自分の顔に責任を持つ

「男は40を過ぎたら自分の顔に責任を持て」
 これはリンカーンの有名な言葉。子供の頃、最初に聞いた時はいったい何を言っているのかとんと見当がつかなかった。
 けど最近、ふとこの言葉を思い出してみたら、その言葉の重みがじわりと実感できて空恐ろしくなった。

 そう、若い頃の顔というのは、それはもう「持って生まれたもの」がほとんど全てといっていい。人生経験積んでないから、それこそ無垢の状態から始まって外面に特に影響が及んでないのだ。だからいい男に生まれればそれだけで人生得するし、そうでないものは…。言うまでもなく後者である自分などはそれだけでどんなに(以下略!)
 でも年を経るにつれ、その人がそれまでどのように生きてきたか、その生活の跡が徐々に顔に滲み出てくる気がする。40過ぎればどうしたって顔はだんだん老けてくるし、若い頃とは容貌も変わってくる。その変わり具合に、どうやらその人の生活習慣や態度・考え方等が反映してくるようなのだ。

 不摂生を続けていけばぶくぶくに太ったり顔のつやが悪くなったりするし、自堕落な生活をしていると顔から覇気がなくなって生気が感じられず、怒ったりしかめっ面ばかりを繰り返しているとその跡が徐々に表情に残って取れなくなる。そういった諸々の影響が年齢と共に顔に刻み込まれていき、言わばその人の「生き様」が顔に表れていくのだ。
 もちろんこれはあくまで傾向の話であり、すべてがすべてそうとは言えないだろうが、若い頃がいいからとそれからもずっといいと思っていると、いずれ手痛いしっぺ返しを食らわないとも限らない。
 逆に言えば若い頃が××でも年齢と共に逆転する可能性だってある訳で(希望的観測)、人生が完全に後半戦に入ってしまっている僕などは、これまでの人生がもう既に相当顔に出てしまっているとは思うが、まだ残っている人生をだからこそよりよく生きようと肝に銘じようと思う。

 しかしリンカーンがこの言葉を発したその時の状況を見ると、単に気に食わない奴を採用したくないから方便として無理矢理言い訳をひねり出した――ではないとはどうしても否定しきれないだよなぁ。