不遇な作品に突如訪れた僥倖~桜沢 鈴「義母と娘のブルース」

 桜沢 鈴(さくらざわ りん)というマンガ家を知っている人はいったいどれぐらいいるんだろうか。


 僕の中では、前に追悼記事を書いた三好 銀と並んで「誰も知らないかもしれないけど個人的には激押し」という位置づけの人だったんだけども、追っかけ続けている僕でさえ新作を目にする機会がほとんどなく、ほんと忘れた頃にいきなり単行本が出るとの情報を見つけてあわてて買いに走る、ということを何年も繰り返していた。
 そうして購入した単行本はここ15年ほどでわずか6冊。単行本化されてない作品もいくつかあるようだが、一応これが彼女の全単行本とみてよさそうだし、正直その作品がマスコミ上でトピックスとして取り上げられることは今まで皆無だったと思う。

 そんなひたすら地味な、それこそ「僕だけが知っている」ことにちょっと特権意識を抱かせるようなファンだったのだが、その数少ない単行本のうち、今月いきなり「義母と娘のブルース」が再発売されるとの情報をつかみ、なんで?と思い検索してみたところ――個人的には驚天動地の事態が発覚した。
 この作品がTVドラマ化されるだと? しかも綾瀬はるか主演!? それにTBS火曜夜10時って、近年「逃げ恥」や「カルテット」といった大注目のヒット作品を次々送り出している枠じゃないか。今までずっと日陰の存在(失礼!)にいた作品が、いきなりこんな眩しい光の当たる場所に出てしまって、いったいどうなることかと他人事ながら心配になってしまった。

 

 僕が彼女の作品を知ったのはかれこれ15年ほど前だと思う。4コマ漫画誌をぺらぺらめくっているうちに「ふぁんきーサーバント」となる作品が妙に心に引っ掛かって、いつしか連載を追っかけるようになってしまったのがきっかけだった。
 伊勢崎陽子というファッションに命を懸けているようなド派手な女性が主人公なのだが、彼女実は区役所の戸籍課に勤める地方公務員という超場違いな職業。もちろん職場でその存在は浮きまくっており、同僚の米田(公務員を絵にかいたような地味メガネ)からはその格好を事あるごとに注意され、2人は毎日のように衝突しているのだが、伊勢崎さんはその外見とは裏腹に職務を的確にこなすかなり優秀な事務員で、けっこう細やかな気遣いも欠かさず、さらに内面は相当地味で堅実な事がだんだん見え隠れしていく。要はただひたすらどうしようもなく派手な格好が好きで、そのキャラを貫きたくてついつい意地を張ってしまう人なのだ。それに給料のほとんどをファッションにつぎ込んでしまうから生活は相当つつましい(そうせざるを得ない)らしく、そのため私生活を絶対に同僚に明かそうとはしない。米田は連日彼女とぶつかり合いながらも次第にそんな伊勢崎さんの内面に気づかされ、いつしか彼女の事が気になり出していく――そんな作品だった。
 4コマらしいほんとさりげない小ネタの連続なのだが、なんだかそのセンスが絶妙で、掲載されている4コマ誌の中でひときわ浮き出て見えるように思えた。なので単行本第1巻が出たらすぐさま購入。これが桜沢 鈴の最初の単行本である事を知る。
 「ふぁんきーサーバント」は地道に4年ほど連載を続け、単行本も順調に2巻まで発売。さらには姉妹紙にもう1本「ヤマトナデシコ」を連載開始。血筋も外見もまったく西欧人なのに、日本で生まれ育って中身は完全に日本人、英語も全くできないという女子高生を主人公とした作品で、こちらもかなり気に入って読んでいた。そう、総体的に「外見と内面の間にギャップがあるキャラ」を描かせるとキラリと光るセンスを随所に見せつけていた。

 この時までは4コママンガ家として地味ながら着実に実績を積み上げているように見えたのだが、その少し後にいきなりすべての連載を中断する。いったい何が起こったのか…。その結果「ふぁんきーサーバント」は2巻収録以降の分は単行本未収録で残され、「ヤマトナデシコ」はまったく単行本化されることはなかった。中断の理由はよく分からなかったが、その当時あった作者本人のHPから察するに、作者自身がそれまでの作品から"撤退"したことが伺えた。追っかけていた身からすると心底残念だったが、かといってマンガ家を辞めた訳ではなく、どうやら細々とは描き続けているらしい。とはいえ僕はその作品に触れる機会はなく、不本意ながら実質「消えたマンガ家」にのようになってしまっていた。

 しかし5年ほどのブランクを置いて、桜沢 鈴は突如「義母と娘のブルース」(3冊目の単行本)で復活する。もちろんその前に雑誌連載をしていた訳だが、気がつかなかったのでこのニュースは自分にとって青天の霹靂だった。
 そしてもっと驚いたのはその内容だった。一応4コマの体裁をとっているが明らかに所謂「ストーリー4コマ」の体裁に変わっていたのだ。これからドラマ化されて初めてその内容に触れる人も多かろうからストーリーのネタバレは避けるけども、彼女がこんな「魂が震える」感動作を描く人だとは正直予想していなかった。
 この単行本のあとがきで作者はこの作品に至る経緯をこう触れている。デビュー当時、編集から4コマに関するノウハウをいろいろ教わり、そこにいろんな決まり事(ルール)があることを知らされた。それはそれこそ「サザエさん」の頃から連綿と続く約束事ではあるのだが、当時それを忠実に守って行くうちにいつしかそれにがんじがらめに締め付けられていき、結局行き詰ってしまい、前述の"撤退"に至ったらしい。
 その後新しい担当さんと出会い、「終わるなら一度、おもいきり自分のしたいようにしてみたい!」(あとがきより)と思う存分描いたのがこの「義母と娘のブルース」だった。この作品にも前述の「外見と内面のギャップ」の面白さは感じられる。主人公の岩木亜希子が自分の娘になるみゆきに対しても一貫してビジネス相手として相対しようとするズレがコメディとして実に面白い。しかし一見鉄面皮のような亜希子の内面が徐々ににじみ出てくるにつれて、今度はそのギャップが逆に作品のトレンドをコメディから別のものに転じさせていくのだ。
 最初の印象でこの作品をコメディと思っていると痛い目にあう。笑いは人を無防備にする。緊張を解きほぐされ、気楽に構えてしまうので読み進むうちにこの作品の本質に真正面からぶつかってしまい、後はぐいぐいと惹きこまれていく。こうなったら作者の思うつぼだ。僕なんかは過去の桜沢作品を知っていただけにあっさりとその罠にはまってしまった。亜希子が突如結婚してみゆきの義母となったその本当の理由――次第にその理由が開かされてきて、さらにその後のキレのある展開には息をのむしかない。連載ペースが遅いため完結編となる第2巻が発売されるまで数年を要したが、その後も折に触れ何度となく読み返さずにはいられない、読み継がれるべき傑作になったと言っていい。

 これだけの作品を描いていながら、それでも桜沢 鈴はブレイクの兆しすら見えなかった。冒頭に書いたように、一般の話題になるようなことは全くと言ってなかったと思う。その後彼女は地方に移住して相変わらずのペースで活動を続け、また忘れかけた頃に「プライスレス家族」「元少女戦士の妹」(第1巻)の2冊の単行本を上梓しただけで現在に至るが、ここまでくるとおそらくこの調子で今後もこの調子がずっと続くんだろうな、という風にこちらも半ばあきらめて、それでも最後まで見守って行こうという境地になってきていた。

 

 と思っていたところに今回のドラマ化である。このドラマがどれほどのヒットになるかは正直分からないが、少なくともドラマ原作としてこの作品が今までにないほど話題になる事は間違いないだろう。ただそれが一時的なもので終わるのか、桜沢 鈴の名前がこれを機にぐぐっと有名になるのかは予想がつかない。それでも、この内容にそぐわないどマイナーな地位に甘んじていた隠れた傑作を見出して陽のあたる場所に引っ張り出してくれたプロデューサーには、作者に代わって感謝したいぐらいの気持ちがある。
 それにマンガの実写ドラマ化というのはしばしば原作無視のかけ離れたものになってしまい見てられないものが多いのだが(「のだめカンタービレ」のような数少ない例外はむしろ嬉しい誤算)、番宣とかでみる綾瀬はるか演じる岩木亜希子は、正直「意外なほど合ってる」と思わせるものなので、ひょっとしていけるかも…と淡い期待を抱いている。
 さて実際のところどうなるか…。普段TVドラマとか全然観ないのだが、今回ばかりはきちんと追っていこうとちょっと楽しみにしている。どう転がるかは分からないが、この不遇(と言っていいと思う)の作品に突如訪れた僥倖を今は見守りたい。