緩慢な悲劇~ヤマシタトモコ「花井沢町公民館便り」

 子供の頃にはちょっとありえなかったことだけども、最近は新聞でもマンガの書評が定期的に載るようになった。知ってる作品が取り上げられていればどんなふうに書かれてるかついしげしげと見てしまうのだが、こういうのに執筆している人はちょっと斜に構えてるのか、ヒット作とかアニメ化とかされた目立つ作品はあまり出てこない。むしろ「こんなのどこに載ってんの?」という陰に隠れがちのものを掘り起こそうとしているらしく、自然と初めて目にする作品の方が多かったりする。
 まぁ大概は「ふぅん」と目にして終わりだけども、時折その紹介文を見て何か引っかかるものを感じることがあり、そういうのは気になって結局コミックスを買って読んでみたりもする。もっともそれも当たりはずれがあり、レヴューではあんなに面白そうに見えたものが、いざ実物を読んでみるととんだ肩すかし――という事も少なくない。一方で本当に思いもかけず素晴らしい作品を知ることができ、そういうのに出会えた時は筆者に感謝したくなる。中にはそのシリーズや作者の作品を後々まで追い続けているものもいくつかある。木城ゆきと銃夢」シリーズや久世番子暴れん坊本屋さん」などは、ほんとよくぞ紹介してくれたと心から感謝している作品だ。

 最近もそうした新聞レビューで、素晴らしい作品を知ることができた。。

ヤマシタトモコ「花井沢町公民館便り」(講談社 全3巻)

 作者のヤマシタトモコについてはまったくの初耳で、他にどういう作品を描いているか現時点でもまだ知らない。でもレヴューで紹介されていたこの作品の特異なシチュエーションを読んだ途端、激しく惹きつけられて思わず単行本を手に取った。この度最終第3巻が発売されて完結したが、その手応えは最後まで変わらなかった。

 このタイトルからどのような作品を想像するだろうか。なにやら穏やかな日常スケッチ的な内容を想起する人が多そうだし、ある意味それは正しい。郊外のベットタウンとなっている花井沢町という小さな町を舞台に、その日常のあれこれをオムニバス形式で描写している。
 ただ、この花井沢町、想像を絶する(SF的)状況に置かれてしまっているのだ。
 詳しい原因は記述されていない。だがある日花井沢町はある事故の影響で町全体を見えない壁で隙間なく覆われてしまったのだ。その壁は薄くて無色透明で、そこに触れない限り存在を確認できないほどだ。空気も水も、あらゆる物質は何の問題もなく素通りする。しかしただひとつ、生命ある者はその壁に阻まれて一切通ることを許されない。

 すごい事を発想したものだと思う。町は一見いつもどおり平穏に見える。電気水道といったライフラインは問題なく生きているし、なんだったら町の内と外とで立ち話するのにもなんの障害にない。ただ、お互い手を伸ばしても触れることすら一切できないのだ。町から出ることも、また外から入ることも壁に阻まれてアリ一匹であろうと不可能になっている。
 結局の所、町ぐるみ見えない牢獄に生涯閉じ込められてしまったのと同じことなのだ。

 この状況は、作品中を通して変わることはない。もちろん当初はその壁をなくして抜本的解決を図ったようだし、閉じ込められた町が機能停止にならないよう、食料をはじめとする必要な物資は政府から無償で配給されるようになった。だが壁はどうしても消すことができず、あきらめて壁を運命として受け入れる空気が街全体に広がっていった――。
 そのような強制的な閉鎖状況に置かれてしまった町を舞台にした日常スケッチなのだ。

 手厚い保護のおかげでとりあえず町は平穏ではあるのだが、とりたてて産業もない住宅街が長期間その状態に置かれると様々なひずみが生じてくる。遊びに行きたくとも山へも海へも、繁華街に出る事すらできない。病気や不慮の事故に巻き込まれても満足な治療を受けることができない。何か事件が起こった時の治安維持は…。なにより枯渇するのが人材だ。何十年、百何十年という単位で話は進むとともに人は入れ替わり、世代が交代していく。しかし限られた町の中では自ずと限界がある。最初はゆっくりと、ある時点から急激に人口は減少していき、町民は確実に「滅亡」へと近づいていく。そして誰もこれに手を差し伸べることができない――。

 壁がどうしても取り払うことができないと分かった時点から、町民の中にははっきりとそのことが認識されて、どうしようもない絶望感が覆いかぶさっていった。自分たちは一生をこの町に閉じ込められるのだ。初めて壁を越えられる時――それは死ぬ時である(皮肉なことに、生命を失った途端、遺体はなんの問題もなく壁を通り抜けられる)。そしてもちろん、本人はその事を自覚することは決してない…。この町で生まれた子供は、自動的に生まれてから死ぬまで文字通り1歩も町を出ることはない。そして世代を経るごとに町はさびれ、減っていく。皆一様に逃れられぬ閉塞感の中、誰もが皆それを自覚していた。近い将来、自分たちは確実に、滅亡に向かっていっている、と…。

 そんな町の様子を、作品は時代を前後しながら様々な町の人たちの様子を淡々と描いていく。毎回話の扉には、タイトルにもなった花井沢町公民館の様子が描かれているのだが、まだ町に人が多かった頃の公民館はまだしっかりしているのに、後の時代になるにつれて明らかに朽ちていくのが分かって胸を締め付けられる。この作品で救いなのは、まだ人が多く、町に活気が残っていた頃のエピソードも多数収められていることだ(特に中期)。
 特に好きな話をひとつ紹介しておく。「焼きたてのパンを食べたことがない」と一念発起した町のひとりの女性が、残されていたパン焼き器具を使い、ネットを通じて"外"の男性からパンの焼き方を教わってパン焼きに挑戦するエピソードだ。途中でわかるが、ディスプレイの向こうでパンを教えている男性も、元パン屋で、現在は障害を抱えてリハビリ中で、おそらく自分はもう2度とパンを焼くことがかなわない身になっていたのだ。ネットだけが頼りのもどかしい会話の中、「俺の味、盗んでくれよ」そう振り絞るように訴える声に、どうしようもない苦みが伝わってくる。自分がもうどうしようもないと分かった時、人は自分の持っているものを受け継いでほしいと切に願うものなのだろうか。苦労の末、その女性は自分が理想と思うパンを焼きあげることに成功し、町で自分のパンを売り出してみるが…。しかしこの町も実は、受け継いでくれるものがない袋小路にはまって抜け出せないでいるのだ。

 そうした中、複数エピソードにまたがって登場するほぼ唯一の存在、実質的なヒロインとして希という少女が登場する。彼女は文字通りこの町の「最後の1人」となる人物なのだ。もちろん彼女が生まれた時は他にまだ数人、町には残っていた。しかし彼女の後にまた子供が生まれる可能性はもう失われていた。成長するに従い、ひとり減り、ふたり減り…。最後、彼女は年老いた祖母を見送ってひとりその亡骸を壁の外に送り出し、ほんとうにひとりとなった。
 まだ人の多かった、まだ明るさと前向きな気持ちを残し、時にはユーモラスですらあったエピソードに挟まれて、彼女は何を支えに、何を思い生きてきたのか…。
 そして最終話、物語はどのように締めくくられるのか…。

 基本設定はSF的だが、この作品をSFとしてみてしまうといろいろとツッコミ所が出てきてしまう。壁の詳しい話はまったくと言っていいほど出てこないのを始め、おそらく事故当時と最後までの間に100年以上の月日が経っているだろうに、テクノロジー的なものが現代日本とさほど変わってない様子なのもおかしい。しかしそういうのはすべて置いといて見た場合、ちょっと他には見当たらないようなシチュエーションドラマになっていると思う。
 読んでいて、人がどのような状況下に置かれてても、それが日常となると状況を受け入れて、その上で何とか生きていこうとするたくましさを持っていることを見せつけられる。しかし一方でどうにも抗いがたい感情の噴出も…。作者はそのいずれをも穏やかな目でひとつひとつ見守り続けるように描いていく。ひょっとして描写があっさりしすぎと思う人もいるかもしれない。もっとどぎつく、あからさまな心情を吐露するような描き方もあったろうとし、その方がより一層読む者に感動を与えたかもしれない。しかし――なんというか、この町の人たちに、そのような場面は不釣り合いのような気がする。ひっそりと、この町のことをいい思い出として暖かく心にとどめておきたいとでもいうように。

 ひっそりと、始終淡々と描いたが故に、いつまでも余韻たなびくような佳品となり得たのだと思う。ひとりでも多くの人に読んでもらいたい、お奨めの一作です。