SNSの変遷

 Facebookが苦境に陥っている。

 原因は言うまでもなく今回の個人情報大量漏洩だけども、かつてはあれほど隆盛を誇ったFacebookも少し前から客離れが囁かれ始めており、なんかこれを機に一気にSNSの主流から転げ落ちるかもしれないという懸念を感じ始めた。

 実際、現在はSNSの時代とこれだけ言われているが、インターネットが一般化して既に20年ほど、その間何度となく主役は交代してきたのだ。Facebookにその時期が来たのだとしてもなんの不思議はない。

 SNSの元祖的な存在と言えば、インターネットではないがNIFTY-Serveに代表されるパソコン通信ということになるだろう。僕も90年代半ばにNIFTYに入ったのがネットに触れた最初だけども、あの頃と今では雰囲気がだいぶ違った。各フォーラム内で大まかなジャンルに分けられた会議室という"場"を与えられ、そこで参加者たちによって意見や情報の交流の場となっていた。まだネットをやっている人間の数が限られている事もあってけっこうマニアックな話題が飛び交い、その中に飛び込んでアクティヴに発言するという事自体にちょっとしたステータスを感じていた。

 そのNIFTYも世紀の変わり目ぐらいから徐々に参加者が減ってきて、一方で2ちゃんねるを始めとする匿名掲示板が注目されるようになったが、あまりに世界が違ったのでNIFTYに代わるものにはなりえなかった。
 入れ替わるように出てきたのがMixiだ。これも当初は「紹介者がなきゃ入会できない」といったなかなかステータス感のある仕組みがあり、衰亡期のNIFTYから乗り換える人も多かったが、いざ入っているとかなり勝手が違った。NIFTYでいうフォーラム会議室に当るのは一応コミュニティのトピックなのだろうが、前者がかなり熱く語る所があったのに対して、後者はかなりライト感覚で、軽いノリが求められていた。それに結局Mixiのメインはコミュニティよりも各人の日記だったのだろう。日記は個人のものだから、ある意味どんなに長文を書いても他人に迷惑をかけるようなことはなかったが、だからといってそれを貫こうとするのはかなりエネルギーを使う雰囲気だった。

 そのMixiもまた数年後には下降線をたどり始め、三度変わってFacebookに移行する人が増えてきた。僕もFacebookを試してみた――けども、正直とまどった。ここでいったい何をしたらいいか、ぜんぜん見えてこなかったのだ。NIFTYは会議室という"場"に参加者がフラットに立ち寄ってきた。Mixiは一応コミュニティがあったけども、メインは各人の日記だった。そしてFacebookは――結局その個人のページしか存在しなかった。僕などやはりNIFTYにどっぷり浸かった人間なので"交流の場"が欲しいとまず思ってしまうのだが、SNSの主役が交代するごとにそういったものはどんどん希薄になり、結局"個"の集合体のようになってしまう。それはTwitterも同様で、僕には結局これらは「プライヴェートの切り売り」に見えてしょうがないのだ。

 で結局Facebookは入ってみたけどなんにもできず、Twitterもやってみたけど意義が感じられずに長続きしなかった。そういう人もけっこういるのか意外とMixiが頑張って延命しているが、僕は結局ネット上で行き場を失い、熟考の末「少なくとも好き勝手に自分の意見が書ける」という理由で今さらながらブログを立ち上げてみて今に至っている。

 こんな流れを見ているので、Facebookがこれから一気に衰退していくとしてもなんの不思議もないし、個人的には何も惜しくはない。

 余談だが、今回の件で頻繁にニュースでも顔を見ることが増えたザッカーバーグ氏だが、以前からどうも彼の顔写真を見る度に何とも言えない違和感を覚えてきた。なんだか顔が蝋人形みたいというか妙に作り物めいて見えてしょうがないのだ。この感覚、いったいなんだろう…その理由につい最近ようやく思い当たった。彼の容貌が、『からくりサーカス』(藤田和日郎)に出てくるオートマータ達の顔を思い起こさせていたのだ。