかし結果的に闇営業がすべての温床となってしまった以上その根絶こそが急務であり、それなくしては今までの分も、これからも、同様の事が発覚するリスクはなくらない。そのためには吉本側が芸人に「するな」と言うのではなく、吉本自体が芸人に闇営業をしなくて済むようその体制を改めるのが先だろう。上記3点、待遇面の改善・契約の明文化・マネージメント力の抜本的見直しだ。これによって吉本の利益率が急激に悪化することは避けられないだろうが、このままではいつしか吉本”帝国”の屋台骨を揺るがすような大事件が発覚する可能性が、明日にも起こるかもしれなのだ。

 

 【7月21日追記】

 その後のこの問題に展開については、僕が思い描いた方向とは真逆の方向にどんどん進んでいた。吉本の上層部はこの期に及んでも尚、今後とも今の方針を変える必要はないと突っぱねたのだ。契約問題も「商法上問題ない」と言い切り、おそらくマネージメント問題も待遇問題も、今のまんま、何かあれば芸人を切り捨てて会社の存続を図る方向で押し切ろうとしていて、僕は強い失望感を味わっていた。ちょうどそのさなかにジャニーズ事務所に対し、旧SMAP3人の地上波出演に対して民放TV曲に圧力をかけていた、として注意が入る(NHK観ていていきなりニュース速報が入ったのには驚いた)ということがあり、吉本に対してもなんらかの行政指導が入るべきではないか?なんてことを考えたりしてた。

 それが昨日、にわかに方向性が変わってきた。
 今回の問題の一番の当事者となっていた宮迫と田村亮が独自に記者会見を開き、謝罪と共に今までの経緯をかなり詳細に語ったのだ。その内容は目を瞠った。これが真実とすれば吉本はあまりにひどすぎ、芸人の多くを擁するその権力をかさに、言語道断のパワハラを行っていたのだ。いや、ここまでとはいくらなんでも思ってもみなかった。

 これにより、非難の方向性は一転吉本興業そのものに向かった。宮迫・田村両氏はこれまでの対応のまずさは確かにあったものの、そのまずさの原因は事件そのものをなんとかして封印して風化を図った吉本自信にあり、今回吉本解雇を背景にすべてをぶちまけるに至った2人の誠意は少なくとも十分に伝わった。

 吉本は今こそ劇的に変わらなければならないし、また変わるチャンスだ。ここにきて尚既得権益にこだわり「ピンチをチャンスに変える」大改革を行わない限り、芸人からの信用を失って埋没していくだろう。
 少なくとも所属芸人全員に対して契約書の締結・契約内容の明文化を行う事、それだけは早急に行わなければならないだろう。

「号外」症候群 ~"おたく"試論

 "平成"が終わった。
 生まれてから成人するまでどっぷり昭和に浸かっていた世代としては、先の改元時、平成という語感になかなか馴染めずに居心地の悪さを感じていたものだが、あれから30年、気がつくと自分にとって昭和よりも長い時間を過ごしており、いつしかすっかり馴染み深いものになっていた。
 新元号"令和"に関しては、さすがに生まれて2度目の改元のせいかそれほどの違和感もなく、(ただ確かに「"命令"の"令"か」と引っかからなかったと言えば嘘になるが)「けっこうかっこいいじゃん」と得心したが、こうなってみるとやっぱり平成とはどういう時代だったのか、とついつい振り返ってしまう。

 その流れでふと、「平成を代表する言葉と言えばなんだろう」なんて考えていくうちに、昭和にはほとんど使われなかったのが平成の始まりに一気に広まり、この30年紆余曲折を経ながらもいつしかすっかり定着したある言葉に思い当たった。

 そう、"おたく"だ。

 "おたく"という言葉自体は実は昭和の終わりごろから使われ始めていた。今や定着しすぎて語源すら忘れ去られそうなので一応書いておくと、コミケ等に集うような人達の間では、(真偽は知らないが)相手を呼ぶ二人称に「お宅」を使うのが広まっている、という話から、これらマンガやアニメといったサブカルチャー愛好家の総称として"おたく"と呼ぶようになったのが最初と聞いている。
 僕も昭和の末、大学生の頃に初めて聞いたのだが、この頃はこのようにごく一部の人の間にしか通用しない「若者ことば」のひとつでしかなかった。

 しかし平成に変わった直後、この言葉はある事件をきっかけに一気に多くの人の知る所となる。そう、平成元年、日本中を震撼させた連続幼女誘拐殺害事件だ。連日のようにマスコミに報道され、遂に逮捕された犯人宮崎勤の異常性、それを説明するためにマスコミで盛んに用いられたのが「おたく」だった。
 そう、"おたく"は当初から不幸な形で世に広まってしまった。元々はほんのささやかな、ある嗜好をもった人たちを示す言葉だったのが、それが稀代の凶悪犯と結びついてしまったのだ。この頃まるで"おたく"というだけで犯罪者予備軍と言わんばかりの勢いだった。そしてその歪んだイメージをあえて体現したかのような"宅八郎"なる怪人(一応サブカル評論家だったのだろうか?)がマスコミを席巻したのもこの頃だった。
 さすがにそこまでひどい誤解は一時的だったものの、"おたく"のマイナスイメージは覆うべくもなかった。平成の始めの数年、"おたく"の趣味は秘すべきものとなった。
 それが徐々に変わったのはいつからだろう。日本のマンガや特撮・アニメ、そして平成に入って加わったゲーム文化が花開いて西欧でも愛好家が増え、これらから日本文化を知る外国人も増えた。「クールジャパン」なんて呼び名のもと、少しづつ復権を果たしていった。
 だがそれとともに"おたく"も一人歩きをし始める。サブカルに関わらず、なんらかのものを深く愛好する人たちの事も「○○おたく」と呼びだした。これらはかつて"マニア"と呼ばれてたんじゃないのか?と突っ込みたくもなるが、今や"おたく"と"マニア"の違いは曖昧で、特に定義づけされないまま時は流れ、徐々に"おたく"は本来の意味が希薄になり、一般化されていった。

 では改めて、"おたく"とはなんだろう。

 現在では確かにその意味合いは曖昧となり、一層定義づけが難しくなっている。オタキングとまで呼ばれた岡田斗司夫が自らの著書で"おたく"を定義してみせたが読者から「それは違う」と総ツッコミを喰らったなんてこともあった。ここまでくればひとりひとりがそれぞれ違った"おたく"像を認識しているのかもしれない。しかし僕も自身が"おたく"であるという自覚があるし、平成を総括する意味でも自己分析も兼ねて自分なりの"おたく"の姿を改めて考え直してみたい。

 "おたく"の特徴をできる限り広く考えてみて、その共通項を探ってみると、当初は一部のサブカルチャーだけが対象だったかもしれないが現在の対象は文化全体に広がり、範囲の特定は難しくなっている。しかしその行動パターンに目を向けるとひとつの共通項が見えてくる。「特定の対象に向けての飽くなき大量消費」だ。今や作品のジャンルは問わない。でもやはりなんらかの対象となる"作品"は存在し、それを骨の髄まで楽しむために蒐集することから始まり、それに飽き足らなくなると二次創作やらコスプレといった"自己表現"に走り始める。"自己表現"といっても物事を一から作りだす"創造"まではまずいかず、あくまで元となる対象作品を消費するための"縮小再生産"に留まってしまうのだ。だってあくまで"作品"を楽しむための手段なのだから、その殻を破ってしまっては本末転倒になってしまう。

 その特徴を考えていくうちに、僕はずっと昔に読んだある小説を思い起こす。国木田独歩の短編「号外」だ。

 国木田独歩の作品は今どれぐらい読まれているのだろうか。一応明治の文豪の一人としてその名は知られているが、正直国語の授業で名前だけを憶えている人の割合が多そうな気がする。僕はたまたま10代の頃にその作品に触れたけども、ひとつひとつの作品が短い事もあってあまり時間をかけずに読め、また早世したため作品数が限られているので数冊読んだだけで気がつくと主要作品はあらかた読んでいた。
 それになんか当時の僕には妙に心に引っ掛かるものが多かった。独歩は自然主義派の作家と目されており、市井のありのままの姿を描こうとしたなんて言われているけども、改めて見ると彼の作品は小説と随筆の切り分けが曖昧で、一応小説の体をとっていても内容的には実質随筆めいたものが多い。「忘れえぬ人々」なんて、単に今まで印象に残った人のことを、ある登場人物の口を借りて書き連ねたにすぎない。すぎない、のだが――なんでこんなにぐさっと突き刺さるものがあるんだろう。特にラスト1行の破壊力はすごい。独歩の作品は短い中にも言葉の選び方が繊細で、なにげない一言の中にすさまじい意味合いを封じ込めることができた人なのだと思う。やはり優れた文学者だ。

 話がそれてしまったが、「号外」も独歩らしい、小説と随筆の中間にあるような作品だった。なにせ銀座のホール(神谷バーみたいなもんか?)に集まった酔っ払いどもがくだ巻いている会話をただ書き取っただけのような体裁なのだ。
 一応中心人物となるのは加藤男爵、通称「加と男」。この男が「つまらない」と嘆くのだ。しかも「戦争(いくさ)がないと生きている張り合いがない」と恐ろしい事を言う。なんとか戦争がまた起きないかと物騒な世迷言を繰り返すのだ。
 いったいどんな好戦家なのかと思いきや、読み進めていくと本人は戦場にに行くだなんてとんでもない、という人間だった。彼は一応高等遊民の類らしく、特になにをするでもないがとりあえずは食っていけるうらやましい立場らしい。逆に言うと何かをして生き甲斐を感じるという事がなく、生まれて初めて生き甲斐を感じてしまったのが――困ったことに「号外を読む」ということだったのだ。
 時代は日露戦争集結間もない頃。戦争中、たびたび戦争の状況を伝える号外が日本を舞い、「加と男」はそれを読むことによってそれまで感じたことがない興奮を覚える。次第に号外の魔力に取りつかれていくが、やがて終戦を迎え――日本の勝利を最後に号外もぱったりとやんでしまった。「加と男」は号外の急激な渇望を感じ、前述のとんでもない発言につながっているのだ。

 「号外」を初めて読んだのは高校生の頃だったが、正直最初は「なんじゃこりゃ」と思った。だがやはりどこか心に引っ掛かっていたのだろう、時折ふと思い出すことがあり、そして次第に恐ろしくなっていった。「加と男」の悲劇――それは号外と言う、他者から与えられた物にしか喜びを見いだせなかったことにあるのではないだろうか。その生まれのせいで自ら進んで何かをするということなく育ち、徹底して受け身になり、喜びすら外から受け取る事しかできなかった男の悲劇では、と。
 「加と男」の場合はたまたま号外だったが、振り返ると今の世にも似たような状況の人はたくさんいることに気づく。そう、"おたく"との類似性だ。対象は号外でもマンガでもゲームでも、はてまた音楽でも文学でもなんでもいい。ただ他者が創造した「作品」を享受することにのみ喜びを感じてそれ以外への感性が鈍ってしまった人たち、対象とした作品が完結してしまっただけで「○○ロスだ」とまるで世の中が終わってしまったかのように嘆く人たち、それこそが"おたく"の本質ではなかろうか。

 もっと興味を外に向けろ、と言うのは簡単だ。だが僕自身そうした要素が自分の中にあるのを自覚しているので、それが本当は簡単ではないことを知っている。ただそうした自分の中の"おたく"的要素を認識することによってこそ、初めてそれから抜け出す道を探し出せるのではないかと思う。
 「号外」の最後の一文、国木田独歩はこう締めくくった。
「そこで自分は戦争(いくさ)でなく、ほかに何か、戦争(いくさ)の時のような心持ちにみんながなって暮らす方法はないものかしらんと考えた。考えながら歩いた。」

 100年以上も前にその"おたく"の本質を見出した国木田独歩に敬意を表して、僕は"おたく"の事を「号外」症候群と名付けたい。

モンキー パンチ氏を悼む

 びっくりした。
 モンキー パンチ氏の訃報を聞いて最初にしたリアクションがこれだった。もちろん既にかなりの高齢であり、最近は作品を発表することもめっきりなくなっていた事は認識していたのですが、たまたま現在「週刊漫画アクション」創刊期を描いたドキュメンタリーマンガ「ルーザーズ」(吉本浩二作)が連載中であり、その中でまさにデビュー当時のモンキー氏が生き生きと活写され、さらにその単行本第1巻巻末には当時を語るご本人のインタビュー記事が掲載されていたものだから、まだお元気だと思っておりました。

 モンキー氏と言えば、なんといっても「ルパン三世」でしょう。まだ小学生の頃、夕方に再放送されていた「ルパン三世」(確か当時しつこいぐらい繰り返し放映されていた)を初めて観た時の衝撃が今でも忘れられない。ちなみに僕が見たのは1stシリーズ、所謂"緑ジャケ"ルパンだけども、それまで観たどのアニメとも一線を画する画期的なものだった。いったい何が違うかというと"空気感"だったと思う。その独特のヒリヒリと肌を刺すような雰囲気、今なら「クール」とか「スタイリッシュ」とかいろんな言葉を当て嵌められるが当時はそんなこと思いつきゃしない。ただひたすら「なんかしらんけどめちゃくちゃかっこいい」。後半になると(低視聴率に伴う路線変更だと後から知った)コミカルなシーンも増えてくるけど、そういうのもひっくるめてすべてに魅了された。
 この出会いがなければ、今に至るまで「ルパン三世」と言えば嫌でも追っかけてしまう自分は存在しなかったと思う。それほどまでに、骨の髄まで惚れ込んでしまったのだ。

 こういった風にアニメ「ルパン三世」に関してならいくらでも書き連ねていけそうだけども、ここではあえてそうしない。その存在が大きすぎ、モンキー氏を振り返るのに却ってその目を曇らせてしまいそうだからだ。

 そんな魅了された作品ならば「原作を読んでみたい」と思わない訳がない。ところが実際に原作「ルパン三世」に触れたのはずっと後、確か中学に上がってからだった。なにせアニメのエンディング(有名な「不二子がバイクでひたすら疾走する」やつ)の中で「週刊漫画アクション連載」と書かれたのを見て「アクション?何それ?」と当時マガジンやサンデーしか知らない身にとってはそれがいったい何なのか見当もつかなかったぐらいだから。

 ようやく原作に触れたのは新しいアニメシリーズ(所謂"赤ジャケ"ルパン)が放映開始された後で、アニメ新シリーズがかなり雰囲気が違うのでとまどいつつ、ようやく単行本を目にする機会があり「じゃあ原作はどうなんだろう」という感じだった。
 けど原作を読んだ印象はというと、正直とまどいしかなかった。どちらかというとアニメ第1期のヒリヒリとした肌触りはあったが、どこかそっけないというか読む者を寄せ付けないものがあった。設定もアニメとは違い、特に峰不二子が特定キャラクターでないのが一番とまどった。

 その後も氏の作品は機会あるごとに単行本を見つけては長年買い集めてきた。その数はタイトルで10を超えるが、独特の魅力は感じつつも、正直「これぞ!」というものは見当たらない。なんというかあえてキャラクターの内面に踏み込まず、読む者の感情移入を拒否するような作風なのだ。代わりに長年追求してきたのは外面的なカッコよさ、そしてひんやりとしたカミソリのようなセンス。だがそれ故に作品が表面的にも見えてしまうリスクを常に背負っていた。
 前述の 「ルーザーズ」を読んでいると、モンキー パンチの登場がいかに当時の日本マンガ界に衝撃を与えたかが伝わってくる。こんなマンガを描く人が、いや、こんなマンガが存在できること自体誰も思いもよらなかったのだろう。センチメンタルを一切拒否してひたすら己の持つセンスだけで勝負しようとするマンガ家の出現、その新しいパワーが日本初の青年マンガ誌「アクション」を生み出す引き金になったことが伝わってくる。

 しかしこの時連載した「ルパン三世」そのものが、マンガ界を越えて現在のように誰もが知る作品になり得たかというと、正直首をかしげざるを得ない。内面に踏み込まない(故に「ルーザーズ」内でモンキー作品で出てくる「文学を感じた」という科白にはどうしても違和感を覚えてしまう)その作風は、斬新さを感じつつも一方で共感を得にくいので、広く長く親しまれるには限界がありそうなのだ。
 だがこうした原作の衝撃が失われないうちに最初のアニメ化がされた。幸いなことに大隅・大塚・宮崎ら当時の俊英が次々関わったこのアニメによって、原作ではあえて描くことを拒否していたようなキャラクターの内命にまで踏み込んで描写され、このことによって5人の主要キャラクターがここで確立されたのだ。
 原作者のモンキー氏にとってはこれは意に染まぬことだったかもしれない。しかし氏は「アニメはアニメ」と割り切って一切口を出さず、アニメスタッフの好きに任せた。第1期のアニメは時代を先走り過ぎて本放送時は低視聴率に悩み、途中で演出者交代・路線変更を強いられるものの結局は打ち切りの憂き目にあった。しかし再放送を繰り返すうちにどんどん人気が上がって行き世間への認知度はアップ、それを受けて制作された第2期は放映開始時から大ヒットを記録――。それからのことはもう言うまでもない。
 第2期のアニメは第1期ともまた明らかに違うもので、最初にあったあのヒリヒリとした空気感は消え去りカラッとしすぎたきらいがあり、僕にはそこが不満だったがこれはこれで楽しい作品になっている事は確かだった。そしてモンキー氏はここでも何も言わず好きにさせた。

 その後もアニメは断続的に制作され、平成に入ってからも年1回のスペシャルとして定期的に制作、その間も映画化やOVA、ゲーム、パチンコ、そして近年になってスピンオフ作品や再び連続TVアニメ化、さらにアクション誌上においてShusay・山上正月・深山雪男等様々な若手マンガ家による新たなマンガシリーズが制作、その他小説版や実写映画も作られつつ、連載開始から50年もの年月を駆け抜けた。これらの作品は各々のスタッフの手によってそれぞれかなり自由な特色を持っており、まさに百花繚乱、作品の数だけルパンがあるような感じなのだ。
 これだけ好き放題されながら、原作者のモンキー氏はそれでも何も言わなかった。本当に「好きに任せた」のだ。

 いや正直な所内心はどうだったのかは計り知れない。その後「DEAD OR ALIVE」ではモンキー氏自身が監督として初めてアニメの制作に携わったのだが、自分が原作者でありながら、スタッフから「いや、ルパンはそんなことをしない」と突っ込まれたというエピソードが残っている。この時点でもう、それだけ原作者の抱くルパン像と他の人のそれが大きく乖離していたのだ。
 結局それが最初で最後となり、以後は一切アニメとは関わらず、相変わらず沈黙を守って生涯を終えた。もはやその本心を訊くことはできなくなった。
 この徹底ぶりはすさまじい程だ。しかしその結果、ルパン三世は世代を超えた国民的作品となって今も続いている。モンキー氏が原作者としてのこだわりを見せていたら、おそらくこうはならなかったろう。

 はたして原作者モンキー氏の一番の功績は…と考えると、結局のところ「ルパン三世という作品のフォーマットを作った事」そして「それを他人が制作することに対して一切口出ししなかったこと」に尽きるのだろう。確かに「ルパン三世」と言う作品をを生み出したのはモンキー氏自身だ。しかし氏は自分が生み出した「ルパン三世」というソフトウェアを、言わば改変可能なシェアウェアとして開放したのだ。その結果、脚本家が、アニメーターが、マンガ家が、ゲーム製作者が、各々「ルパン三世」というフォーマットを使って自在に新しい作品を作る事が可能になり、その結果、ルパン作品は今もなお増殖を続けている。
 もちろんこれによってルパン像は時にはブレを起こすことは避けられないし、作品の質自体玉石混交になっている事は否めない。しかし一方でだからこそ各時代時代に対応してフレキシブルに対応することが可能になり、新しい才能の受け皿となって新たな魅力を生み出すことが可能となった。結果、おそらくモンキー氏ひとりでは絶対に不可能だったほどの作品の広がりと長命が実現できたのだ。
 原作者の死後もその作品がアニメ等で作られ続けている作品としては他に「サザエさん」「ドラえもん」「クレヨンしんちゃん」などがあるが、それらは皆言わば専属の後継スタッフが、作品が独り歩きしないよう作品世界をチェックしながら継続させている。「ルパン三世」はフォーマットを踏襲する限りほぼ無制限に容認されることによって、これらの作品とは桁違いな規模での作品の再生産が今も続けられているのだ。
 もちろんこれは作品世界がいつ崩壊するかわからないリスクを抱えているし、それなりのチェック機能も存在していると思うが、やはり一番の根底として「ルパン三世」というフォーマットがいかに様々な展開を呑みこんでしまう器の大きさを持っていたか、ということに尽きるだろう。下手に脆弱なフォーマットだったらこんなことをした瞬く間に原形をとどめずに滅茶苦茶になってしまったに違いない。そこに「ルパン三世」という作品の真の偉大さがある。

 

 繰り返すが、モンキー パンチの最大の功績、それは作品としての「ルパン三世」というよりも、そのフォーマットを作り出し、そのフォーマットを解放したことに他ならない。他にちょっと例がないほどの無鉄砲さ(それは自分の作家性をも否定しかねない)ではあるが、彼の死を迎えた今になると、その度量の、そして人間の大きさには敬服するしかない。これによって「ルパン三世」はおそらくは平成が終わって令和を迎えた後も長く命を保ち続けるだろう。
 改めて、氏の業績に敬意を示し、その死を悼みたいと思う。

手塚治虫は死なず!

 元号が平成に変わったばかりの2月10日、なにげなく朝刊を開いた途端憶えのない衝撃が走った。

 手塚治虫死す! その訃報が目に飛び込んできた時の感興はなんとも言い難い。ただなんというか、生まれてこのかたいつも必ずあったはずの精神的支柱がいきなり消滅したかのようだった。それはなんだか、あたかも自分の親がいきなり亡くなったかのような気さえした。そう、なんだろう。手塚治虫だっていつかは死ぬ、それは頭では分かっていたけども、それはまだまだもっと先、少なくともあと10年20年は平気で旺盛な創作活動を続けていくものだと勝手に思い込んでいた。だからなんか現実味がなく、記事中彼の生年が「昭和3年」と書かれているのを見て「あれ、新聞なのに間違えてる。正しくは大正15年なのに」と細かいことが気になっていたのを憶えている。(実はデビューがあまりに早かったために、生前ずっと2歳多くサバを読んでいた事を知ったのはその少し後だった)
 とにかく手塚治虫はこの世からいなくなった。それは突然のように思えたが、実際には胃がんを患っていて前年の秋から体調がずっと思わしくなく、さらに死の少し前の見違えんばかりにげっそり痩せ衰えた写真を見るにつけ、ずっとファンを自認していながらその事をまったく知らなかった不明を恥じた。そのほぼ1月前に昭和天皇崩御して平成に改元していたのだが、申し訳ないが自分の中の衝撃は手塚の比ではなかった。

 ――あれから30年、この時始まった平成も間もなく終わりを告げようとしている。30回目の治虫忌も終え、改めて日本の漫画界を見まわしてみると…。あの時、手塚という支柱を失い、日本の漫画界はこのまま衰退に向かうのではないかと正直心配になったものだが、そんな世迷言は杞憂に終わり、むしろ自在に枝葉をめぐらしてより多彩な作品が生まれてくる土壌ができたようにすら見える。けど一方で、よくよくみると現在のマンガ界には手塚治虫の影が今もなおそこかしこに存在しているのを感じるのだ。作品そのものが今も様々な形で入手可能なのはもちろんの事、その作品が新しい才能の許また別の形で垣間見られたりするのが最近とみに目につく。石ノ森章太郎赤塚不二夫藤本弘(藤子・F・不二雄)等トキワ荘メンバーの多くが平成の間に鬼籍に入り、彼らの作品も生きながらえている事は確かなのだが、手塚作品はその規模も量も桁違いなのだ。
 そしてそれは手塚作品そのものが読み継がれているだけでなく、その血脈が受け継がれて作品の再生産、というか再創造が様々な形で行われているのが見受けられる。ここではそういう、言わば"手塚イズム"が強く感じられる作品を3つほど取り上げてみたい。


 ○カサハラテツロー「アトム ザ ビギニング」(小学館 既刊9巻)
 実は手塚作品のリメイクやらスピンオフは今もかなりの数生み出されている。圧倒的に多いのは「ブラックジャック」だろう。間違いなく医療マンガの嚆矢であり、死後程なくから現在まで様々な形でいろんな人が描いている。だが――正直ブラックジャック関連のものはあまり買わない。なんというか――生前手塚はアニメに登場したBJにダメ出しするとき「ブラックジャックはこんな風に歩かない!」と言って周囲を困らせたそうだが、そのようになんか違和感しかないのだ。キャラクターが確立され過ぎてしまってちょっとしたことが気になってしまって楽しめない。そのため手塚作品のリメイクやスピンオフ自体を敬遠していた時期が長く続いた。
 そんな中ふと書店に平積みしているのを目にしたのがこの「アトム ザ ビギニング」の第1巻だった。BJと並ぶ代表作、鉄腕アトムのスピンオフ作品。本来ならばスルーする所をつい手に取ったのは、製作スタッフの中にある天才の名前を見つけたからだ。
 ゆうきまさみ――僕がいま最も買っている天才的ストーリーテラーだ。その作品は一見なにげない日常を描いているようでいて気がつくと壮大なストーリーに組み込まれている事に気づかされ、そのさじ加減が絶妙なのだ。ただ彼の肩書は「コンセプトワークス」という耳慣れないもので、原作ですらない。実際に描いているのはカサハラテツローという初めて聞く名前だが、おそらく基本的なアウトラインにゆうきも関わっているのだろう。ゆうきまさみが作ったアトム――ただその一点に心が引っかかってお試しで読んでみることにした。

 内容はアトム誕生の数十年前、主人公は若き日の天馬午太郎とお茶の水博士。この2人が大学院の同級生として共に「自我のあるロボット」の制作を目指して研究に没頭する話だった。ちょっと待て、2人が同級って…と思ったが、天馬は飛び級を繰り返してお茶の水は浪人を繰り返して実際に年齢差が6歳ある事が後に判明。しかし驚くことはそれよりも、「鉄腕アトム」では絶対に合い入れない2人が、ここではお互いの才能を認め合って無二の親友として共同研究している事だ。自我を持ったロボット「A10シリーズ」を制作、作中ではその6番目の自立型ロボット「A10-6」が2人と並ぶ最重要キャラとして登場する。「A10-6」即ち"アトム"と読める判じ物が嬉しい。

 手塚がアトムを描いた時代には、正直コンピューターにおけるソフトウェアとハードウェアの境界線すらあいまいで、そうした科学的なバックボーンが現在の目から見ると弱いのだが、この作品ではそうした所も巧みに補強されている。A10シリーズを制作するにあたってはその基幹OSとして「ベヴストザイン」(ドイツ語で"自我"の意)なるものを開発しており、2人はその名の通り「人形ではない、自我を持ったロボット」の開発に全精力を注ぎこんでいる。2人の関係性もそれぞれ得意分野が分かれており、一見我の強い天馬の方が主導権を握っているようにも見えるが、彼は主にハード系が得意で、お茶の水はソフト系が得意。実際ベヴストザインの基本設計もお茶の水の方が行っていた。理想のロボットを創り上げるのにお互いの得意分野を合わせるのが不可欠と2人とも認識しており、それぞれの才能も認め合っている。なにか成果が上がるごとに、2人が臆面もなくお互いの大きな鼻をつまみ合い、「おれたち天才!」と叫ぶ様は何とも微笑ましい。

 そして2人はいくつもの壁(その大きなものは研究費不足、要は金欠も含まれる)にぶち当たり、資金調達のためにロボットプロレスに出場したことをきっかけに世間的な注目を集めると共に様々な事に巻き込まれるようになり――と徐々にストーリーが拡がって行くのだが、それと共に本家「鉄腕アトム」にも登場するキャラクター(の若き日の姿)や事象が徐々に絡みだすストーリー展開がファンにとってはたまらない。(想像だが、こうした所にコンセプトワークスたるゆうきまさみが絡んでいるのではないだろうか) 最近では、原作アトム番外編である「アトム今昔物語」のサイドストーリーの様相も呈してきた。「アトム今昔物語」はTVアニメ版最終回の後日談として書かれたタイムスリップものである関係上、ちょうどこの「アトム ザ ビギニング」と時系列的に交差するのだ。この作品はアトムの前日譚である。だから本家アトムの世界にどうリンクしていくのか――今、そこの所に非常に注目が集まっていく。手塚治虫ゆうきまさみカサハラテツロー、新旧2人の才能がスパークしてより作品世界が広がっていくのではないか――。その展開を今どきどきしながら見つめている。

 ○コージィ城倉「チェイサー」(小学館 全6巻)
 これは昨年末に連載が完結、単行本最終巻が先日発売されたばかりの作品だが、これは手塚治虫を生涯かけて追跡し続けた架空のいちマンガ家の生涯を描くことによって、鏡像のように手塚の業績を浮かび上がらせるという一風変わった手法によった手塚伝だ。
 正直言って今まで彼の作品は買っていなかった。コージィ城倉(マンガ)と森高夕次(マンガ原作)の2つの名を使い分けつつ何作も並行して作品を量産し続け、ある意味現在マンガ界の台風の目的存在になっているのは承知していたが、その作品はなんか全体的に泥臭く、妙に大げさで受け付けられなかったのだ。だからこの「チェイサー」の存在を知った時も最初はその相変わらずの泥臭さに辟易していたのだが――やっぱり手塚治虫を描くとなると気にかかってついつい連載を追ってしまう。そうするうちにどんどん気になってきて、いつしかこの作品の"チェイサー"になっている自分に気づく――完全に作者の術中にはまってしまった。

 この作品の主人公である海徳光市は手塚治虫作品に内心心酔しながらも表では絶対に認めずに批判的な言動を繰り返す男である。しかしある時年上だと思っていた手塚が自分と同い年であること(冒頭で述べたように手塚は年齢をサバ読んでいたので、実年齢はほとんど知られていなかった)を知り、同じ歳で質・量ともにとてつもない差がある事を痛感し、生来の憧れもあって手塚治虫をひたすら追跡(チェイス)するようになっていった。
 海徳は元々戦記ものを得意とする一点特化型の作風であり、ジャンル問わずオールマイティに描き分ける手塚とは資質が違ったのだが、「手塚になりたい」病にかかった後はできる範囲で仕事を増やし、また今まで手を出さなかったジャンルにも乗り出し作風を広げようとする。それは海徳の作品や生活にもプラスに作用したのだが、困ったことにこの海徳さん、なにかというとすぐ"形から入"りたがる傾向があって…。手塚の執筆風景やら生活について編集者経由でなにか情報を仕入れると、すぐさまそれを表面だけ真似してしまうのだ。それがあまりにあからさまだから周りにも「手塚の真似」であることが筒抜けで、迷惑に感じながらもどこか微笑ましく感じている。
 だがそんな海徳の”努力(?)”も空しく、手塚はますます手を広で作品も深化していって、終いには虫プロ創設してアニメ界に進出し、TVアニメ第1号「鉄腕アトム」で大人気を得、名実ともに到底海徳の手が届かない領域にまで行ってしまった。しかし海徳の内面にとって手塚はライヴァルではなく目標であり、それでもチェイスをやめようとしない。その結果現在の手塚の状況(良くも悪くも)も客観的に把握でき、自分もアニメ化に手をかけようとあれやこれやと試行錯誤して――。

 作品中手塚治虫はまともに登場しない。海徳と相対するシーンも何度かあるが、一貫してシルエットで描かれて(トレードマークのだんご鼻ベレー帽、眼鏡でそれと判別つく)おり、あくまで黒子に過ぎない。それでいて、この作品で描かれているのはあくまでも海徳の目を通して描かれた手塚治虫その人と業績そのものなのだ。海徳はただひたすらに手塚を追い求め続けて(しょっちゅう回り道をしながらも)マンガ道を突き進み、遂には手塚低迷期に少年漫画でヒットを飛ばすことによってほんの一瞬ながら手塚をも追い抜く人気を得た時期もあった。もちろんその後「ブラックジャック」をきっかけに手塚は完全復活を告げ、海徳は再び手塚の後塵を拝することになるのだが、不思議と海徳に悔しさはない。むしろ「決して追いつけない永遠の目標」としての手塚の存在にある種の安堵感があるようにも思えた。そして最終回、自ら病床にありながら手塚の若すぎる死に接した時、海徳は作中で唯一涙を流しながらこうつぶやく。「勝手に死ぬなよ…。もっともっと、色々と追いかけたかったのによ…」この時の涙は悲しさ故か、それとも悔しさ故か…。
 この作品の主人公は間違いなく海徳光市だが、本当の主役は、彼の目を通して映し出された手塚治虫の生涯とあまりに大きすぎる業績そのものであり、結果的に「手塚治虫とその時代」を生き生きと活写している、非常にユニークな手塚伝として長く語り続けられるであろう力作と言っていい。


 ○TVアニメ「どろろ」(東京MX他で現在放映中)
 そして最後は実に50年ぶりにアニメ化された「どろろ」である。
 「どろろ」自体は"時代を先走りすぎた"不幸な作品と言っていい。現在では手塚の代表的な作品として認知されているが、雑誌連載時はその陰惨な雰囲気が少年誌に合わずに打ち切りを食らい、その後アニメ化に連動して復活したものの結局最後まで描かれることなく中途半端な結末のまま終わった、言わば不完全な作品である。
 だが平成に入ってからは時代が追い付いて再評価著しく、実写映画化やスピンオフ作品が作られてきたのだが、その「どろろ」が改めて再TVアニメ化されたのだ。なぜ今…その情報を聞いた時には正直とまどった。しかも絵柄的にも手塚タッチとはいささか違った雰囲気だったので、原作から離れた奇ッ怪な代物になってしまうのではないかと最初は危惧していた。
 とはいえ気になるので録画して観はじめたのだが――。第1話を観た時から「これは…」と期待感が沸々と湧いてくるのを感じた。
 まず絵柄についてだが、やや劇画タッチに寄せていて当初は違和感を覚えたものの、それでもどこか手塚の線を思わせるところもあって必ずしも遠い所にあるものでもない。観ていくうちに不思議と共通項の方が多く感じられて馴染みがでてきた。それに基本プロットは同一にしろ細かい所で様々な改変が行われいるのだが、この改変、全然いやではない。いや、というか原作を良く読み込んでそれを最大限尊重した上で、「でもこちらのほうがよりよくなる」と自信を持って作品をブラッシュアップしているのだ。
 前述のように原作の「どろろ」は不完全な作品であり、まずちゃんと完結してない上にそのいびつな連載故に途中での設定改変とかも行われており、もちろん単行本作業の際手塚自らが統一感を目指して手を加えているのだが、それが必ずしも徹底されていず、元来のいびつさがそこかしこに残ってしまったままなのだ。それが読み進む際に澱のように引っかかり、全体をすっきりさせない要因になっている。
 今回のアニメ化で行われたのは全体の構成を再構築する事だった。そのため原作を徹底的に見直し、原作の要素をきちんと残した上で再創造と言っていいほどの組み直しをしている。それはあたかも不完全に終わった「どろろ」という作品を自分たちの手で完成させてやろうと言わんばかりの意気込みが感じられる。

 まず中心人物の百鬼丸の設定について。生まれてすぐ多数の鬼神に体のあらゆるパーツを奪われて、言わば"生きる屍"として生まれ出た運命の子であり、当初は手足はもちろん目も鼻も耳も口もない。言わばヘレンケラー以上の多重苦を抱えているのだが、それではキャラとしてマンガの中でコミュニケーションが成り立たない、ということで手塚はテレパシーのような超常能力でどろろ達と会話ができることとし、それで話を進めていった。しかしこれは考えてみれば設定上かなり無理があり、言わば話の都合上無理を力づくで通した感がある。
 今回のアニメではまずそこに思い切った設定変更がなされている。第1話初登場時、百鬼丸はまったくのコミュニケーション不全の状態なのだ。しかも体の皮膚すらない状態なので、やむなく顔には木製の仮面をつけている。このことにより、彼は当初人間と言うよりも生きた人形のような不気味な存在でしかなく、到底ヒーローには見えない。ただ鬼神を倒すのにはそれを判別・特定できることが必要なので、唯一心眼のような能力が身についており、対象が持つ"魂の色"により相手が有害か無害かわかるようにした。(そして同等の能力は後述する琵琶丸にも兼ね備えており、これにより能力の相対化が図られてより鮮明になっている) そして第1話で鬼神を倒したことにより、百鬼丸にはまず体の皮膚が戻り、それによりまず付けていた仮面が取れ、中から人間の顔が表れる――これにより彼が機械人形ではなく人間である事、鬼神を倒すことにより奪われた体のパーツが百鬼丸に戻る事が鮮明に印象付けられる。

 百鬼丸の設定改変は当然相方であるどろろにも影響を及ぼす。とにかく最初の数話、百鬼丸は全くと言っていいほど意思の疎通が取れない状態なのだ。第1話で百鬼丸と遭遇したどろろは彼に興味を持って同道するものの会話がなりたたないのにとまどう。しかしどろろはとにかくお構いなしに百鬼丸に話しかけまくるのだ。最初の数話、百鬼丸役の鈴木拡樹は全く出番がなく、どろろ役を託された子役の鈴木梨央は大量のセリフをよどみなくしゃべり続ける。これはその後百鬼丸が耳そして声を取り戻した後、生まれてこのかた言葉を発したことのなかった彼にどろろがのべつまくなししゃべり続けるのを聞くことによって、言わば良き先生役となっているのだ。そのおかげで最近では、百鬼丸は回を追うごとに語彙が増え、少しづつ普通にしゃべれるようになりつつある。

 原作でもかなり存在感を持って描かれている琵琶丸は、アニメではより重要な役どころになっている。どろろたちと付かず離れず、いつの間にかいなくなったと思えばひょいとまた現れ、2人のよきアドバイザーとなっている。また彼は目が見えないものの百鬼丸と同様の心眼を持ち、琵琶に仕込んだ刀を使って妖怪を退治する腕にもたけている。見識も経験も豊富で、百鬼丸が置かれている立場も正確に把握し、結果的に登場人物の中で百鬼丸の行動を解説する役割を持たされた。また琵琶丸同様、百鬼丸の育ての親である寿海も原作以上にキャラクターの掘り下げが行われており、それが物語に深みを持たせている。

 そしてなにより一番の改変は、百鬼丸が鬼神を倒して体を取り戻す、その負の部分を明確にしたことだろう。まずは百鬼丸側だが、当初彼の体の多くは寿海によって作られた作り物だった。もちろん不便なことは確かなのだが子供の頃からの訓練の結果、その義手義足を自在に操る事に長けており、こと鬼神退治に関してはほぼデメリットはない所まで来ている。そうなってくるとこれらのパーツは痛みもなく替えも効く、非常に便利なものとなっている。それが鬼神を倒して順次自分本来の体を取り戻すことによって、生身の、替えの効かないもろい部分が増えていっているのだ。身体の部分だけでなく百鬼丸は「痛み」を始めとする感覚も取り戻していく。そのため初登場時は言わば無敵の鬼神殺戮マシーンだった百鬼丸は徐々に人間化し、総体的に"弱み"を増やしていく。実際聴覚を取り戻した時、耳から否応なしに入ってくるその覚えのない膨大な情報量に混乱し、一時的にほとんど動くことができなくなってしまっているのだ。他にも取り戻した方の足を鬼神に今度は食われ(後で取り戻せたが)、ようやく取り戻した"声"で生まれて最初に発したのはその痛みに耐えかねた叫び声だった――。こうして百鬼丸が心身ともに良くも悪くも"人間"を取り戻していく様を原作以上に鮮明に描いているのだ。

 さらに景光側から。元々百鬼丸の体は、父醍醐景光が自らの野望達成のために鬼神と契約し、景光のいわばその生贄として差し出したものである。これは原作にも明確に描かれている。なのに百鬼丸がその鬼神を次々と倒して奪われた体のパーツを取り戻していくとどうなるか――当然景光と鬼神の間に交わされた契約は反故になり、それまで鬼神が景光に与えていた恩恵は次々と消滅していく――。
 さらに原作では景光の野望は天下取りのためとシンプルだったが、今回のアニメ化では彼の領土は元々天変地異等で荒廃しており、生き地獄と言っていいほどに荒れ果てていたことが描かれている。景光が鬼神と契約した背景には、自らの野望もあるが、このままでは滅亡の恐れすらある領土を鬼神の力を借りてでも安定させ、民が安心して暮らせることを願ってのことでもあった。実際そのおかげで、周りの国が相変わらず荒廃しているにもかかわらず、醍醐の地だけは凶作に悩まされることも戦乱に苦しめられることもなく、他からは不思議がられるほどの繁栄を誇っていたのだ。これもみな醍醐景光の御威光のおかげと、地元からは名君扱いされていた。
 それが百鬼丸が体のパーツを取り戻すごとに、ひとつ、またひとつとその繁栄に陰りが見られ、旱魃や氾濫、さらに隣国との緊張悪化と様々な問題が噴き出し始めた。景光もその不穏な様子から、百鬼丸の存在を疑い始める――。
 さらに原作では単なるやられキャラだった百鬼丸の弟多宝丸も重要性をぐっと増し、むしろ文武共に長けた、まだ若いが名君の器を感じさせる人物に成長している。以前から自分が親からどこかないがしろにされているような喪失感に苛まれ、その本質を探るうちに百鬼丸の真実を知り衝撃を受けるも、結局(おそらくは鬼神の影響を受けてしまい)「民を守るためには兄といえども犠牲にならなければならない」という思想に取りつかれてしまう。その結果百鬼丸最大のライヴァルとも言える立場になった。

 このように原作を知っていても随所に新たな発見があり、観ていて実に新鮮に感じる。総体的にこのアニメを俯瞰してみると、ひょっとして今回のスタッフは不完全に終わった原作を補完し、自分たちなりの「どろろ」完全版を作ってやろうとしているのではないかと穿ってしまいたくなる。その結果アニメは原作から次第に"離れ"始めている。この物語がどのような帰結点を迎えるのか、原作を知っていても次第に予測が難しくなってきたのだ。しかしこれら改変により、ストーリーはより立体的・重層的になってきており、予断を許さない。
 もちろんその結果がはたして最終的に評価できるものになるのかは分からない。鬼神・妖怪退治の個々のエピソードでも毎回必ずと言っていいほどの改変が加えられているのだ。「万代の巻」など原作よりもぐっとやるせない展開に目を瞠ったものだが、回によっては改変によって原作の魅力が殺がれているように思える時もある。今までの所あくまで原作尊重の上での改変と感じられたのだが、改変することが目的となって原作をないがしろにするようなきらいがもし出てきたら、せっかくここまでいい流れで来たものがねじ曲がってしまうだろう。下手に改編にこだわらずに、是々非々で素晴らしい仕事をしてくれることを願ってやまない。


いずれの作品も、手塚治虫なくしては決して生まれなかった、その遺伝子が色濃く残った注目すべき作品たちだ。振り返れば平成の時代、他にも手塚作品が元となった新作はいくつも存在した(もちろん中には正直許しがたいものもあったが)のが分かる。平成の幕開きと共に手塚治虫はこの世を去ったが、平成を通して手塚治虫作品の生命は今も絶えることなく脈々と生き続けている事が感じられるのだ。次の令和の時代には果たしてこの状況が続くかはわからないが、手塚作品を愛する一人として、この生命が火の鳥の如く燃え続けることを願ってやまない。

特別な事は何も言えませんが…

 イチローが現役引退することが遂に決定した。
 もちろん昨年シーズン中の前代未聞の契約、さらに今年東京での開幕戦の出場決定という変則的な事象からこの事を予感する人は多かったろう。しかしイチローなら、そんな思惑を必ずや覆してくれるに違いない、そう信じる気持ちがどこかにあった。

 しかし――今年に入ってアメリカから伝わってくるオープン戦の不振情報はこちらの気持ちを不安にさせ、そして東京に乗りこんできてからのプレーを観て…「ああ、イチローもやはり"人の子"だったのだ」そんな事を思わずにはいられなかった。

 そこにはこちらの知るあの"イチロー"の姿はもうなかった。確かに肩や足腰と言った体力的には年齢を感じさせないものがあったが、目がボールに追いついてないのか、そのせいで反射神経がにぶっているのか、動き出すのに一瞬の遅れがあって、その一瞬が命取りになっているように感じた。
 打席に立った姿を見ていても、もうなんだか打てる気がしない…。実際に凡退を繰り返しているし、なによりも何度となく見逃しの三振をするのを見て、もはやその予感は決定的になった。もうなすすべもなく、ただボールがキャッチャーミットに収まるのを一歩遅れてただ見ているような様子なのだ。メジャーはもちろん、日本チームのスピードにも追いついていないように見えた。

 きのうのメジャー開幕戦、イチローは第1打席にセカンドフライを打ち上げた後、あっさりと交代させられた。その瞬間(ああ、2戦目の先発はないな)と思った。
 しかし今日もまたスタメンにイチローの名前がある。なんだか奇妙な気持ちだった。今日こそは何か見せてくれるのか…しかしあいかわらず凡退を続け、第3打席ではまたもやなすすべもなく見逃しの三振で終わった。「戦力外…」脳裏にそんな言葉が明滅した。
 さらに試合後に会見を開くという。もはや決定的だった。そしてネットを検索すると、MLBでは既にイチローの引退を報じているとの文字が…。

 この期に及んでこの引退に異を唱える人はいないだろう。が、それでも感無量でどうしようもなく、うまく言葉が出てこない。ただ、ONに匹敵するスーパースターは、ただ一人、イチローだけだということだけは確信した。それは人格的なこともすべてひっくるめてだが、彼のような人はいるだけでもまわりに素晴らしい影響を波及していくだろう。今後指導者として球界に残ってくれるとは思うが、これからも日米球界すべてに素晴らしいものを残していってほしい、その事を願わずにいられない。

或るニョーボの死まで~須賀原洋行『天国ニョーボ』

 よしえサンが亡くなった――それを知った時の衝撃は今でも忘れられない。気がつくともうあれから5年以上の歳月が経っているというのに、なんだかついこの間のような気がしてしょうがないのだ。たとえ直接面識がなくとも、長年敬愛していた人の死は哀しいものだが、彼女の場合はちょっと特別な想いがある。

 須賀原洋行氏のマンガを読んだ事のある人ならば、まず間違いなく彼女の事を強烈な印象を伴って憶えていることでしょう。最初、氏の出世作『気分は形而上』の中で作者こと"漫画家S"の「OLの恋人」として初登場。その後結婚すると、彼女は漫画家のニョーボとOLの2足のわらじを履きながら、その周りの者を亜空間に吹っ飛ばすような超絶ボケを連発し、「このOLは実在する」「このニョーボは実在する」の決めゼリフの許"実在OL"もしくは"実在ニョーボ"として史上空前の大ボケマシーンとして、作品中で暴れまくった。
 その後、遂には『気分は形而上』から飛び出して『よしえサン』という単独作品で主役を張るようになるが、そのパワーは衰えるどころかますますぶっ飛んでいく。そんな中、第一子出産を機にOLは辞めてニョーボ業に専念。漫画家Sとよしえサンの2人は、現実と平行しながらその家族の様々な事を書き綴っていった。
 その後よしえサンも3人の男の子の母親となり、子供らを育てていく間に少しづつかつての大ボケっぷりは影を潜め、たくましい母親としての面が目立ってきて、子供らを、そして時おり幼児化するダンナにツッコミを入れる役が増えていった。

 まぁそれとともに、マンガとしてはかつてのギャグパワーが沈静化していくのを避けようがなく、徐々に人気も落ちついてきた。このシリーズは『よしえサンち』『実在ニョーボよしえサン日記』とタイトルと掲載誌を変えて続けていったが、変わるごとにだんだん掲載誌がマイナーになっていって追うのが困難になっていった。作品にも試行錯誤の跡が伺えたが、作者にとっては自分たち家族の記録との面も既に持ち始めていたので、ライフワークとしてなんとしてでも続ける気概を見せていた。
 僕自身、以前ほど積極的に読もうという気は失せていたが、それでも単行本が出れば必ず見つけ出して買っていたし、ダンナとニョーボ、それにタクミくん・ツクルくん・アユムくんの3人の子供を囲んだ家族の様子を観続ける事をやめようという気は起きなかった。

 しかし終わりは突然訪れた。
 シリーズのひとつとして当時連載していた『実在ゲキウマ地酒日記』。そこでもよしえサンは最終回直前まで普通に出演していた。しかしその最終回で作品世界は一変する。
 実は、この作品の連載中によしえサンは病に倒れ、もう既に荼毘に付していることを作者自ら公表したのだ。ただ、「もしものことがあってもマンガの中で生き続けられれば…」(『地酒日記』最終回より)との故人の生前の意志を尊重して、それまでまるで生きているかのように書き続けていたのだ、と。
 ただ、いつまでもそんな事が続けられるはずもない。もう既にいない人間をあたかも生きているかのように描きつづけることに強烈な重圧を感じるようになり、遂に心がぽっきりと折れ、いきなり訪れた最終回で、漫画家Sは遂に現実に向き合うことにしたらしい。

 冒頭でも述べたように、もちろん僕はよしえサンと直接の面識はない。でもこれを知った時の衝撃は、まるで身内をひとり亡くしたかと思えるほど強烈なものだった。ひとつは年齢の事もあるだろう(よしえサンは僕と同世代、ひょっとすると同い年みたいですから)。でもそれ以上に、よしえサンに出会ってからかれこれ20余年、この一家の事を、まるでたまに会う親戚のように、付かず離れず自分はずっと気にかけてきたんだな、という事に改めて気づかされた。

 今、改めて『実在ゲキウマ地酒日記』を読み返すと、作者Sのとどまるところを知らない日本酒愛にまぎれて、随所にそれまでないほどよしえサンへの愛情を気恥ずかしいまでにストレートに表出している事に気がつかされる。殊に第39話「達磨正宗」の話は泣ける。飲み手が自ら事前購入して記念日に向けて古酒に熟成させるというユニークな商品で、Sとよしえサンは記念日に向けてそれを購入しようと検討するが、気がつくと2人が既に銀婚式を過ぎていることに気づく。ひと悶着あった上、最終的に金婚式に向けて購入する事を決める。そのラベル用に2人のイラストと言葉を添えているのだが――。
  ニョーボ「よく50年も続いたわね」
  ダンナ 「続くだろ、フツー」
 ――しかし実際には、この時点で「フツー」のことが奇跡でも起こらない限り決して訪れない事は既に明白だったのだ…。

 そして最終回、よしえサンが闘病の末既に亡くなっている事を明かし、連載は唐突に終了する。わずか6ページとはいえ、その最期の壮絶さが伝わってきて鬼気迫るものがある。ほんと、作者Sにもよしえサンにも長い事お疲れ様でした、と万感の想いがあふれる最終回だった。

 こうしてすべてを明かし、よしえサンとは名実ともにお別れをして作者Sはまた新たな道を探るのだとこの時は思っていた。しかしその後の展開は思いもかけないものだった。
 死を公表した上で、新たにキャラクターとしてよしえサンの復活を図ったのだ。まずは前述『実在激ウマ地酒日記』単行本最終第2巻の巻末描き下ろしとして描かれた「帰ってきたヨッパライ編」の最後でちょっとよしえサンを復活させてみた。この時は「最後にちょっとやってみた」的なサーヴィスだと思っていたのだが、そうではなかった。並行して連載していた『よしえサンのクッキングダンナ』でも引き続き出演させていたのはもちろんのこと、更には"死後のよしえサン"をメインにした新連載まで始めたのだ。それこそはこの『天国ニョーボ』だった。

 『天国ニョーボ』は「帰ってきたヨッパライ編」の設定を引き継ぎ、Sの家に突如現れた"どこでもホホホドア"(許可取ったのか?)からよしえサンがあの世から訪れてまた一緒にいろいろとやりとりするというものだった。第1話は2人の出会いから生前を回顧した上で、突然の発病から闘病・他界からそれを公表するまでを走馬灯のように駆け抜けた後、よしえサンの「キャラクターとしての復活」を画策するもその方法に行き詰っていたところを前述"どこでもホホホドア"から本当にニョーボが還ってきて…という導入部だった。
 第2話移行はこうして「世間的にはいないことにはなっている(一般の人には姿は見えない)けども実際には家にいる」ニョーボと自分たち家族を舞台にしたメタフィクションコメディ…を目指していることは伝わってくる。なんでニョーボが戻ってこれたのか、宗教やお墓や仏壇購入にまつわる話、現実の子供に関する問題…といったものが取り上げられていくが――僕は須賀原氏のファンなのであんまりこういうのは言いたくないが、はっきりいって面白くはなかった。いや事情は知っているからあまりおおっぴらに文句は言えないけども、でも古くからのファンはともかくこのマンガで新たな読者を得るだけの力があるか…というと正直疑問を投げかけざるを得なかった。
 そしてそれは杞憂ではなかったらしい。単行本1巻弱の連載が続いた後に作品は大きく舵を切り直すことになる。その理由はおそらく内外両方の理由が考えられた。外面的には低迷する人気のテコ入れのため、そして内面的には――ニョーボへの喪失感があまりに大きく、結局よしえサンを使ってコメディを描く事自体が作者自身苦しくなったんだと思う。
 そして第16話から『天国ニョーボ』はよしえサンの闘病記へと方向転換する。まずはニョーボの野辺送りの日の回想から始まり、それから最初の病気(乳がん)が見つかった時に戻り、それからは時系列で、よくぞここまで…と思うほど微に入り細を穿ち最期に向かう日々を描写していく――。
 本当に、ここには当事者でしかうかがい知ることのできない様々な感情が渦巻いて尽きることがない。作者Sにとって、この話はいずれどうにかして描かない訳にはいかなかったという思い入れがひしひしと感じてくる。考えてみるとがんという病気はちょっと特異な特徴があり、時にはなかなか死ななかったりする。昨年遂に亡くなった樹木希林が数年前から「全身がん」を公表しながらも亡くなる直前まで精力的に仕事をこなし、「死ぬ死ぬ詐欺」なんて自嘲していたのも記憶に新しい。よしえサンも闘病の初期はわりかし普通に生活しており、病状の進行具合はどちらかというと検査の数値等でなければわからない。そんな中、がんという決定的な治療法のない(故に数多くの治療法がある)病気に対してこちらの望む治療を受け付けない現在の医療体制に対する不信感というのも随所に表れている。でもそれは結局「どの治療法が効くのか」が人によって違い、やってみないと分からないという所にすべての原因がある。
 例えば昨年本庶佑氏のノーベル医学・生理学賞受賞で一躍注目を集めたオプシーボだって効く人は限定されており、これにより劇的に病状が改善した人がいる一方、これに頼ったがために手遅れになり結果的に命を落とした人も多い。作者Sもエビデンス金科玉条のように振りかざす医者に対して強い拒絶の気持ちを抱きながらも、様々な可能性を考慮した結果結局医者の言う治療法を選択してしまう。作中でもマンガ的フィクションの手法を用いて様々な治療を試そうとパラレルワールドを彷徨うのだが、その挙句、結局すべての結論が手術に行きついてしまう様子が描かれている。誰にも本当の正解は分からないのだ。
 結果的によしえサンの選んだ道は再発→治療法のない袋小路へと進んでしまう。それだけに今になって「あの時この道を選んでいたら…」という思いが湧き出てくるのだろう。すべての結論がひとつにまとまってしまう描写は作者Sが「いや、あれでよかったのだ」と無理矢理自分を納得させようとしているようにも見える。後半、よしえサンの身体や行動にじわじわと病の影響が表れてくるともう目が離せなくなる。そしてダンナである作者Sの、ニョーボを思いやるその言動にも…。これだけの事が描けるという事は、おそらく相当細かい記録を日々取っていたのだろうと推測される。

 そして訪れる最期の日――ここから先の事は、ぜひ読んでほしい、としか部外者の僕は言う事ができない。
 正直これほどまでに読むのがつらいマンガというのも少ないと思う。いつもの通りのギャグ漫画の絵でありながら、その内容はまさしく鬼気迫り、その最期に向けた壮絶さには言葉を失う。今回改めて読み返してみても、分かっていながらいきなり慟哭のようなものがこみあげてきて思わず涙が噴き出し、気がつくと眼鏡のレンズに霧のように跡がついていた。
 だがその身を切るようなつらさが、雑誌を手にする一般読者から敬遠されたのだろう。終盤は本誌での連載を切られ、その後ネット上での掲載でかろうじて最終回を迎えた。そのラストも、いささか駆け足になったきらいがある。

 闘病記としては圧倒的な内容を持つこのマンガ、ただ全体像を見渡すと途中で方向転換した分いびつな印象を残すことは否めず、そのことが作品の評価を難しくしている。しかし作者Sにしてみれば、公私ともに長年連れ添った大切な人を失ったその痛みを乗り越えるために、3人の子供とともにこれから"生きて"いくためにも、是が非でも書かなくてはいられなかった壮大なレクイエムのように感じられるのだ。
「マンガで子供たちをちゃんと食べさせるのよ。(中略) 必要なら、わたしの闘病記だって描いていいから。(中略) 治らなくても描くのよ。それでちゃんと稼げて、子供たちを養えるんなら、描くのがどんなにしんどい話になっても描くのよ」(『天国ニョーボ』より) よしえサンが生前言い遺したこの言葉で、須賀原氏はおそらく何度も何度も自分を鼓舞していたに違いない。

 実は須賀原氏がこれをもってよしえサンを描くのを辞めた訳ではない。今も描きつづけている『クッキングダンナ』シリーズによしえサンは今も登場し続けている。ただ――なんだろう、『天国ニョーボ』完結後、その存在感がだんだん希薄になってきているのだ。代わりに遺された3人の子供たち、彼らとのやりとりが生き生きと活写されることが多くなっている。
 マンガの中で生き続けたい…。よしえサンが遺したというその言葉を今も忠実に守っているのだろうが、年を経るにつれて彼女のいない、子供たちとの生活が徐々に日常になってきているのが感じられる。そしてある時気づいたら「あれ、そういえば最近よしえサン全然出てこないな」ということになっている日が来るのかもしれない。

 でも、それでいいのだろう。