レジェールリード狂騒曲

 レジェールリードの存在を知ったのはもうかれこれ10年以上前になるだろうか。確か最初にその実物に接したのは2005年夏にパルテノン多摩で開催された国際クラリネットフェスティヴァルでのことだった。この時には国内外の著名なクラリネット奏者が多摩に集結したのはもちろん、クラリネットに関する様々なものが紹介され(バックンの樽やベルがものすごい話題になったものだ)、レジェールリードもその中で出品・販売されたのだ。そこで試奏もできたはずだが、なんかどうにも色物的なものに思えて手を伸ばそうとはしなかった。

 だがそれから数年して、ウィーンフィルのエルンスト オッテンザマーとその2人の息子(まだ「クラリノッティ」と名乗る前だった)が来日して3人で演奏会を開くのを聴きに行った際、演奏途中で楽器につけているリードが半透明なことがちらりと判別できてわが目を疑った。いつの間にやら敬愛するベルリンフィルウィーンフィルの現役クラリネット奏者の間でレジェール使用者が増えつつある、と知って衝撃を受けたのはその少し後の事だが、この時はレジェールを使っている事を耳で聴き分けられなかった事がショックだった。知った後で改めて聴いてみると、彼らの音が微妙に浮ついた感じに変わってしまったように思えたけども、言いかえれば「言われてみればちょっと…」ぐらいの違和感しかなかったのだ。

 それでもライスターがレジェールに否定的な発言をしたり、ザビーネ マイヤーを始めまだケーンのリードを使い続けている奏者はたくさんいる。その頃、一緒に吹いていた人が持っていたレジェールリードをの場で借りてちょっと吹いてみたのだが、その際はあまりにケーンのリードと違ってまともに音が出ず、印象は最悪だった。そんなことがあってまだ自分で近づこうとは思わなかったのだが、それでも内心無関心ではいられなくなってきた。

 そんな自分の中の状況が変わっていったのはここ2~3年のこと。身近なクラ吹きの中でも徐々にレジェールを使う人が増えてきて、しかもその中には以前より「うまいよなー」と感心していた人がいつの間にかレジェールリードを使っていて、「え! これがレジェールで出した音なの!?」と内心驚くことが一度ならずあったからだった。レジェールも案外ばかにできないかもしれない。調べていくといつの間にか種類も増えており、なんでも後発の「シグネチャー」は評判がいいらしい。ようやくちょっと心が動き始めた。

 心動かされた理由はもうひとつ。というのも2年ほど前からバスクラのリード選びに心底悩んでいたのだ。バスクラに関しては数年前からヴィルシャーの№463というリードを愛用していたのだが、これが3年ほど前に製造停止になってしまった。リードの統廃合・仕様変更はよくあることなのだが、毎度それには振り回される。ヴィルシャーのエーラー用バスクラリードはもうひとつ№429というのがあり、もちろんそちらも使ってみた。こちらも悪くなく、音色に関してはむしろ№463よりもいいぐらいだったのだが、非常に繊細であり、思いっきりよく吹きこむ事ができなかった。しばしば音の立ち上がり時にキュッキュと音が出ることがあり、一度それが始まるとドツボに嵌って抜け出せない。結局そっと吹かなくてはならない感じで安心して使えなかった。自分には微妙すぎるのだと思う。(その点№463は良くも悪くも堅牢) そんなわけで結局手持ちの№463を使っていたのだが、リードが消耗品である以上供給がなければどんどん減っていくのは理の当然…。残り少なくなってきてどうしよかと困っていた所だったのだ。

 バスクラのリードどうしよう…。なかなか次が決まらず、減っていくリードにだんだん焦燥感が募ってきたところにこの状況である。レジェールリードがもし使い物になってくれさえすれば、この悩みが一気に全部解決するかもしれない…。そんな想いがが頭の中を駆け巡り、淡い期待が湧いてくる。たまらず昨年2月、大久保のとある管楽器専門店にレジェールリードを求めて入ってみたのだ。
 この、それまであまり馴染のない楽器店にわざわざ足を踏み入れた訳は、ここではレジェールリードを各種試奏した上で買えると知ったからだった。普通のケーンのリードだったらまとめて箱買いしてその中から取捨選択するのは当たり前だが、単価が高く、1枚単位で長く使うのが前提のレジェールは「試奏しないで買うなんておかしい!(リスク高すぎ)」と常々思っていたので、試奏できると聞いて「わが意を得たり」とこの店に望みを託したのだ。

 さて、とはいえ自分が使っているエーラー式バスクラのレジェールリードはまだ製品化されていない。しかしエーラー式バスクラはアルトサックス用のリードが代用できるのは知っていた(ちなみにベームバスクラだとテナーサックスのが代用できる)。受付で来意を告げ、店員に「アルトサックスの3番とその前後を、スタンダードとシグネチャー両方で」とお願いして試奏室に入る。楽器を組み立てていると、スタンダードとシグネチャー、23/4~31/4の3枚づつが並んで出てきた。
 さて、いよいよ…とリードをマウスピースに着けてみる。こうしてみると、思ったよりも大きい。レーンから少しはみ出して、吹き口をすべて覆う感じになってしまう。使えるとはいえ、やはりぴったりという訳にはいかないものだ。まぁ足りないよりははみ出すぐらいの方がいいと経験的に思ってるのでなんとかなりそうだと吹き始めた。
 まずはスタンダードの3番を。ちょっと緊張気味に息を吹き込むと――あれ、ぜんぜんダメ。なんだか板を吹いてるみたいでかなり抵抗が強くてスカスカの音しか出ない。以前借りて吹いてみた時の記憶が頭をよぎる。ひょっとしてはみ出すぐらいのリードだと通常よりも抵抗が大きくなってしまうのだろうか。最初からバスクラ用のマウスピースならば3番だが、この場合もっと薄い番手の方がよさそうだ。ということで次にスタンダードの23/4を。あ、これはまだ何とかなる。音が出ることは確認できたが、まだなんかごわごわした感触でいただけない。

 それではいよいよ期待のシグネチャーを、と23/4をつけてみる。あ、こちらの方が感触が自然、というかケーンと大差ない吹奏感を得た。これなら…とひとしきり吹いて、次に手持ちのヴィルシャー№463をつけて違いを確かめた。結果――吹き心地や音に関しても、とりたてて変わりはない。これなら、あの№429の繊細な音は無理かもしれないが、少なくとも№463の代わりにはなりそうだ、と思う。 次に試しにシグネチャーの3をつけてみる。確かにさっきよりは重いけども、スタンダードの時のようなどうしようもなさはない。というか吹いているうちに段々コツがつかめてきたのか音がどんどん出始めた。
 あ、じゃあこっちの方にしようかな――とふと考えて苦笑した。ケーンのリードだったら、はじめのうちはちょっと重いぐらいのリードを選ぶのが正解だろう。吹いてるうちに柔らかくなることを想定して。その考えが染みついているのだ。けどもこれはレジェール。ヘタることを考慮しないとしたら、今一番音が出ている23/4にすべきだろう。結局スタンダードにはもう2度と戻らず、23/4のシグネチャーに戻してさらにいろいろ吹いてみる。気になっていたレスポンスだが、確かに音の立ち上がりの反応が若干遅いような気がする。アタックを繰り返して注意深く反応を見る。確かにちょっと先端が厚めのリードのような感触だが、むしろそれ以上に感じたのはその安定性だった。ケーンのリードのようなバランスのばらつきがないせいだろう、息の入れ具合に対して非常に素直に反応してくれて、予想外の反応(すなわちリードミス)がほとんどない。つまりどう息を入れればどういう音が出るか、というのが事前に計算できるのだ。今までどうしても不確定要素が入り込んでいたケーンのリードと比べるとこれは大きなメリットになる。実際吹いててけっこう強く吹きこんでもリードミスをすることは1回もなかった。
 結論。これは充分使えるリードだ。そう心に決めて、店員にシグネチャーの23/4購入の旨を伝える。時計を確認すると、試奏し始めてから実質15分ほどしか経っていない。実際それほど迷う要素が少なかったのだ。

 さて、以来買ってきたレジェールをつけてひとりで吹いてみて、かつ練習でも何度となく使い心地を確かめてみた。そして何より感じたのは「圧倒的に吹きやすい」ことだった。
 レジェールリードの特徴として前述のように安定性がある。ケーンとは違い水が浸み込まないので使っていて状態が変化することがない。吹く前に唾を含ませてる必要もなければ吹いているうちにどんどん浸み込んでヘタることもない。なのでどんな時でも吹き心地が変わらず、同じように息を吹き込めばいつも同じように鳴る、偶発的な要素がなく、その分安心して吹けるのだ。自然素材でなくすべて合理的に計算されたものだからか、息を吹き込めば楽器が素直に鳴ってくれる。その結果リードミスも格段に減り、またそれまで苦手にしていた最低音域への跳躍などもかなり確実に決まる。そうなると自分がうまくなった気がして楽器を吹くのが楽しくなり、一層練習に身が入る。しかもケーンのリードだとヘタらないよう、いいリードでもある程度時間が吹いたら交換して休ませなければいなかったのに、レジェールならこの「いい感じ」のリードをずっと使い続けていられるのも嬉しい。

 もちろんいいことばかりではない。音色は予想以上に満足いく、円みを帯びたものだけども、なんだか思い切り吹きこむと雑味が出るような――ただこれはアルトサックスのリードを使っている弊害(マウスピースのレーンよりも若干はみ出し加減のリードのため、リードの位置がちょっとずれると余計な振動が発生する)らしいということがだんだん分かってきて、ちゃんとずれを修正すれば軽減することが分かってきた。その他にもフォルテシモが思い切りよく出ないとかアタックの切れ味がやっぱりイマイチ丸いとか気になる部分はあるが、充分許容範囲といえた。以前レジェールの使用感として「最上のケーンのリードにはかなわないまでも、これと同等のケーンのリードはいくらでもあり、そのレヴェルのものがいつでもに吹けるという意義がは大きい」という意味の発言を読んだことがあるが、まったく同感だ。

 ただ強いていえば、安定しすぎと言うか、あまりに予想通りに音が出るのでなんかちょっと面白みに欠けるというか――下手なのを棚に上げて大きな事を言うと、不確定要素があるからこそなんとか特徴を掴んで使いこなそうと必死になるのに、そういう冒険心がなくなるというか…。レジェールに慣れきってしまうとケーンのリードが吹けなくなる、というのを聞いたことがあるが、ひょっとするとその真意はそんなところにあるのかもしれない。

 それでもレジェールによって、なんというかバスクラの"可動域"が拡がったことは疑いようがなかった。今まで苦労していたことがけっこうスムーズに吹けるのを実感でき、使い込むうちに勝手が分かってきたのかどんどん自分に馴染んでいくように感じ、いつしか手放せなくなっていた。このリードを手に入れて1年余り、実を言うとバスクラを吹く時は今でもこの時買ったリードを使い続けており、もう何度となく本番もこなし、手放せないものになっていった。

 ――が、その時はまだ気づいていなかった。これがいかにビギナーズラックであり、こうしてレジェールにのめり込むことによって、それからどんなに七転八倒することになるか、を…。