木管五重奏随想

「もしハイドン弦楽四重奏にかけた労力の10分の1でいい、木管五重奏のために割いていてくれたら…」こんな歴史のifを何度思ったことだろう。

 定期的に木管アンサンブルをやり始めて気がつくと早10数年。演奏会が終わって「次は何やるか」を考える度に、木管五重奏曲というジャンルのオリジナル曲の"層の薄さ"というものを毎回痛感させられる。"木管五重奏"というとなんとなく"弦楽四重奏"みたくひとつの確立された形態のように感じられるけど、歴史的に見るとその差は歴然としている。

 弦楽四重奏ハイドンが確立し、次いでモーツァルトが相競うように傑作を書き、さらにベートーヴェンが大きな花を咲かせた。以来室内楽の代表ジャンルとして、20世紀に至るまで数多くの大作曲家がここぞとばかりに腕を振るってきた。その結果、主要作品だけでも100に届かんばかりの傑作が綺羅星のごとく並んでいてまぶしいぐらいだ。
 一方木管五重奏曲は――そのハイドンモーツァルトの時代には存在すらしていなかった。いや、厳密には皆無というわけではないのだが、例外的にこの編成で書かれたものがいくつかある、という程度で、ジャンルとして確立されたものではない。むしろこの時代の木管アンサンブルとしてはハルモニームジークという別の形の木管多重奏の方がはるかに主要だった。標準編成としてオーボエクラリネット・ホルン・ファゴット各2本ずつの八重奏から成り、それなりに傑作が生まれているが、どちらかというとオペラのさわりを気軽に演奏できる代替形態としての意義が主であり、気軽な内容なものが多い。ベートーヴェンもそのキャリアの初期にその手の作品を数曲残したとはいえ、彼がいよいよその独自性を高め内容を深化させていく中期になると木管だけのアンサンブルからは離れて行って二度と戻る事はなかった。
 木管五重奏というジャンルが確立されたのは、奇しくもそのベートーヴェンと同じ年に生まれたライヒャ(1770-1836)によってだった。ベートーヴェンとも親交があり、当代きっての理論家・教育者として名をはせた人物との事だが、創作者としての手腕は正直なところ疑問符が残る。木管4種+ホルンという5つの楽器を組み合わせてみたきっかけも、自分の生徒たちにアンサンブルの訓練をさせるため、そのテキストとして実作したのが最初だということを聞いたことがある。むべなるかな、その作品は(対位法のお手本として実によくできていると今でも評価されているが)どうも頭で音をこねくり回して作った感がぬぐえない。ライヒャはその生涯に24曲もの木管五重奏曲を完成させ、その作品は管楽器奏者の間で今でもけっこう愛好されているとはいえ、なんというか「演奏する側に立つとそれなりの面白みがあるが、聴く側にとっては魅力に乏しい」曲のような気がする。結果として、その名は一般の(管楽器を吹かない)音楽愛好家にまでは今もなお拡がりを見せることはない。

 こうしてライヒャによって確立された木管五重奏というジャンルを引き継ぐように書いたのが、彼より7歳年長の同時代人、ダンツィ(1763-1826)だった。彼が木管五重奏曲を書いたのはその晩年、1820年代に入ってからで、時代は既に古典派からロマン派へと大きく動き出していたはずだが、ダンツィの書いた木管五重奏曲は古典の枠から大きく飛び出したものではない。そのせいか旧態依然の古臭い音楽と切り捨てられる事も少なくないが、僕はそのすべてではないにせよ、中にはキラリと光る音楽があるのを感じる。全9曲残した木管五重奏曲の中には、まるでハイドンを思わせる味わい深い作品も何曲か含まれており、もっと広く聴かれてもいいと思う。ただ彼の作品は総じてフィナーレが弱く、そのため全体の印象をぼやけさせているきらいがある。

 さて、このようにライヒャが確立し、ダンツィが引き継いだ木管五重奏曲をさらに花開かせたのは――それが誰もいないのだ。19世紀ヨーロッパには、シューベルトシューマンメンデルスゾーンブラームスドヴォルザークチャイコフスキーブルックナーマーラー・R.シュトラウス…と数多くの大作曲家が輩出したが、これらの誰一人として、木管五重奏作品を残した人はいない。先達2人にしても、弦楽四重奏ハイドンモーツァルトと比べたら格の違いは歴然としているわけで…。もちろん19世紀に木管五重奏曲を書いた人が皆無という訳ではないが、タファネル(1844-1908)やクルークハルト(1847-1902)、それにピアノ入りの魅力的な六重奏を書いたラインベルガー(1839-1901)にテュイレ(1861-1907)といった相当マニアックな名前を持ち出さなければならない。編成を木管アンサンブルとして視野を広げても、メジャーな作曲家の中では、オーボエの代わりにピアノが入った変則五重奏曲を書いたリムスキー=コルサコフ、"小交響曲"という名の木管九重奏を書いたグノー、クラリネットファゴット・ピアノの情熱的なトリオを残したグリンカ…と数曲引っかかるぐらいで、この時点で、木管五重奏というジャンルはほぼ消滅してしまったと言っていいぐらいだ。

 そんな"死に体"だった木管五重奏だが、20世紀に入ってからにわかに復権する。ニールセンを筆頭に、ホルストシェーンベルクイベール・ミヨー・ヒンデミットリゲティ・バーバーといった人たちが次々と木管五重奏のジャンルに作品を残し、またフランセやプーランクと言った木管アンサンブルに特に力を入れて様々な編成で作曲した重要な作曲家も出現、レパートリーは一気に豊かになる。大変魅力的な曲も多い。ただ――改めてその作品を俯瞰すると、ある傾向が見えてくる。一部の例外を除いては、軽い、気の利いた小品が多い。要は全体的に小粒なのだ。
 おそらくこれは木管五重奏という編成そのものが持つ宿命なのだろう。5種類の発音形体の違う楽器の組み合わせは、室内楽としては他に例のないほど多彩な音色感を持っているが、一方それ故に、作曲家はそうした音色を駆使することに興味が行ってしまい、結果的に、求心的・重厚な作風よりもこういうきらびやかな作品になってしまうのだろう。聴いていて感じ入るよりも「面白い」と感じさせる作品が並んでいる。

 やはりなんといっても古典派・ロマン派のビッグネームが1人もいないというのはさびしい。演奏会でそういった作品を入れようとすると勢い編曲ものに頼らざるを得ないのが実情だ。実際数多くの編曲譜が出版されており、もちろんいい編曲も少なくない。歴史をたどればハルモニームジークの時代だって前述のように「オケ曲やオペラを小編成で手軽に」ということで流行してきたものだから、編曲ものが当時から主流だった。となると木管五重奏に編曲ものが多いのは歴史的必然か――。できればオリジナルでいきたい気持ちはあるが、そうするとどんどんプログラムが地味になってくる。それはそれでフラストレーションがたまり、一方で「どうせなら皆によく知られている曲やりたいよなぁ」と有名曲の編曲ものに走りたくなる。これによってようやくプログラムに彩りができるのだが、やっぱりこういうものばかりだと、なんというか「他の家の庇を借りている」気になってきて、なんのために木管アンサンブルをやってるのか分からなくなってくる。

 結局これからもそういう自己矛盾を抱えつつ、オリジナルと編曲もののバランスをとったプログラムになっていくんだろうなぁ、なんて思いつつ、木管五重奏というものが置かれた状況が実に微妙な位置にある事を考えずにはいられない。