マウスピースの洗浄、その試行錯誤

 楽器の演奏にはマニュアルは存在しない。そりゃ基本的な吹き方とかそういう指針めいたものはあるけど、個人差があって「こうすれば必ずこうなる」と言い切れるようなものはない。結局のところある程度まで行けばその先は各人がそれぞれ自分に見合った方法を模索していく事が必要となってくるのだろう。そういう奥深さがあればこそ長年趣味としてやっていける面白さに通づるのだが、そのため、あるひとつの事に関してに十人が十人違う事を言うことだってある。

 僕がやっているクラリネットについていえば、マウスピースを普段どうやって手入れをするか、なんてその最たるものだろう。

 マウスピース(金管やボクシングで全く別のものを指すのでややこしい)はクラリネットの先に挿し込んでリードをセットすることによって歌口として機能するものだから、始終息を吹き込んでいくので吹いていくうちにどうしても汚れてくる。だから当然掃除する必要があるはずなのだが、困ったことにその洗浄の仕方に"定説"がないのだ。

 ちなみにクラリネット本体は、吹いた後に"スワブ"という紐のついた布を通すことによって管の内側についた唾その他を拭き取ることが必須となっている。マウスピースも一見同じようにしそうなものだが、それは「しない方がいい」とよく言われる。
 マウスピースは非常にデリケートな器具であり、ほんのちょっとした変化で吹き心地が変わってしまう。僕も前に、うっかり手を滑らせてマウスピースを床に落っこどしてしまったことがあるが、それだけでもうぜんぜんダメになってお蔵入りせざるを得なかった。マウスピース自体は楽器と違いエボナイトでできている事が多い(最近他の新素材が使われる例も増えてきた)のだが、このように衝撃にはかなり弱い事は確かだ。
 だから吹くたびにスワブを通したりしていくと、特にデリケートな内側が徐々に削れていって寿命を縮める、というのだ。現に僕が最初にクラリネットを教わった先生(現在も日本を代表するプロオケでトップを吹いている人ですが)からは「マウスピースは自然乾燥しとけばいい」と教わり、なので吹いた後もただそのまま放っておくことを長い事続けていた。

 けど――やはりなんにも掃除しないのもよくないことがそのうちだんだん分かってくる。吹くという事は口の中と常時接触して、そこから絶えず息を吹き込んでいく事だから、息だけでなく口の中のものが一緒に流れ込んでくる。それが少しづつマウスピースの内側に付着していくのは避けようがない。衛生的にも問題があるが、いろんなものが付着して内側に層をなしていき、結局はマウスピースの状態を変えていってしまうのだ。
 やっぱり掃除した方がいいな、とは思いつつもスワブ通せば削れてしまうと言われればそれもためらわれる。ではどうするか――それが、前述のように"定説"がないのだ。考えあぐねた挙句、時折中に水を通したうえでおそるおそる麺棒で軽くなでて汚れを取る、ということを続けてきた。

 「それじゃみんなどうしてる?」と気にかかるのは当然だろう。調べてみるとやはり誰もが知りたい問題らしく、雑誌のQ&Aコーナーとかネットで調べてもいくつかその人なりの回答が目についた。

 その1「コップに水を張ってその中にマウスピースを(コルク部を水に浸けないように)入れ、そこに入れ歯洗浄剤を投入する」
 これはなるほどと思って実際にやってみました。ドラッグストアで(ちょっとこそこそと)ポ〇デントを買ってきて、マウスピースを投入。シュワシュワの泡に包まれていかにもきれいになりそうな感じだったんですが――浸かってた部分が変色してしまったのを見て、なんかヤバい感じがして2度とやる気が失せました。

 その2「コップにポ〇カレモンを入れてそこにマウスピースを突っ込んで一晩置いておけば驚くほどきれいになる。食品だから安全」
 逆に食品を洗浄に使うのに抵抗感を感じてしまって――それにまた浸けた部分が変色してしまうのではないかという不安がよぎり、結局1回もやりませんでした。

 その3「マウスピースなんてしょせん消耗品なんだからさ、気にせずスワブ通していいよ」
 あるプロの人に直接訊いて返ってきた答え。ある意味正論でぐぅの根も出ず、実際一時期マウスピースにスワブを通していた。でも最初に叩き込まれた教えが常に頭の片隅から離れず、暗示かもしれないけど徐々に吹奏感が変わってくる気がして――長続きしませんでした。

 さてそれではどうすべきか。極力マウスピース本体に影響を与えずに汚れだけを落とす方法はないものか…。数年前、某メガネ量販店の前で(これ、いけるんじゃない)とアイディアがひらめきました。
 そう、店舗の前によく置かれているメガネ洗浄機です。超音波洗浄機の事はその以前から話に聞いていましたが、実物を見たのはここが初めてでした。水を張ってある中に眼鏡を突っ込んでスイッチを入れると、蝶番など隅の方に溜まった汚れだけがぶわーっと水の中に浮き出てくる。初めて見た時にはちょっと感動しました。で、なんとなくずっとこれはメガネ洗いのためと思っていたのですが、ある時(ここにマウスピースを突っ込んだら…)と頭の中でつながったのです。まぁいくらなんでも店先でいきなりマウスピースを取り出すのはためらわれたのですが、調べてみるとこの超音波洗浄機、家電量販店で数千円で買えると知り、思い切って"マウスピース洗浄のために"買ってみたのです。

 特に変わった使い方はしていない。張る水に関しては「エボナイトは塩素はよくない」とのことなので浄水器を通した水を使っているぐらい。コルク部分に水を浸けない方がいいとは聞いているので、コルク部分を持って張った水の中に先の方を突っ込み、手でホールドしたままスイッチを入れて終わるまでそのままの体勢で待つ、そのぐらいか。頻度は月1回ぐらいだが、思った通り、スイッチを入れるとマウスピースからは驚くほどの汚れが湧き出てきて、(こんなに汚れてたんだ)と驚く。超音波で共振する影響はどうなんだろうと不安はあるが、元々吹いている時にも共振しているんだから考えないことにした。

 こうしてここ数年、マウスピースの洗浄はもっぱら超音波洗浄機でやってきた。気のせいかもしれないがマウスピースへの影響も少なく、寿命も延びたような気がしていた。ただ、先日ある事があって以来、これだって他と大差ないやり方なんじゃないかと思えてきた…。

 というのも去年の暮れ、練習してなんか妙に音が細く、薄っぺらい音がするようになってしまったのだ。いきなりどうしてだ?としばらく訳が分からずとりあえずまた超音波洗浄機で洗ってみたのだが、その時に内側を覗き込んであることに気がついた。
 コルク側の内側、つまり洗う時手で持っている方の接合部近くに、なにやら薄く盛り上がりが見えたのだ。なんだか分からなかったがこれが関係してそうな気がして、内側に水を通してまんべんなく濡らしたうえで、麺棒を使ってその盛り上がりをこそげ落してみた。それで分かったのだが自分の痰のかけらがへばりついていたのだ。そういえあばその少し前に風邪を引いて鼻水や痰がひどい状態の時があって、そんなときでも楽器吹いていたものだから息と一緒に痰が吹きこまれ、マウスピースの内側にくっついて乾燥したものらしい。前述のように超音波洗浄機に突っ込むときコルク部分を持っているからそこは水に浸かってない。つまり超音波洗浄の死角に入ってしまっていたのだ。

 仕方がないのでマウスピース内部に水を通して濡らしたうえで麺棒をあててそっとこそげ落とす。その上で改めて吹いてみて、とりあえずは状態が好転したようには思えたのだが…それでも、その前と同じようには戻らなかった。吹いているうちに思うようにならない不満がだんだんに溜まってきて――その時たまたま別の具合のいいマウスピースに出会い、結局新しいのに乗り換えることにした。

 自分の中では超音波による洗浄はなかなかいい方法だと思っていたのだが、とんだ落とし穴があった。そして水に浸ける以上、どうあってもコルク部分は洗浄範囲内になってしまう訳で…。息と共に汚れが溜まるのが先端部分が主なので気にしてなかったが、これは結構大きな問題だ。(入れ歯洗浄剤やレモン果汁にも同様の死角が存在する)
 結局このマウスピースの寿命は2年半余り。気に入ってたのだが、結局これまでとさして変わらない寿命で終わってしまった。

 こうして話は半ば降り出しに戻った。結局一番いいのは「気にせずスワブを通すこと」になるのだろうか…???