モンキー パンチ氏を悼む

 びっくりした。
 モンキー パンチ氏の訃報を聞いて最初にしたリアクションがこれだった。もちろん既にかなりの高齢であり、最近は作品を発表することもめっきりなくなっていた事は認識していたのですが、たまたま現在「週刊漫画アクション」創刊期を描いたドキュメンタリーマンガ「ルーザーズ」(吉本浩二作)が連載中であり、その中でまさにデビュー当時のモンキー氏が生き生きと活写され、さらにその単行本第1巻巻末には当時を語るご本人のインタビュー記事が掲載されていたものだから、まだお元気だと思っておりました。

 モンキー氏と言えば、なんといっても「ルパン三世」でしょう。まだ小学生の頃、夕方に再放送されていた「ルパン三世」(確か当時しつこいぐらい繰り返し放映されていた)を初めて観た時の衝撃が今でも忘れられない。ちなみに僕が見たのは1stシリーズ、所謂"緑ジャケ"ルパンだけども、それまで観たどのアニメとも一線を画する画期的なものだった。いったい何が違うかというと"空気感"だったと思う。その独特のヒリヒリと肌を刺すような雰囲気、今なら「クール」とか「スタイリッシュ」とかいろんな言葉を当て嵌められるが当時はそんなこと思いつきゃしない。ただひたすら「なんかしらんけどめちゃくちゃかっこいい」。後半になると(低視聴率に伴う路線変更だと後から知った)コミカルなシーンも増えてくるけど、そういうのもひっくるめてすべてに魅了された。
 この出会いがなければ、今に至るまで「ルパン三世」と言えば嫌でも追っかけてしまう自分は存在しなかったと思う。それほどまでに、骨の髄まで惚れ込んでしまったのだ。

 こういった風にアニメ「ルパン三世」に関してならいくらでも書き連ねていけそうだけども、ここではあえてそうしない。その存在が大きすぎ、モンキー氏を振り返るのに却ってその目を曇らせてしまいそうだからだ。

 そんな魅了された作品ならば「原作を読んでみたい」と思わない訳がない。ところが実際に原作「ルパン三世」に触れたのはずっと後、確か中学に上がってからだった。なにせアニメのエンディング(有名な「不二子がバイクでひたすら疾走する」やつ)の中で「週刊漫画アクション連載」と書かれたのを見て「アクション?何それ?」と当時マガジンやサンデーしか知らない身にとってはそれがいったい何なのか見当もつかなかったぐらいだから。

 ようやく原作に触れたのは新しいアニメシリーズ(所謂"赤ジャケ"ルパン)が放映開始された後で、アニメ新シリーズがかなり雰囲気が違うのでとまどいつつ、ようやく単行本を目にする機会があり「じゃあ原作はどうなんだろう」という感じだった。
 けど原作を読んだ印象はというと、正直とまどいしかなかった。どちらかというとアニメ第1期のヒリヒリとした肌触りはあったが、どこかそっけないというか読む者を寄せ付けないものがあった。設定もアニメとは違い、特に峰不二子が特定キャラクターでないのが一番とまどった。

 その後も氏の作品は機会あるごとに単行本を見つけては長年買い集めてきた。その数はタイトルで10を超えるが、独特の魅力は感じつつも、正直「これぞ!」というものは見当たらない。なんというかあえてキャラクターの内面に踏み込まず、読む者の感情移入を拒否するような作風なのだ。代わりに長年追求してきたのは外面的なカッコよさ、そしてひんやりとしたカミソリのようなセンス。だがそれ故に作品が表面的にも見えてしまうリスクを常に背負っていた。
 前述の 「ルーザーズ」を読んでいると、モンキー パンチの登場がいかに当時の日本マンガ界に衝撃を与えたかが伝わってくる。こんなマンガを描く人が、いや、こんなマンガが存在できること自体誰も思いもよらなかったのだろう。センチメンタルを一切拒否してひたすら己の持つセンスだけで勝負しようとするマンガ家の出現、その新しいパワーが日本初の青年マンガ誌「アクション」を生み出す引き金になったことが伝わってくる。

 しかしこの時連載した「ルパン三世」そのものが、マンガ界を越えて現在のように誰もが知る作品になり得たかというと、正直首をかしげざるを得ない。内面に踏み込まない(故に「ルーザーズ」内でモンキー作品で出てくる「文学を感じた」という科白にはどうしても違和感を覚えてしまう)その作風は、斬新さを感じつつも一方で共感を得にくいので、広く長く親しまれるには限界がありそうなのだ。
 だがこうした原作の衝撃が失われないうちに最初のアニメ化がされた。幸いなことに大隅・大塚・宮崎ら当時の俊英が次々関わったこのアニメによって、原作ではあえて描くことを拒否していたようなキャラクターの内命にまで踏み込んで描写され、このことによって5人の主要キャラクターがここで確立されたのだ。
 原作者のモンキー氏にとってはこれは意に染まぬことだったかもしれない。しかし氏は「アニメはアニメ」と割り切って一切口を出さず、アニメスタッフの好きに任せた。第1期のアニメは時代を先走り過ぎて本放送時は低視聴率に悩み、途中で演出者交代・路線変更を強いられるものの結局は打ち切りの憂き目にあった。しかし再放送を繰り返すうちにどんどん人気が上がって行き世間への認知度はアップ、それを受けて制作された第2期は放映開始時から大ヒットを記録――。それからのことはもう言うまでもない。
 第2期のアニメは第1期ともまた明らかに違うもので、最初にあったあのヒリヒリとした空気感は消え去りカラッとしすぎたきらいがあり、僕にはそこが不満だったがこれはこれで楽しい作品になっている事は確かだった。そしてモンキー氏はここでも何も言わず好きにさせた。

 その後もアニメは断続的に制作され、平成に入ってからも年1回のスペシャルとして定期的に制作、その間も映画化やOVA、ゲーム、パチンコ、そして近年になってスピンオフ作品や再び連続TVアニメ化、さらにアクション誌上においてShusay・山上正月・深山雪男等様々な若手マンガ家による新たなマンガシリーズが制作、その他小説版や実写映画も作られつつ、連載開始から50年もの年月を駆け抜けた。これらの作品は各々のスタッフの手によってそれぞれかなり自由な特色を持っており、まさに百花繚乱、作品の数だけルパンがあるような感じなのだ。
 これだけ好き放題されながら、原作者のモンキー氏はそれでも何も言わなかった。本当に「好きに任せた」のだ。

 いや正直な所内心はどうだったのかは計り知れない。その後「DEAD OR ALIVE」ではモンキー氏自身が監督として初めてアニメの制作に携わったのだが、自分が原作者でありながら、スタッフから「いや、ルパンはそんなことをしない」と突っ込まれたというエピソードが残っている。この時点でもう、それだけ原作者の抱くルパン像と他の人のそれが大きく乖離していたのだ。
 結局それが最初で最後となり、以後は一切アニメとは関わらず、相変わらず沈黙を守って生涯を終えた。もはやその本心を訊くことはできなくなった。
 この徹底ぶりはすさまじい程だ。しかしその結果、ルパン三世は世代を超えた国民的作品となって今も続いている。モンキー氏が原作者としてのこだわりを見せていたら、おそらくこうはならなかったろう。

 はたして原作者モンキー氏の一番の功績は…と考えると、結局のところ「ルパン三世という作品のフォーマットを作った事」そして「それを他人が制作することに対して一切口出ししなかったこと」に尽きるのだろう。確かに「ルパン三世」と言う作品をを生み出したのはモンキー氏自身だ。しかし氏は自分が生み出した「ルパン三世」というソフトウェアを、言わば改変可能なシェアウェアとして開放したのだ。その結果、脚本家が、アニメーターが、マンガ家が、ゲーム製作者が、各々「ルパン三世」というフォーマットを使って自在に新しい作品を作る事が可能になり、その結果、ルパン作品は今もなお増殖を続けている。
 もちろんこれによってルパン像は時にはブレを起こすことは避けられないし、作品の質自体玉石混交になっている事は否めない。しかし一方でだからこそ各時代時代に対応してフレキシブルに対応することが可能になり、新しい才能の受け皿となって新たな魅力を生み出すことが可能となった。結果、おそらくモンキー氏ひとりでは絶対に不可能だったほどの作品の広がりと長命が実現できたのだ。
 原作者の死後もその作品がアニメ等で作られ続けている作品としては他に「サザエさん」「ドラえもん」「クレヨンしんちゃん」などがあるが、それらは皆言わば専属の後継スタッフが、作品が独り歩きしないよう作品世界をチェックしながら継続させている。「ルパン三世」はフォーマットを踏襲する限りほぼ無制限に容認されることによって、これらの作品とは桁違いな規模での作品の再生産が今も続けられているのだ。
 もちろんこれは作品世界がいつ崩壊するかわからないリスクを抱えているし、それなりのチェック機能も存在していると思うが、やはり一番の根底として「ルパン三世」というフォーマットがいかに様々な展開を呑みこんでしまう器の大きさを持っていたか、ということに尽きるだろう。下手に脆弱なフォーマットだったらこんなことをした瞬く間に原形をとどめずに滅茶苦茶になってしまったに違いない。そこに「ルパン三世」という作品の真の偉大さがある。

 

 繰り返すが、モンキー パンチの最大の功績、それは作品としての「ルパン三世」というよりも、そのフォーマットを作り出し、そのフォーマットを解放したことに他ならない。他にちょっと例がないほどの無鉄砲さ(それは自分の作家性をも否定しかねない)ではあるが、彼の死を迎えた今になると、その度量の、そして人間の大きさには敬服するしかない。これによって「ルパン三世」はおそらくは平成が終わって令和を迎えた後も長く命を保ち続けるだろう。
 改めて、氏の業績に敬意を示し、その死を悼みたいと思う。