底知れない音楽 ~シューベルト 交響曲第8番「未完成」

 数か月前に新聞広告で知ったのだけど、昭和21年の2月に広島でシューベルトの「未完成」が演奏されたという記録が残っているのだそうだ。場所は焼け残った高校の講堂で、演奏者もどうやら寄せ集めだったようだが、あのおぞましい原爆投下からまだ半年しか経ってないあの広島で「未完成」が流れた…。想像するだけで、その状況と音楽とのあまりのシンクロニシティっぷりに身の毛がよだつ思いがした。

 ――それほどまでに「未完成」は、他の音楽では決してみられないような深遠さを宿した一種異様な音楽なのだ。

 少し前の記事でシューベルトの"第7番交響曲"の魅力について触れ、この曲が番号からはじき出された事を嘆いたけども、だからといって、現"7番"と呼ばれているこの「未完成」交響曲をないがしろにする気は毫もない。いや、それどころかこの曲はシューベルトの全作品の中でも、いや、すべてのクラシック音楽の中に於いても他に代わるものなど決してありえない、孤高な位置を占めている音楽だと固く信じている。
 最も最初からそう思っていた訳ではない。僕が初めて「未完成」を聴いたのはクラシックに興味を持ち始めた中学生の頃だったが、当初しばらくの間この曲が苦手でしょうがなかった。とにかくあまりにも重苦しい。この頃はもっぱら明るく快活な音楽が大好きで、暗い曲でもベートーヴェン交響曲のような力強さや、モーツァルトの40番のようなしなやかなセンスのよさが感じられる曲ならともかく、とにかくひたすらストレートに重く攻めまくるようなこの曲になかなか馴染めなかった。しかし何度か聴くうちに、第1楽章第2主題の危ういまでの儚さに気づき、そうなるとそれが容赦なく叩き壊される非情さに打ちのめされ、次第にこの作品世界にのめり込むようになり、なぜか未完成に終わったという"謎"も含めてこの曲に取りつかれていった。

 時折勘違いされるけども、"未完成"の代名詞ともなっているこの曲は作曲者の死によって未完に終わった訳ではない。確かにシューベルトは31歳で早世しているが、この曲に着手したのは25歳の頃で、その早すぎる死の影はまだ訪れてはいなかった。しかし勘違いされても仕方ないかな、と思わせるほど、この曲はあたかも彼岸の域を垣間見たかのような深遠さに満ちていると思う。その前では"悲しみ"という言葉すら薄っぺらに思えるほどだ。
 当時の交響曲は「急-緩-急-急」の全4楽章で完結するのが倣いとなっていたけれども、この曲はそのうち前半の2つの楽章しか残されていない。続いて第3楽章を作曲しようとした痕跡は残っているものの、なぜ中断してしまったのか、その理由は今でもはっきりとしていない。だけども、この曲を聴いていくうちになぜここまで書いて途切れてしまったのか、僕には自然と腑に落ちてくるような気がするのだ。シューベルトがそれまで書いたどの曲よりもはるかに内容が充実しており、残された2つの楽章だけでも充分すぎるほどの感動を与えてしまい、下手にその後を続けると却って感興を削ぎかねない――。シューベルトの天才をもってしてもこの続きを書くことができず、行き詰った挙句、一旦中断して作曲を棚上げし、結局そのままになってしまった…といったところではないだろうか。もし彼により充分な寿命が残されていれば、あるいは再び筆を執って完成させた、という可能性がないとは言えないけども、もしそうなったとしても現在のこの凝縮されつくした音楽よりさらに素晴らしいものになったかどうかは正直疑わしいと思う。

 冒頭、地の底を這うような低弦の響きから、不安を誘(いざな)うようなヴァイオリンのさざ波が湧きあがり、その上にオーボエクラリネットの重奏でかぶさる第1主題。その時点でこの音楽の方向性がはっきりと見えてくる。次第に力を増してきて、叩きつけるような総奏の後、ホルンによる持続音を残して場面一転、木管シンコペーションのリズムに乗ってチェロが夢見るような第2主題を奏でます。メロディはヴァイオリンに受け継がれて一時の心地よさに身をゆだねた瞬間、いきなり全合奏の爆音に打ちのめされ、いきなり現実へと叩き落とされたような衝撃を受けます。
 その後も甘美な夢と厳しい現実の狭間を行き戻りされるような展開が続き、そのクライマックスでは冒頭の主題が全員で打ち鳴らされて、すべてを圧し潰すかのように高らかに鳴り響く。最後には、容赦なくとどめを刺されるかのような全合奏で終わりが告げられて第1楽章は断ち切られます。

 続く第2楽章は一転、冒頭からおだやかで充足した世界が広がり、時折踏み鳴らすような力を感じさせるものの、また次第に落ち着きを取り戻しておだやかに続いて行きます。続いてクラリネットで凛と屹立するかのような大ソロが登場しますが、後半それを受け継いだオーボエのソロは包み込むように暖かなメロディへと生まれ変わります。人心地がついたと思わせた瞬間、再び地を引き裂くような強奏に襲われ不安に包まれますが、徐々にまた落ち着きを取り戻し、最後には天に昇るかのような境地へと昇華していき、消え入るように第2楽章の幕を閉じます。

 その終結を受けて奏される第3楽章…。それも引き締まって堅牢であり決して悪い出来ではなく、単独で発表されていたらそれなりに評価されているでしょう。ただ、「未完成」の第3楽章として考えると、前半2つの楽章があまりに桁外れにすさまじすぎて、どうしても見劣りしてしまうのです。おそらくシューベルト本人もそう感じたのでしょう。「なんか違うな」おそらくそんな理由で作曲を中断し、そのままになってしまった…。そう考えるとなんだか腑に落ちるのです。このように前半だけで至高の境地に達した音楽をさらに続けることができるのだろうか――生半可な音楽では却って蛇足めいてしまうだろうし、実際そうなってしまうことを予感したのではないでしょうか。

 その結果――シューベルトはそんなつもりで作曲したわけではなかったのでしょうが、この曲は未完成ゆえにそれまで例を見ない構成を見せることになりました。第1楽章では涙さえ流せないほどの深い慟哭と、それから(いや、それ故に)逃れるように紡ぎだされる甘い夢心地なメロディがが激しくせめぎ合う音楽になりました。シューベルト自身が後に『冬の旅』の中の1曲「春の夢」で端的に表現したような世界が、よりスケール大きく、深遠に表現されたようなようなものです。
 それに続く第2楽章ではその二律背反した2つの感情が徐々に交わりながらもとろけあい、最後にはすべてを超越して音楽がどこかへ昇華していくかのようにして終わりを告げます。
 奇しくもそこで中断されたままになったその音楽は、それ故に純粋かつ至高のものとなったと思います。そしてその音楽が、あの悲劇からまだ半年しか経っていない広島で響き渡ったと聞くと――まさしく想像を絶する地獄を見たこの町で、第1楽章は慟哭も甘美もこれ以上ない共鳴しあったと思えるし、さらにそのせめぎ合いを経た上で最後は昇華していく第2楽章が聴く者の心にこれ以上ない平安をもたらしたのではないかという想いが湧き上がってくるのです。

 この音楽は、こういう極限状態を味わった地でこそ最もふさわしく響くような気がします。近年、近衛秀麿が(主に戦争中ナチスの膝元にいながらユダヤ人救済に尽力していた業績から)再評価の兆しが見えていますが、彼の戦争中のキャリアの中でも特に取り上げられるトピックスが、1943年に瓦礫の山と化したワルシャワに於いて、(当時ほぼ人権を奪われていた)ポーランド人からなるオーケストラを指揮した演奏会における「未完成」でした。奇しくもここでも「未完成」。これは偶然ではなく、なんだか町が、その場の空気が「未完成」を求めた結果そうなったのではないかと言う気がしてしょうがないのです。この時の演奏会は実に感動的で、近衛自身生涯印象に残り続けた演奏会だったそうです。

 稀代の天才シューベルトが、たまたま最も感情の一番奥深い所の悲しみを汲み上げて、半ば偶然にその最上の部分だけをとりだした所で中断したこの「未完成」。その魅力はまさしく底知れないものがあり、人が最も苦しんだ時にこそこれ以上ないほどその心に寄り添える作品になったのだと思う。