レニングラードフィルとサンクトペテルブルクフィル

 先日NHKで放送されたテルミカーノフ/サンクトペテルブルクフィルの演奏するショスタコーヴィチ交響曲第7番「レニングラード」を聴いて、なんとも複雑な気持ちになった。

 僕がクラシックを聴きはじめた中学時代、レニングラードフィルとと言えば"泣く子も黙る"別格扱いの世界有数のオーケストラだった。名指揮者エフゲニー ムラヴィンスキーのもと鉄壁のアンサンブルを誇り、どんな速いパッセージでも一糸乱れぬ演奏を繰り広げ、聴く者を圧倒し続けた。
 ムラヴィンスキーのリハーサル風景を収録したDVDを観たことがあるが、そこには思わず目を見張るような光景が展開していた。演奏しているのはブラームス交響曲第2番フィナーレなのだが、冒頭、弦と一緒にトランペットが最初の1音だけDの音を重ねる。ムラヴィンスキーはそのトランペットが気に入らずに、もう何度も何度も執拗にそこだけを繰り返させるのだ。確かにこの1音はトランペットにとっては難しい(技術的に、というよりも弦と溶け合うほど良い音を出すというのが)とは思う。しかもムラヴィンスキーはどうしろという具体的な注文をつけるでもなく、ただ「違う」とばかりに自分の求める感じになるまでただただ繰り返させるのだ。そこにはどんな音をも決しておろそかにしない、偏執的なまでの厳格さがあった。
 正直こんな指揮者の下でやりたくないな、なんて僕など思ってしまうのだが、レニングラードフィルはそんなムラヴィンスキーをおよそ50年もの間 常任指揮者に掲げ続け、あの奇跡のようなアンサンブルを軸に、数々の名演奏を残してきた。こんな風に団員を締め上げ続けて作ったアンサンブルなんて書くといかにも冷たく血の通わない演奏のように聴こえるが、なんというか、その音楽にはすべてを突き抜けたような凄味があって、すべての音が一体化したかのようなベートーヴェンチャイコフスキーの音楽は他に例を見ない壮絶な名演だと今でも思っている。

 ムラヴィンスキーは1988年に没し、レニングラードフィルは半世紀にわたって君臨し続けたシェフを失った。ひとつの時代が終わったと誰もが思ったろうが、実はオケだけではなく、ソヴィエト全土、いや共産主義圏自体の時代がその後大きく変わろうとしていた。
 翌89年には北京で天安門事件が起き、ドイツではベルリンの壁が消滅。それがきっかけとなったかのようにソ連をはじめとするヨーロッパの共産主義国の屋台骨が次々と連鎖反応的に傾き、東欧の共産諸国が次々に崩壊、民主化が進んだ挙句、遂に1991年、共産主義の大本ともいえるソヴィエト連邦が解体した。当時はCIS(独立国家共同体)なんて呼んでたけども、要はロシアとその周辺諸国に分裂し、ソ連建国の英雄レーニンの名を冠したレニングラードも、革命前の旧称サンクトペテルブルク(これもピョートル大帝の名を冠したものだが)に戻った。それに伴い、レニングラードフィルもサンクトペテルブルクフィルに改称した。

 ムラヴィンスキーの後任には当時50歳のユーリ テルミカーノフが就任。手元に1989年、レニングラードフィル(当時)の新シェフとして来日した際のテルミカーノフのインタビュー記事(レコード芸術1989年12月号)の切り抜きがあるのだが、それによるとテルミカーノフは就任するまでほとんどレニングラードフィルを振らせてもらえなかったにも関わらず、ムラヴィンスキー死後に楽団員の圧倒的な支持を得、就任が決定したのだという。それだけでなく、その口調の端々にムラヴィンスキーに対する反発・批判が垣間見えている。その偉大さを認めつつも、ムラヴィンスキ-がオケを前に前時代的な独裁者となり、楽員に恐怖心すら抱かせて団員を隅々まで支配していた事――オケの方も長年にわたり専制君主的カリスマ指揮者に君臨され続けて疲弊していたところに、ペレストロイカに代表される自由の風が吹き荒れ、次期シェフに、前任者とまったく違うタイプを欲する流れになっていたと考えると、この人選はなんか納得いくのだ。テルミカーノフはどうもアンサンブルの構築よりもその時その時のライヴ感・即興性を重んじるタイプの指揮者のようで、本人もインタビュー中でそう語っている。
 しかしその結果はどうなったろう。ムラヴィンスキーによってギチギチに締め上げられていたオケをテルミカーノフは一気に手綱を放して自由気ままにやらせていったようにみえる。名前がサンクトペテルブルクフィルに代わってしばらくしてからその演奏に触れた時に、かつての一種異様な迫力が消え、なんとも散漫な"ゆるい"演奏になってしまっていて驚いた記憶がある。

 今回のTV放送でも演奏前にテルミカーノフのインタビューが流され、その中でもかつてこのオケは「楽員に異様なまでの楽譜の忠実さ・正確さを強要され、それにより音楽が自由を失っていた」という意の事を語り、名前こそ出さなかったものの明らかにムラヴィンスキーを批判している部分が見受けられたが、はたしてその演奏は――というと、正直の所、以前聴いた時よりもさらに箍がゆるみまくっていた。元々テルミカーノフの指揮ぶりは棒を持たずに両腕を振り回していて打点がはっきりしていない。今回の「レニングラード交響曲の冒頭でも、一応ちゃんとオケは演奏しているのだが、いったいこの指揮のどこを見ればそうなるのか全然見えてこず、どうやって合せているのか不思議な感じがした。
 テンポが一定な間はそれでもなんとかなるのだろうが、テンポが揺れる場合は…。第2楽章の中間部でテルミカーノフはいきなりテンポを上げた。三拍子に変わり鋭いスタッカートのリズムの上でエスクラバスクラが鋭く掛け合う非常に緊張感漂う部分だが、ちょっとここまで急激にテンポを上げた演奏は僕は聴いたことがなかった。おそらくこれがテルミカーノフ流の即興的な部分なのだろうが、オケのほとんどその変化に着いていけず、プロオケとは思えないほどぐちゃぐちゃになり、立ち直るのにしばらくかかった。その間もテルミカーノフは立て直すでもなくそのなんだかわからない腕を振り回すだけで――いいのか?という気になってくる。
 さらには第3楽章冒頭。木管による目の覚めるようなコラールで始まり、続いて弦がみずみずしさこの上ない音楽を奏でるのだが――コラールのキューがあいまいなため、はっきりいって約半数が第1音落っこってしまい、初めからぐずぐずになってしまった。もはや解釈がどうとか言うレヴェルではない。プロオケとしてこれでいいのか?と言いたくなるぐらいアンサンブルの精度が下がっているのだ。

 テルミカーノフが就任して30年近く、ムラヴィンスキー時代の反動…とかでは済まされないほど、昔の面影はない。かつてのレニングラードフィルと今のサンクトペテルブルクフィルは、もはやひとつながりの団体とは思えないほど変質してしまった。もちろん指揮者の役割はアンサンブルを構築するだけではないし、その即興的なきらめきで唯一無二の名演奏を繰り広げた名指揮者は何人もいる。しかしそのタイプの指揮者を掲げたオケは時にアンサンブルが乱れて凋落していく、という事があるのもまた事実なのだ。現在のサンクトペテルブルクフィルを見ていると、なんだかその典型のような気がする。テルミカーノフの下、アンサンブル精度と引き換えに何か音楽的なプラスの部分があったのか――いや、ここまで精度が下がっては焦点がぼやけてしまってそれがあったかどうかすら判別がつきづらい。ひとえに「自由」「民主化」の名の許 勝手気ままにやらせすぎたテルミカーノフの責任と言えるだろう。「反ムラヴィンスキー」で一貫してやってきたようだが、それだけでオケが運営できる訳ではない。
 テルミカーノフは現在も元気そうだが、年齢はもう80近い。もうそろそろオケのアンサンブルを立て直してくれる"次の"シェフを考えて行かないと、20世紀の伝説的なオケ、レニングラードフィルは名実ともに消滅してしまうかもしれない、そんな危惧さえ抱いてしまった。