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 天才"傍流"マンガ家の限界~岡崎二郎「ビフォー60」

マンガ レヴュー

 岡崎二郎の名前は一般にはどれだけ知られているだろうか?
 一部コアなファンからは「マンガ界の星新一」「藤子・F・不二雄の正統な後継者」と称されるまでに高い評価を維持し続けているのだが、おそらくその名を聞いて「ああ、あの…」と分かる人は相当マニアックなマンガ読みに限られていると思われる。

 その理由の一つは彼が"SF短編の名手"であること自体にあるのだろう。僕などは手塚治虫以来SFマンガはマンガの本道だと思いこんでしまっているのだが、どうも一般的にはSFマンガはあまり人気がないらしい。その上マンガというメディアでは単行本が何巻何十巻と続くような長編やシリーズものの方が注目される傾向にあり、短編はどんなに上質なものであってもどうしても埋もれてしまいがちになる(「ねじ式」や「11人いる!」のようなごく一握りの例外はあるが)。藤子・F・不二雄にしても、その知名度は「ドラえもん」を始めとする数多くの国民的ヒット作によるものであり、むしろ彼の本領と言うべきSF(すこし・ふしぎ)短編は一部好事家にしか読まれていないのが正直なところだ。このように岡崎二郎の作品はそのジャンルからしてどうしても陽のあたりにくい、言わばマンガの"傍流"に位置せざるを得ない不利な位置に追いやられがちだった。

 一方岡崎二郎が藤子Fの後継者と言われるのもよく分かる。彼の絵は今時珍しい、藤子不二雄を髣髴とさせるシンプルな太い主線で描かれたもので、その大半はよく練りこまれたアイディアを適度にひねったストーリーで簡潔に描き出したものだ。初期の代表作「アフター0」はそうした単独に書かれた読み切り短編の集合体であり、統一したテーマやストーリーはない。(一部同じ登場人物によるシリーズ化されたものも含まれてはいたが) にしてもこれらの短編集は今読み返してもアイディアが豊富で、短いながらも展開に切れがあり、その並外れた才能には感嘆するしかない。しかもその絵のおかげでかなり殺伐とした話でもどこか愛嬌があってユーモアも忘れず、不思議と読後感がさわやかだ。この魅力を知った人が、一人でも多くの人にこの素晴らしさを知ってほしい、と声高に叫びたくなるのも頷ける素晴らしい作品群なのだ。

 その後も「大平面の小さな罪」「国立博物館物語」といったSF長編シリーズや、「NEKO2」「ファミリーペットSUNちゃん!」といった(すこし・ふしぎな)ファミリーものなどどれも味わい深い作品を発表する。どれもそれぞれ違った魅力にあふれた作品群で、そのはずれのないレヴェルの高さには驚嘆に値する。間違いなく現役のマンガ家の中で最も才能あふれる一人と言っても過言ではないだろう。
 なのに――それでいて世間の耳目を集めるようなヒット作には恵まれず、ここ数年はあまりその作品を目にする機会が減ってきていた。


 しかし最近、復刊ドットコムにおいて久しぶりの短編集が刊行された。読者からのアンケートを募り、その結果を基に魅力的ながらも埋もれがちな作品を掘り起こし続けている復刊ドットコムの業績は非常に大きいと思う(その性質上値段がかなり割高なのはしかたのないことか…)けど、実は今回の単行本は復刻ではない。全作品単行本初収録なのだ。しかし収録作品は「国立博物館物語」「NEKO2」「ファミリーペットSUNちゃん!」…。つまりは雑誌発表しながら既存の単行本では今まで収録されていなかったエピソードを集めて1冊にしたものなのだ。これも価値ある復刻の形だろう。
 こんなにも未収録作品があったことにも驚くが、今回それぞれに作者が「なぜ収録されなかったのか」コメントも寄せているのも非常に興味深い。
 さすが岡崎二郎、そんなのでも決して落穂拾いとは思わせないだけの内容を持った作品群だったが、ある作品に関する作者コメントを見て、思わず手が止まった――。

 
「時の添乗員」――先ほどあえて触れなかったが、岡崎作品の中でも特に感慨深く読んだ1冊だった。これを読んだ時、「新境地だ!」と感激したことをはっきり憶えている。しかも表紙に第1巻とあることから、続く第2巻が出ることをいかに首を長くして待ち望んだことも…。
 この作品は、過去のある時に強い心残りやわだかまりがある人を見込んで、その"時"にその人を連れて時を旅するひとりの添乗員を狂言回しに、毎回その"時"に立ち会った人がその時の本当の姿を改めて目にすることによってさまざまな思いを呼び起こす連作シリーズだった。明らかにそれまで読んだどの岡崎作品とも読後感を異にして、どのエピソードも鼻につんとくるようなさわやかな感動を味わえた。第1巻に収録された8作品、どれも強く心に残り、その後も何度となく読み返したほどだ。
 今回の「ビフォー60」にもこの「時の添乗員」が1篇収録されている。第2巻に収録されるはずだった作品か…いったいどんな理由で中断してしまったんだろう――なんて思いながらそのコメントを読みだすと、そこにあったのはそれまでとは打って変わって、作者の厳しい言葉だった。
 「最も編集サイドにすり寄った作品」
 「終わってホッとした」
 「ラストのコマに挿入されたフレーズも作者個人では絶対にやらない演出」
  (毎回最後に書かれたモノローグは編集が勝手に書いていた、という示唆か?)
 さらには単行本発売時につけられた帯には推薦文を書いてもらった松本零士の名前が(作者の名よりもはるかに)大きく書かれていたことにも触れ、強く傷つけられたことも語っていた。(これは「自分の名前では売れないのか」という風にとったものと思われるが、こういうことはけっこうよくあることなんだけどね…) とにかく作者としては第1巻収録分ですべて終ったつもりであり、単行本発刊時に宣伝のために書き足された今回収録の1篇だけがずっと浮いていたらしい。おそらく編集サイドとしては時間をおいて第2巻も、と考えていたのだろうが――語られてはいないが、作者の方は、単行本に「第1巻」と書かれたのを見て逆に驚いたのではないだろうか。

 このように「時の添乗員」は作者にとっては非常に不本意な作品であることがここに明示されていたのだが、おそらく描くにあたって編集が内容にかなり踏み込んでいっていったため、作者にとっては"描かされた"意識が強いのだろう。確かに彼のように自己の作風がしっかり確立されている作家にこういうことをするのはかなりの冒険だろうが、どうだろう、"新境地"と受け取った僕などは、この路線を受け入れることによって彼の作風はさらに拡がりを見せたのではないだろうか、と思わずにはいられない。

 今回改めて「時の添乗員」第1巻を読み返してみたが、やはり明らかに他の作品とは方向性が違う。これらはおそらく編集サイドからの要請だと思うが、毎回決まったフォーマット・決まったフレーズがある。これは下手をするとマンネリを招きやすいが、うまくやると読者に安心感を与え、安定した面白さを約束してくれる。冒頭でその"時"に関する謎が提示され、時を遡ることによって眼前でその謎が解かれていく、という趣向も読む者の興味を切らさないし、またその意外な結末を知ることによってしばしば心を突き動かされる、そう"情"に訴える力があるのだ。
 こうして振りかえってみると、岡崎二郎の作品にしばしば感歎・感激したことはあったけども、感動したこと・心を突き動かされたことってそれまであっただろうか――。SF的なアイディアという点からすると、他の岡崎作品ほどの切れはないかもしれないが、でもこの作品にはそれを補って余るものが確かにあると思う。
 こうして考えると編集サイドが狙った意図がなんとなく見えてくる。岡崎二郎の作風を生かしつつも、そこに「ヒットの方程式」をあて嵌めようとしたのではないか? 固定フォーマットに固定フレーズ・謎の提示と謎解き・情に訴える意外な結末…。これならば連続TVドラマにしても面白いし、岡崎二郎の名を一気に押し広めるのに役立ったかもしれない。

 しかし作者はこうした働きかけがどうしても意に沿まわなかったらしい。フォーマットを固定することも情に訴えることも、もうそれなりにキャリアを積んできた彼にとっては余計なお世話に映ったのかもしれない。情に流れること自体が肌に合わなかったのかもしれない。

 結局その後も作風を変えることなくに実績を積み重ね、今年でデビュー30周年を迎えるという。それを記念する意味でも刊行された「ビフォー60」(このタイトルは作者が来年還暦を迎えるためつけられたというが、「アフター0」と対をなす意味もあるのだろう)はこの天才マンガ家を振りかえる意味でも非常に重要な位置を持つと思う。
 そしてこうして見ると「時の添乗員」は作者にとってターニングポイントにもなり得る作品だったのではないだろうか? 本人には不本意かもしれないが、あれは多くの人に感動を与えるパワーを秘めた作品だった。これをきっかけに岡崎二郎の名を大いに広め、マンガ界の"本流"に乗り出せたのではないか、と。しかし、作者はその未来を自ら拒否した――。

 「知・情・意」人間の精神活動の根本とも言われるこの3つだが、岡崎二郎はその作品から"情"の部分を拒否し、残り2つ、"知"と"意"だけで勝負しようとしているかのように見える。ここに岡崎二郎という天才作家の欠点、というか限界の一端が見えてきたような気がした。