漢字書き取りの効用

 数か月前から毎日漢字の書き取りを始めました。

 思い立ったその日になんか適当な問題がないかとネットで探して「毎日漢字」というページを見つけ、毎日15問づつ、内容的にも自分に適当そうなのでその日のうちにノートに書きだし始めました。そのノートももう3冊目になります。

 思い立った理由は単純。年々漢字が書けなくなっていくことを痛切に感じ、それがもう危機感を覚えるレヴェルに至ったからです。毎日毎日パソコンでキーボードを打つことに慣れ切ってしまい、気がつくと手で文字を書く機会はほとんどなく、たまに何か書く必要に迫られるともう簡単な漢字すら頭から湧いて出ず筆が止まることがしばしば。これはなんというか人としてやばくないかと不安に陥るほどになっていた。

 振り返ってみると初めてキーボード打ちを憶えたのは大学時代の事、ちょうどワープロが普及しだした頃で、打てた方がいいかなと「2週間で英文タイプが打てる」という謳い文句の所に通ってみたのが最初でした。本当に終わる頃には曲がりなりにもブラインドタッチができるようになっていて驚いたけども、その後まもなく我が家にもワープロがやってきて、そのまま頭が柔らかいうちに富士通親指シフトを習得。サークルの名簿作成とかに重宝されるようになった。

 卒業して就職する頃にはパソコン等を使うようになり、富士通ローカルの親指シフトから汎用的なローマ字入力に移行したけども、素地があったおかげでさして苦労することなく、いつしかキーボード打ちすることにまったくストレスを感じなくなっていった。

 以来20数年、文書作成等もすべてパソコンで行っているのでいつしか手書きで文字を書くことが激減し、前述のとおりの体たらく。漢字変換に頼り過ぎた結果、"読める"字は沢山あるのだが"書ける"字がほんと少なくなってしまっていた。これからの人生、これじゃやばいんじゃないかとひしひしと感じていたところに思いついたのが漢字の書き取りだった。今になってみると小学校時代に戻ったみたいで却って新鮮に思えたのも幸いした。

 このようにノートを取り始めてまず直面した問題。それは自分の手がもはやまともに文字すら書けなくなっていたという衝撃の事実だった。キーボードを打つのと文字を書くのとでは、指の筋肉も使う部位が違う。キーボードは基本的に単純な上下運動の繰り返しで済むが、文字を書くには縦横斜めといろんな方向にペンを走らす必要がある。キーボードに慣れ切った自分の指では、縦線はともかく横やら斜めやら、"はね"やら"はらい"やらいろんな細かい操作が必要なのに、そうした動きをつかさどる筋肉が思いっきりなまっていて、思うようにペンが進んでくれないのだ。結果書かれた字は"くずす"とかそんな段階では済まされぬ、自分でもほとんど判読不能なぐちゃぐちゃなものになってしまっていた。

 ここに至って自分の衰えを心底痛感した。これは本当にヤバい。今からちゃんと鍛え直しとかないと人生後半戦ほんとうにどうしようもなくなるぞ――と改めて決意を固めざるを得なかった。


 書き取りの手順はいたってシンプル。このページは前述のように毎日15問、短文で問題が出されてうち1単語がカタカナ表記+下線で問題として示されるのだが、僕はそれを短文ごとすべて書き出し、問題の所はもちろん漢字で書くようにした。どこにでも売ってるコクヨのB罫ノートに1行おきに書き出すとちょうど1日分が1ページになる。そして書く時はとにかく極力崩さず、ゆっくりでもいいから楷書で書くことを心がけた。元々字は下手なのでどんなに丁寧に書いても恰好のいい字にはならないけども、とにかく読み間違いがでないレヴェルは最低限確保して、毎日15問、こつこつと続けていった。
 とにかくこっちの方にペンを動かそうと頭では思ってるのに指がそっちの方にいってくれない、そんな情けないことに何度もぶち当たる。特に右から左へと流すように書くのが苦手でしばしば立ち止まってしまった。もう無理矢理でもいいからとにかくそちらの方に動かしてみて、変な方向に行ってしまうと消しゴムで消してもう一度トライ…。長年のツケを取り戻そうと地道な努力をしていった。

 ――それから数か月、なんとか指の方はだんだんと動くようになってきた。肝心の漢字の方は…。こちらの方も、最初の頃は分からないともう頭の中が真っ白になって何も思い浮かばなかったが、最近は少しづつではあるが、思いだそうとするとなんかぼやっと字のイメージが湧くことが多くなってきた。「確かこんな風な字だったよな…」となんとかその形をペンで再現しようと努め、ピタッと思いだせた時は単純に嬉しくなる。思い出しかけたんだけどもなにかパーツが揃わずどこか違う字になってしまった時や、悔しくてなんとか頭を絞り出すが結局思いだせなかった時はくやしいし、「よし、これだ」と自信満々に書いて、いざ答え合わせすると棒や点が1本足りなかったりして思わず天を仰いだり――。別に誰から評価をされる訳でなく、純粋に自分のためにやっているのでそういう場合でも容赦なく×にする。要は〇を採るのが目的ではなく、×を食らった字を洗い出し「僕はこの字が書けないのだ」と自覚させることによって向上することが目的だから、むしろ×を喰らった方が勉強になるのだ。

 そんなことを続けた結果――毎日新しい問題を解いている訳だから正解率としては大差ないけども、それでもだんだん、イメージを再現して書ける漢字が多くなってきたのを感じている。個人的な感覚ではあるが、漢字に対するシナプスが増えてきたように思えるのだ。思いだそうと懸命に脳内をフル回転させることが頭を活性化させる気がするし、数年前に流行った「アハ体験」を気軽に行える方法でもあるのだろう。
 指先を動かすことも脳の活性化につながるというし、しかも漢字は形が複雑でいろんな方向への指の刺激になる。二重の意味で頭の体操になり、かつ生活の上でも役に立つ、身近でかつ効果が見えやすい、と当初思ってた以上の有効性を今感じています。