哀悼 吾妻ひでお

 「えっ…」
 その訃報を知った時、仕事中にもかかわらず、しばらく意識が遠のいてしまった。

 まさか…。いや、到底長生きができないような身体だというのは承知していたが、ほんの少し前に「不条理日記 完全版」(復刊ドットコム)を入手して往年の大傑作を改めて通読し、そこにまた2ページとはいえ新作を寄稿していたものだから、まだ"その時"は先の話だ、と勝手に思い込んでいたのだ。でも聞くと食道がんで闘病生活を強いられていたという。全然知らなかった。(その本のあとがきで「薬の副作用が凄い」と確かに書かれていたけども――抗がん剤のことだったのか、と今さらながら気づく)
 いろんな想いが交錯し、自分にとってこの人の作品がこんなにも大きな存在だったんだと改めて思い知らされる。記憶をたぐると…マンガ家の死にこれほどのショックを受けた事って、手塚治虫藤本弘(藤子・F・不二雄)に次いで3人目だと思う。それほどまでに自分にとって多くを占めているマンガ家だったんだと、ほんと今さらながら痛感した。

 初めてその作品に触れたのは――実は定かでない。70年代のチャンピオン全盛期(「ドカベン」「ブラックジャック」「がきデカ」「マカロニほうれん荘」といった一世を風靡する大ヒット作が目白押しだった)に連載を持っていたから、その時の作品のうちどれかを自然に目にしていたんだと思うけど、当時特に印象に残ってはいなかったのだろう。でもなんとなく名前とその絵柄は認識していた。

 ちゃんとその作品を意識したのは…単独作品ではなく「ひでおと素子の愛の交換日記」が最初だと思う。当時まだ新進作家だった新井素子がエッセイを書き、吾妻ひでおが絵を描く。かといって挿絵と言う訳ではなく、本当にお互いが内容にどんどん入り込んできてほとんど掛け合い漫才のような絶妙なやりとりがたまらなく面白かった。両者どちらにも負けず劣らずセンスの高さを感じ、2人の作品をじっくり読んでみたいとこの時思った。で新井素子の小説を読んでみたらそのいくつかはこちらでも吾妻ひでおが表紙や挿絵を描いていて、気がつくとハヤカワ文庫SFの表紙を吾妻ひでおが飾っているのをみて親しみを覚えた。

 でも、僕が彼の真価に気づいたのは、成人してからたまたま古本屋で買った「不条理日記」だった。その時の感興は「なんだこれは!!!!」のひと言。数コマで構成される短いエピソードの連続のような作品だが、そのひとつひとつがほとんど意味をなさない、ただどれにも鮮烈なイメージが炸裂して畳みかけられる。どうやらあるSF作品のパロディのようなものも混じっていて元ネタが分かるとニヤリとするが、分からなくてもそのイメージの飛躍ぐあいに打ちのめされる。なんだかよくわからない、けどこれは間違いなくSFだ。ナンセンスSFとも言うべきまったく新しい世界に打ち震えるような感動に襲われたのをはっきり憶えている。

 さぁそれからは、見つけるそばから吾妻ひでおを買いまくった。幸いその頃ちょうど古本屋を丹念に探すと隅っこにけっこう単行本が掘り起こせて、気がつくとかなりの数が手許に集まってきた。「メチルメタフィジーク」「パラレル狂室」「狂乱星雲記」「どーでもいんなーすぺーす」…どれも目を瞠る作品群だが、とくに「るなてっく」№1を読んだ時の衝撃はトラウマ級だった。どれも掌編と言っていい短い作品だが、その限られたページの中でSF的世界に一気に巻き上げられてしまうすさまじい推進力。そのスタートダッシュのすさまじさは尋常ではない。この時、僕の中で吾妻ひでおは初めて"驚嘆すべき作家"になった。

 だがこれらの作品はあまりにとんがり過ぎてて一般的な人気を得るものではない。当時は知らなかったのだがこれらの作品の多くは同人誌や自販機で売られるエロマンガ誌というあまりにもマイナーな場所で発表されており、「不条理日記」の中でもその状況を「人間界の仕事がだんだんへってゆく」と揶揄している。

 その対策と言う訳ではないだろうが、もう一つの鉱脈として"美少女マンガ家"という路線を発掘していく。元々「出てくる女の子がすごいかわいい」との評判があったが、それに磨きをかけて、所謂"萌えマンガ"の嚆矢のひとりと言っていい存在となっていった。そちらの方でも多くの作品を残したが、正直僕はこちらの方はさして興味が湧かなかった。しかしその路線でもただでは置かない。その中に吾妻的SFテイストを徐々に織り込み始めたのだ。その路線でありながら思い切りぶっとばしてくれた「やけくそ天使」は稀に見る大怪作となったし、美少女路線の中にこっそりSFテイストを混ぜ込んでみせた「ななこSOS」はアニメ化もされて、おそらく彼の一番のヒット作となった。そしてSFテイストと美少女路線を高次元で融合させた「スクラップ学園」を発表、これはある意味"究極の吾妻ひでお作品"とも言っていいかもしれない。

 この時期、吾妻ひでおはマンガ界(のごく一部の領域)で頂点に立ったといっていい。80年代の前半、彼の作品は様々な所で求められる存在になり、作品数も多い。ただ多忙の中で彼は急速に疲弊していった。

 80年代の後半、吾妻ひでおの名は急激にマンガ界から消えていった(実を言うと僕が彼を知ったのにはタイムラグがあり、この頃にようやく「不条理日記」を手にしたのだ)。だからその事に気づいたのはだいぶ後になってからだが――その期間は約10年にも及んだ。

 その"消えた10年"の間に何があったのか、それを自ら明かしたのは実に2005年の「失踪日記」によってだった。仕事から逃げ出すために失踪し、文字通り家族からも行方不明になり、なりゆきで配管工として働いていた期間、相前後して酒におぼれ、その結果アルコール依存症を発症して入院・断酒生活を余儀なくされた日々。これらを赤裸々に、しかしユーモアを絶やさずに綴ったこれら一連の作品により、吾妻ひでおは晩年にまさかの大復活を遂げた。人気絶頂のさ中に連載を放り出して失踪した作家が、こんな風に盛り返すというのはほとんど例がないのではないだろうか。
 「失踪日記」とその続編「アル中病棟」は吾妻ひでおが最後の力を振り絞った渾身の作だった。これにより彼は晩年にして不動の地位を得、その後の作品は言わばその余力で描いていたと言っていい。言わばこの時点では吾妻ひでおの作風そのものが一般にも"芸"として認められたのだ。「ぶらぶらひでお絵日記」や「カオスノート」などは日々の思いつきの断片をただ寄せ集めたといっていい本だが、読者はその中に往年の吾妻テイストを見出して楽しめてしまう、それだけ吾妻ひでおの"芸風"が一般に浸透していたのだ。
 実際、長年の不摂生で彼にはもう新たにきちんと作品をまとめるだけの力が肉体的に残されてはいなかった。だが、かつて志ん生が高座で居眠りしてただけ笑いが取れてしまったという伝説と同様、吾妻ひでおも何かを発するだけで充分面白い、そういう領域に達していたのだ。そんな中で彼の旧作の再評価もどんどんなされ、復刊もいろんな形で進んでいく――。いろいろ紆余曲折はあったが、マンガ家としては幸福な晩年だったと思う。

 こうして振り返ると、ほんとうにとてつもない人だったとつくづく改めて思う。ゆっくりお休みください。そして、彼が生み出したこの名フレーズをもって彼を送り出したいと思う。

 

 クルムヘトロジャンの「へろ」!

「芸能人格付けチェック」 音楽編考

 「芸能人格付けチェック」(TV朝日)。実はこの番組、ここ数年元日の楽しみになっている。毎回出される問題はすべて2択(稀にに3択)で、すべて「どっちが高いか」のシンプルなもの。しかしその見極めは難しい。いつもよくTVに出てくる芸能人だって、もちろんなんらか光るところがあるからこそ求められているわけだろうが、ある特定のジャンルにおいて詳しいとは限らないし、もっともらしい事を言っても思い切り間違えてしまう事も多々ある。それらリアクションをひっくるめて毎回外れなく楽しめる番組だからこそ人気番組になっているのだが、時にはこちら(視聴者)も対岸の火事と気楽に観られない問題もある。

 問題は大きく「食関連」と「芸術関連」の2つのジャンルに分けられ、前者「食関連」はこちらには正解が分かりようがない。回答者が食べている口の中の味など想像し様がないからだ。だからこそこちらは気楽に、回答者のリアクションを楽しんでいられる。
 しかし「芸術関連」の問題は一応その芸術作品がブラウン管(古い?)を通してとはいえこちらに提示され、視聴者も正解を考えることができてしまうのだ。それらは絵画・陶器・盆栽・生け花・映像作品といった多彩なジャンルから取られるが、それらはまぁこちとらもさして詳しい訳ではないから無責任に回答できる。しかし毎回楽器に関する問題が出されることが恒例になっており、それについては内心穏やかではいられない。
 そりゃこっちだって音楽のプロってわけじゃないが、それでもクラシック音楽を聴き続けて幾星霜、それなりに見識やこだわりも持ち合わせている(つもりだ)。なのでアマチュアながらもちょっとしたプライドが心のうちに組み上がってしまっている。TVの前でいくら間違えたって別に恥になんか何にもないはずなのに、間違えるとそのいらぬプライドが"沽券にかかわる"ような妙な気持ちになってしまう。

 いや実際白状すると、この音楽問題、毎年よく間違えるんだ。毎回出題のパターンとしては決まっていて、ヴァイオリンならヴァイオリンというひとつの楽器を、片方は最高級品、もうひとつは初心者用の安い奴と2つ揃えて、同じ奏者が同じ曲を弾き比べてどちらが最高級品かを聴き分けるというもの。聴き比べて違いは分かる。だがどちらがいいものか、は…。自分なりの考えで、いい楽器はこういう風な音になるんじゃないかというイメージがあり、それに従って選ぶとかなりの確率で安い方を引いてしまう。そんなことを続けたもんだから段々疑心暗鬼になり、「僕的にはこっちの方がいいように思うんだけど、案外そうじゃない方かも…」ともう一つの方を選んでみて、そういう時に限って最初にいいと思った方が正解だったり――そんなことを毎年繰り返していた。結局の所、確たる自信を持って判断できないからこそこういう羽目に陥ってしまうのだ。
 もちろんそういう時は「こんなTVのスピーカーを通してるから分からないんだよ。生で聴けば絶対分かる」と心の中でうそぶくのだが、普段このスピーカーからN響定期やらウィーンフィルやらの放送を聴いて楽しみ、あーだこーだ感想を言っているんだから、それと条件は同じ。「あのぶどうはすっぱいに違いない」というのとなんら変わりはないのは内心重々承知の上、そういうのもすべてひっくるめてこの番組を楽しんでいた。

 この番組、以前は文字通り元日だけの放送で文字通り「年1回のお楽しみ」だったのだが、最近なんか秋口にも特番が放送されるようになった。もっとも趣向は違い、当初はマナー問題とかがが出てあんまり面白くなかったのだが、今年はなんとこれら音楽問題だけが出される3時間特番が放送されたのだ。
 これは――観ない訳にはいくまい、と録画までして全編じっくりと聴き、判断することにした。

 第1問はヴァイオリン。もう毎年必ず出題される題材だが、例によって最高級品の方はおなじみストラディヴァリウス。そしてもう1方は――100万円相当のヴァイオリンだという。
 おいおい、とまずツッコみたくなる。いつもは初心者用なのに、100万円相当ってヴァイオリンでも決して安い部類じゃあるまい。必ずしも悪い楽器とは言えないだろう。プロならともかく、アマチュアでそのクラスを使っている人はそれなりに限られるはずだ。それに――前から感じていたのだが、楽器は違えど同じ奏者が連続して演奏するというのが大きい。やはり楽器は違っても同じ人が弾けば目指す音のイメージというのは同じで、結果としてけっこう似た傾向の音になりがちなのだ。
 ちょっと話が横道にそれるが、ストラディヴァリウスと並び称される銘器にグヮルネリウスがある。こちらも世界的名手が何人も愛用しているが、グヮルネリ弾き(鄭京和・前橋汀子五島みどりなど)の音を並べて思い描いてみると、ストラド弾きとは違った傾向が見えてくる。伸びやかなストラドに比べて何とも重渋い響きがするのだ。僕はこれがグヮルネリウスという楽器の特徴だと思っていた。しかし先日TVでストラディヴァリウスとグヮルネリウスの両方を所持して曲により使い分けているという何ともうらやましい奏者が出演していた。この時はブラームスの協奏曲をまずグヮルネリウスで、アンコールではストラディヴァリウスに持ち替えてバッハを演奏したのだが、その時も、確かに音色の傾向の違いは感じたが、普段「ストラド弾き」「グヮルネリ弾き」のイメージするような明確といっていいほどの違いは伺えなかった。やはりグヮルネリ弾きに対して僕が感じていたイメージと言うのは、その楽器を長年鳴らし続けていくうちに、その奏者が徐々に育んでいった音色が結果的にそう感じさせていただけなのかもしれない。それほどに、奏者が紡ぎだす響きのイメージと言うのは楽器の違いに関わらず大きくその音色を左右するのだと思う。
 さらに付け加えるならば、この問題の楽器、どちらもその奏者が普段弾いている楽器ではないというのも大きい要素だ。ストラディヴァリウスなんてそうそう出回るものではないから、収録に際してスタッフがその日だけ借り受けて、奏者も収録当日に初めて触ったと考えるのが妥当だろう。いくら銘器だからといって手にしていきなりそのパフォーマンスを引き出せるとは限らないし、むしろ銘器だからこそ独特の癖があり、それを使いこなすにはプロと言えども当日いきなりはきついのではなかろうか。却って初心者向けの楽器の方が容易に使いこなせ、結果的にこちらの方がいいパフォーマンスを出せた、ということは十分考えられる。だからこの問題、銘器だからといって必ずしもいい演奏ができるとは限らない、うん、そうだ。そうに違いない。
 ――と言い訳めいたことを長々と書いてしまいましたが…。結果は――そう、思い切り間違えました(爆)。

 第2問はピアノ問題。一方はスタインウェイの最高級品。もう一方はタケモトピアノの倉庫の奥に眠っていたという中古品。これも「古い中古」というだけでメーカー名は触れられなかったから、「実は掘り出し物で…」という可能性も無きにしも非ずだなぁ、なんて思っていたけども、これは意外にも容易に聴き分けられた。もちろんピアノも奏者のタッチによってずいぶん音色が変わってくることは承知しているが、逆にピアノの場合、同じ奏者が同じタッチで弾くと、楽器本来の特色がストレートに出てくるのではないか?と思えた。もう片方に比べて明らかに響きが立体的だ、と思った方を選んだらそれが正解だった。

 第3問は管楽器。僕がやっているクラリネットこそ出なかったが、それこそ奏者の音色イメージによって響きがかなり影響を与えることは重々承知しているジャンルだ。これは3択で、高級品・初心者用・そして最後に「絶対アカン」枠としてプラスティック製の楽器が登場したが、管楽器の場合材質で決定的な音色の差は起きないし、これまた奏者のイメージする音色にかなり左右されやすいことは経験的に承知している。だからプラスティックだからと悪い結果が出るとは必ずしも言えないだろう。回答者グループごとに4種類の楽器が次々と演奏されたが、最初にクラと同じくシングルリード楽器であるサックスが登場したのが幸いした。かすかな違いを感じ取り「これだな」と思えるものが存在し、それが正解だったのだから。続いてトランペット・トロンボーン・フルートと続いたが、特に金管楽器の場合言い当てられたかどうかはかなり怪しいものだった。だから当てられたのはほんの偶然に過ぎない。

 4問めは合唱。片やプロの合唱団、片やアマチュア合唱団の比較だが、後者も音大OB、即ち正式に声楽を学んだ人たちの集団だというから基本的な発声そのものは悪くなかったと思う。後はマスとしての響き、一体となって響きあっているかどうかに差が感じられたので当てられたが、要は団体としての練度の差、それだけだったと思う。

 5問めの邦楽器はもう何が良いのかその基準が全く分からない。尺八の音も素直に音が出る方がいいのか、それともなんかタメがある方がいいのか、判断しようがないのだ。これはもうあてずっぽでたまたま選んだ方が正解だったが、もうヤマ勘と言っていい。なんにも褒められたもんではなかったな。

 6問め最終問題は三重奏(ピアノ・ヴァイオリン・チェロ)。ピアノとヴァイオリンは1問め・2問めと同じ楽器・同じ奏者でチェロだけ新たに加わったが、今回の問題の場合、楽器だけでなく奏者もすべて入れ替え、高い楽器の方は国際的に活躍しているプロ、安い楽器の方は音大生3人で構成されていたのだ。これは楽器以上に奏者の実力の差がはっきりと出ていた。後者の弦楽器はどちらも明らかに楽器が鳴りきってないし、逆にプロの方は響きはもちろんのこと、音のエッヂの効かせ方が実にくっきりとして、なんというか曲の音像が明確になっている。ここまでくるともう間違えようがない、と自信を持って選ぶことができ、実際それが正解だった。

 と言う訳で終わってみれば今回はヴァイオリン以外は当てられたものの、本当に明確に自信を持って答えられた、となると半分ほどしかなかった。そして改めて考察してみるとこのクイズの持つ、一見単純に見えていろんな要素が積み重なっている様が見えてきた。だからなんだか「当てられなくてもしょうがないよな」とも思えてきたのだが、それでもむしろ今、それを乗り越えてでも正解したい気がむくむくと心に湧きあがってくるのだ。

今日のトランプ

「あんたんとこの、ほら、グリーンランド。えらいいいとこでんなぁ。ごっつ気に入りましたわ。そこでひとつ相談なんやけど、あれ、アメリカに譲ってもらえまへんか?」
「――」
「あ、いや。もちろんただでとは言わん。ここはひとつ、言い値で結構。なんぼや? 言うてくれたら検討しまっせ」
「――」
「つれないでんなぁ。そういうことなら、ほら、今度あんたんとこでやることになってた首脳会談、あれ、なかったことにしてもええんやで」

 


 あのニュースを聞いて、思わずこんな会話に脳内変換されてしまった。
 アメリカはかつてアラスカをロシア(※今のロシアでなく帝政ロシア)から格安で買った前例があるけども、そんなことが現代でも起こり得ると思ってんのかね、あの人は。

 

なんで京アニが…。

 ただひたすら、強い憤りを感じずにはいられない。

 僕にとって京都アニメーションと言えば「響け!ユーフォニアム」を制作した会社、という認識なのだが(その後再放送された「けいおん!」を観たぐらい)、非常に緻密で丁寧に作りこまれた高い完成度を常に維持し、それは作画だけに止まらず、演出・声優の演技・音楽等あらゆる方面にいきわたっており、「アニメって実は総合芸術なんじゃないか」なんて考えてしまうほどそれは想像の域を超えていた。特に「けいおん」「ユーフォニアム」共に音楽が非常に重要な役割を担っているのだが、そのすべてにおいてまったく手を抜かず、むしろアニメを離れても存在し得るだけの価値を持った音楽作品まで生み出してしまい、でもやはりその音楽をアニメの中できっちりと表現しきってしまうその手腕は目を瞠るしかない。

 その比類ない製作者集団のかなりの人たちが、たった1人の愚かな行為によって1日で無に帰するほどの惨事に陥った。これにより、現在制作進行中の作品も、企画段階の作品も、すべて無期延期になってしまうだろう。

 現時点で死者だけでも33人に上り、助かった負傷者も復帰できるかどうかは分からない。そしてこのスタジオに置かれていた資料や成果物もすべて取り返しのつかないものになってしまった。これらはすべて京都アニメーションが今まで作りだしてきた文化および人的資産の喪失に他ならない。

 現時点ではその影響がどれほどの大きさなのかは測りかねるが、再開できるまでそうとうな期間の操業停止を余儀なくされるだろう。ただ、この事件によって、京都アニメーションと言う日本が誇りうる会社が消滅することだけは避けたい。

 犠牲者の冥福をお祈りするとともに、時間がかかってもいい、その復活を心から祈っています。

 

 【7月19日追記】

 世界中の京アニファンから弔意と支援の輪が広がってきている。

 本当にありがたい事だが、自分もなにかできることを…と、とりあえず「リズと青い鳥」のブルーレイをポチった。普段アニメの円盤を買うとかまずしないんだけども、「リズ」は昨年上映したのを観て、まさしく珠玉の名作と呼ぶにふさわしい出来に心底感激してたので、手許に置くのに躊躇はなかった。主要2人の心理描写の繊細さはもちろんの事、音楽をここまで精緻に扱い、劇中でもっとも大切な所を音楽そのもので語らしめたところは驚嘆した。なによりこの映画を観て「オーボエってなんて素敵な音がするんだろう」と気づかされた人がたくさんいるのではないだろうか。それだけでも嬉しい。

 

 【7月21日追記】

 その後、病院に収容された重体者のうちひとりの死亡が確認され、死者は34人になった。犯人の名前も公表され、これまでの言動等もいろいろ分かってきたとはいえ――異様なのは、その34人の犠牲者の名前が今もなお一切公表されていない事だ。さすがに事件後3日も経てばその時建物にいた人数、うち負傷者(=助かった人)の情報もはっきりして、消去法では犠牲者の特定はほぼできていると思われるが――これは、個々の遺体の損傷が激しすぎてどの遺体が誰なのか、その特定が難しくなっている、ということを意味しているのだろう。助かった人の中にも今後不自由な生活を強いられる人もいると聞く。ほんと、憤懣やるかたない。

"闇営業"そのものが問題な訳ではない

 "闇営業"と言う言葉が日本中を駆け回っている。

 もちろん吉本興業所属の一部芸人が、事務所を通さない、所謂"闇営業"で反社会的勢力の会合に出演して報酬を得、それにより解雇または謹慎処分を受けた件についてだが、あまりにこの言葉が独り歩きして使われまくっていて、この調子だと今年の新語・流行語大賞にもノミネートされそうな勢いなのだが、これで却って問題の把握が難しくなっている気がする。
 なによりもなんだか闇営業そのものが問題となっているかのごときニュアンスになっているのが非常に気にかかる。

 もちろん一般の企業の場合「アルバイト禁止」として自社社員の副収入を禁止することを明記している事は珍しくないが、だからといって今回の芸人の問題をそれと同レヴェルで考えると事の本質が見えなくなる。
 というのも今回の件で明らかになったのは「吉本興業」というお笑い芸人に於いて最大勢力を誇る事務所の営業体質の杜撰さで、そこに注目しないと見方を誤ってしまいそうなのだ。

 言うまでもなく吉本興業はお笑い芸能事務所の一番の老舗であり、今もなおその大多数の芸人が所属する一大勢力である。もちろん最近はその他様々な芸能事務所ができそちらで活躍する芸人の数も増えてきたとはいえ、「吉本かそれ以外か」でくくられかねないほど規模に差があってその優位は揺らいでいない。
 ただその中でも吉本には待遇面であまりよくない噂、要は中間搾取がすごいとの事は、芸人の間でも(さすがに冗談めかしてとはいえ)相当昔から言われ続けてきた。しかし今回の件でさらに明示された情報は耳を疑うほどのものだった。

 今回の件で取りざたされているのは以下の3件。
1.出演料の取り分は、会社9で芸人1。すなわち芸人は出演料の1割しか受け取れない。
 前述のように中間搾取のことは言われてても、具体的な数字が出てきたのは今回が初めてだった。にしても1割とは…。もっともこれは芸人の格に寄っても違っており、人気芸人になるにつれて掌返すように優遇されるとも聞くが。

2.芸人との契約に関して、明確な契約書が存在しない。
 一番信じがたかったのがこれだった。これって口約束ってこと? 「吉本芸人」を名乗る人は沢山いるが、実際は誰一人として明確に契約していないんじゃ…。じゃあ「吉本芸人」の定義っていったいなんなんだ?

3.芸人の数に対してマネージャーの数が絶対的に足りず、手が回らずにほっとかれている芸人が沢山いる。
 芸人にとって一番かわいそうなのはこれかも。芸人は金をとってくるがマネージャーは経費でしかないからなるべく削ろうとしているのかもしないが、そもそもこれって運営会社としての体を成していないんじゃないか…。

 報道されたこれらの情報が真実だとしたら、吉本っていったいなんなんだ?それでまともな会社と言えるのか?と言いたくなる。ちゃんとした契約もせず、所属しているのにほっとかれ、たまに仕事があってもほとんどを会社に持っていかれ…。吉本って、お笑い芸人の口入れ屋かなにかじゃないのかと言いたくなってくる。そりゃ人気・実力が伴わなけりゃ箸にも棒にもかからないシビアな世界とはいえ、芸人を単なる「金を稼いでくる駒」扱いしてると言われても反論できないだろう。

 そんなだから、潤沢に仕事のある一握りの芸人を除き、ほとんどの人は事務所をあてにできずに自分で生活費を稼ぐしかない。バイトに明け暮れる芸人は珍しくないが、どうせならば本業で金を稼ぎたいと思わない人はいないだろう。そんな人たちにとって蜘蛛の糸のような存在が――事務所を通さず、直接依頼者からイヴェント等の出演を請われる"闇営業"だったことは想像に難くない。なにしろ出演料をまるごと、それもおそらくはとっぱらいでもらえるのだ。貴重な現金収入としてそれで糊口をしのいでいたのだろうと思うとちょっと涙が出てくる。
 もちろん吉本としては自分の子飼いの芸人が事務所を通さずに仕事をするのは面白くない。しかしとてもじゃないが吉本自体、それに文句を言えるような筋合いじゃなかった。なにせちゃんとマネージメントしようにも手が足りなすぎるし、またその気もなかったのだから。結果的に吉本も闇営業自体は黙認し、あまりに目立つことをしない範囲だったら何も言わなかった。

 だから芸人が闇営業に走る背景は待遇面・契約面・運営面すべての点において芸人をないがしろにしてきた吉本自体にそもそもの原因があり、それが分かっていながらも改善する気がさらさらなかったことに問題の根幹がある。芸人世界の昔ながらの慣習か何か知らないが、それは現在の日本社会においてはとてもじゃないが通用するものではない。結果芸人の闇営業が横行しつつもなぁなぁに済ませてしまう商習慣が長い事定着してしまっていた。それが今回の事件の温床につながっている。

 古来お笑い界はその土地その土地の"実力者"を取り込まなければやっていけなかった、それ故にどうしてもその手の勢力とつながりやすいという背景があったと聞いているが、現代はさすがにあからさまなつながりはほぼなくなってきた(と信じたい)。会社としてコンプライアンスが常に取りざたされる現在、そうしたつながりが露見したら最後、社会的生命を失う事にもなりかねない。だからこそ吉本も最近はそういった勢力との接触を絶とうとしていたらしいが、そのしわ寄せは結局闇営業に行ってしまっていただけだった。事務所を通しての仕事だったら反社会的勢力から距離を置くノウハウの蓄積があっただろうが、個々人の芸人にはそこまでの判断はできない。結局正規の道を絶たれたその分、闇営業の芸人に直接当たる事が増えていくことになっていた。

 なんのことはない、吉本は自分で自分の首を絞めていたようなものだ。総勢6000人もの芸人を抱えていると豪語しつつもその管理もマネージメントも怠っていたツケがすべて今回ってきている。今回謹慎に追い込まれた芸人の中には重要な稼ぎ頭も数人含まれていたが、それによりレギュラーの出演番組がすべてお蔵入りやら再編集やら、最悪番組自が体存続の危機に追い込まれておりその被害総額は相当なものになるだろう。普通ならばそれら被害額はいったん事務所が肩代わりしてその後問題を起こした本人に事務所から請求する――というのだと、これまた最近不祥事を起こした某人気役者に関する報道で知った事だが、今回吉本が肩代わりするだろう被害額を本人に請求できるかどうかすら疑わしい。なぜなら、本人が吉本と契約したという書類が存在しないのだから。罰則規定もなにもないだろう。

 現在吉本はその6000人もの所属(?)芸人全員に対して、所謂反社会的勢力とのつながりがないかを面談して根絶の徹底化を目指すと言っているが、芸人の方に責任を持たせようというそのやり方自体に「違うだろ」と言いたくなる。闇営業自体、吉本側が黙認してる以上それを責めることはできない。しかし結果的に闇営業がすべての温床となってしまった以上その根絶こそが急務であり、それなくしては今までの分も、これからも、同様の事が発覚するリスクはなくらない。そのためには吉本側が芸人に「するな」と言うのではなく、吉本自体が芸人に闇営業をしなくて済むようその体制を改めるのが先だろう。上記3点、待遇面の改善・契約の明文化・マネージメント力の抜本的見直しだ。これによって吉本の利益率が急激に悪化することは避けられないだろうが、このままではいつしか吉本”帝国”の屋台骨を揺るがすような大事件が発覚する可能性が、明日にも起こるかもしれなのだ。

 

 【7月21日追記】

 その後のこの問題に展開については、僕が思い描いた方向とは真逆の方向にどんどん進んでいた。吉本の上層部はこの期に及んでも尚、今後とも今の方針を変える必要はないと突っぱねたのだ。契約問題も「商法上問題ない」と言い切り、おそらくマネージメント問題も待遇問題も、今のまんま、何かあれば芸人を切り捨てて会社の存続を図る方向で押し切ろうとしていて、僕は強い失望感を味わっていた。ちょうどそのさなかにジャニーズ事務所に対し、旧SMAP3人の地上波出演に対して民放TV曲に圧力をかけていた、として注意が入る(NHK観ていていきなりニュース速報が入ったのには驚いた)ということがあり、吉本に対してもなんらかの行政指導が入るべきではないか?なんてことを考えたりしてた。

 それが昨日、にわかに方向性が変わってきた。
 今回の問題の一番の当事者となっていた宮迫と田村亮が独自に記者会見を開き、謝罪と共に今までの経緯をかなり詳細に語ったのだ。その内容は目を瞠った。これが真実とすれば吉本はあまりにひどすぎ、芸人の多くを擁するその権力をかさに、言語道断のパワハラを行っていたのだ。いや、ここまでとはいくらなんでも思ってもみなかった。

 これにより、非難の方向性は一転吉本興業そのものに向かった。宮迫・田村両氏はこれまでの対応のまずさは確かにあったものの、そのまずさの原因は事件そのものをなんとかして封印して風化を図った吉本自信にあり、今回吉本解雇を背景にすべてをぶちまけるに至った2人の誠意は少なくとも十分に伝わった。

 吉本は今こそ劇的に変わらなければならないし、また変わるチャンスだ。ここにきて尚既得権益にこだわり「ピンチをチャンスに変える」大改革を行わない限り、芸人からの信用を失って埋没していくだろう。
 少なくとも所属芸人全員に対して契約書の締結・契約内容の明文化を行う事、それだけは早急に行わなければならないだろう。

「号外」症候群 ~"おたく"試論

 "平成"が終わった。
 生まれてから成人するまでどっぷり昭和に浸かっていた世代としては、先の改元時、平成という語感になかなか馴染めずに居心地の悪さを感じていたものだが、あれから30年、気がつくと自分にとって昭和よりも長い時間を過ごしており、いつしかすっかり馴染み深いものになっていた。
 新元号"令和"に関しては、さすがに生まれて2度目の改元のせいかそれほどの違和感もなく、(ただ確かに「"命令"の"令"か」と引っかからなかったと言えば嘘になるが)「けっこうかっこいいじゃん」と得心したが、こうなってみるとやっぱり平成とはどういう時代だったのか、とついつい振り返ってしまう。

 その流れでふと、「平成を代表する言葉と言えばなんだろう」なんて考えていくうちに、昭和にはほとんど使われなかったのが平成の始まりに一気に広まり、この30年紆余曲折を経ながらもいつしかすっかり定着したある言葉に思い当たった。

 そう、"おたく"だ。

 "おたく"という言葉自体は実は昭和の終わりごろから使われ始めていた。今や定着しすぎて語源すら忘れ去られそうなので一応書いておくと、コミケ等に集うような人達の間では、(真偽は知らないが)相手を呼ぶ二人称に「お宅」を使うのが広まっている、という話から、これらマンガやアニメといったサブカルチャー愛好家の総称として"おたく"と呼ぶようになったのが最初と聞いている。
 僕も昭和の末、大学生の頃に初めて聞いたのだが、この頃はこのようにごく一部の人の間にしか通用しない「若者ことば」のひとつでしかなかった。

 しかし平成に変わった直後、この言葉はある事件をきっかけに一気に多くの人の知る所となる。そう、平成元年、日本中を震撼させた連続幼女誘拐殺害事件だ。連日のようにマスコミに報道され、遂に逮捕された犯人宮崎勤の異常性、それを説明するためにマスコミで盛んに用いられたのが「おたく」だった。
 そう、"おたく"は当初から不幸な形で世に広まってしまった。元々はほんのささやかな、ある嗜好をもった人たちを示す言葉だったのが、それが稀代の凶悪犯と結びついてしまったのだ。この頃まるで"おたく"というだけで犯罪者予備軍と言わんばかりの勢いだった。そしてその歪んだイメージをあえて体現したかのような"宅八郎"なる怪人(一応サブカル評論家だったのだろうか?)がマスコミを席巻したのもこの頃だった。
 さすがにそこまでひどい誤解は一時的だったものの、"おたく"のマイナスイメージは覆うべくもなかった。平成の始めの数年、"おたく"の趣味は秘すべきものとなった。
 それが徐々に変わったのはいつからだろう。日本のマンガや特撮・アニメ、そして平成に入って加わったゲーム文化が花開いて西欧でも愛好家が増え、これらから日本文化を知る外国人も増えた。「クールジャパン」なんて呼び名のもと、少しづつ復権を果たしていった。
 だがそれとともに"おたく"も一人歩きをし始める。サブカルに関わらず、なんらかのものを深く愛好する人たちの事も「○○おたく」と呼びだした。これらはかつて"マニア"と呼ばれてたんじゃないのか?と突っ込みたくもなるが、今や"おたく"と"マニア"の違いは曖昧で、特に定義づけされないまま時は流れ、徐々に"おたく"は本来の意味が希薄になり、一般化されていった。

 では改めて、"おたく"とはなんだろう。

 現在では確かにその意味合いは曖昧となり、一層定義づけが難しくなっている。オタキングとまで呼ばれた岡田斗司夫が自らの著書で"おたく"を定義してみせたが読者から「それは違う」と総ツッコミを喰らったなんてこともあった。ここまでくればひとりひとりがそれぞれ違った"おたく"像を認識しているのかもしれない。しかし僕も自身が"おたく"であるという自覚があるし、平成を総括する意味でも自己分析も兼ねて自分なりの"おたく"の姿を改めて考え直してみたい。

 "おたく"の特徴をできる限り広く考えてみて、その共通項を探ってみると、当初は一部のサブカルチャーだけが対象だったかもしれないが現在の対象は文化全体に広がり、範囲の特定は難しくなっている。しかしその行動パターンに目を向けるとひとつの共通項が見えてくる。「特定の対象に向けての飽くなき大量消費」だ。今や作品のジャンルは問わない。でもやはりなんらかの対象となる"作品"は存在し、それを骨の髄まで楽しむために蒐集することから始まり、それに飽き足らなくなると二次創作やらコスプレといった"自己表現"に走り始める。"自己表現"といっても物事を一から作りだす"創造"まではまずいかず、あくまで元となる対象作品を消費するための"縮小再生産"に留まってしまうのだ。だってあくまで"作品"を楽しむための手段なのだから、その殻を破ってしまっては本末転倒になってしまう。

 その特徴を考えていくうちに、僕はずっと昔に読んだある小説を思い起こす。国木田独歩の短編「号外」だ。

 国木田独歩の作品は今どれぐらい読まれているのだろうか。一応明治の文豪の一人としてその名は知られているが、正直国語の授業で名前だけを憶えている人の割合が多そうな気がする。僕はたまたま10代の頃にその作品に触れたけども、ひとつひとつの作品が短い事もあってあまり時間をかけずに読め、また早世したため作品数が限られているので数冊読んだだけで気がつくと主要作品はあらかた読んでいた。
 それになんか当時の僕には妙に心に引っ掛かるものが多かった。独歩は自然主義派の作家と目されており、市井のありのままの姿を描こうとしたなんて言われているけども、改めて見ると彼の作品は小説と随筆の切り分けが曖昧で、一応小説の体をとっていても内容的には実質随筆めいたものが多い。「忘れえぬ人々」なんて、単に今まで印象に残った人のことを、ある登場人物の口を借りて書き連ねたにすぎない。すぎない、のだが――なんでこんなにぐさっと突き刺さるものがあるんだろう。特にラスト1行の破壊力はすごい。独歩の作品は短い中にも言葉の選び方が繊細で、なにげない一言の中にすさまじい意味合いを封じ込めることができた人なのだと思う。やはり優れた文学者だ。

 話がそれてしまったが、「号外」も独歩らしい、小説と随筆の中間にあるような作品だった。なにせ銀座のホール(神谷バーみたいなもんか?)に集まった酔っ払いどもがくだ巻いている会話をただ書き取っただけのような体裁なのだ。
 一応中心人物となるのは加藤男爵、通称「加と男」。この男が「つまらない」と嘆くのだ。しかも「戦争(いくさ)がないと生きている張り合いがない」と恐ろしい事を言う。なんとか戦争がまた起きないかと物騒な世迷言を繰り返すのだ。
 いったいどんな好戦家なのかと思いきや、読み進めていくと本人は戦場にに行くだなんてとんでもない、という人間だった。彼は一応高等遊民の類らしく、特になにをするでもないがとりあえずは食っていけるうらやましい立場らしい。逆に言うと何かをして生き甲斐を感じるという事がなく、生まれて初めて生き甲斐を感じてしまったのが――困ったことに「号外を読む」ということだったのだ。
 時代は日露戦争集結間もない頃。戦争中、たびたび戦争の状況を伝える号外が日本を舞い、「加と男」はそれを読むことによってそれまで感じたことがない興奮を覚える。次第に号外の魔力に取りつかれていくが、やがて終戦を迎え――日本の勝利を最後に号外もぱったりとやんでしまった。「加と男」は号外の急激な渇望を感じ、前述のとんでもない発言につながっているのだ。

 「号外」を初めて読んだのは高校生の頃だったが、正直最初は「なんじゃこりゃ」と思った。だがやはりどこか心に引っ掛かっていたのだろう、時折ふと思い出すことがあり、そして次第に恐ろしくなっていった。「加と男」の悲劇――それは号外と言う、他者から与えられた物にしか喜びを見いだせなかったことにあるのではないだろうか。その生まれのせいで自ら進んで何かをするということなく育ち、徹底して受け身になり、喜びすら外から受け取る事しかできなかった男の悲劇では、と。
 「加と男」の場合はたまたま号外だったが、振り返ると今の世にも似たような状況の人はたくさんいることに気づく。そう、"おたく"との類似性だ。対象は号外でもマンガでもゲームでも、はてまた音楽でも文学でもなんでもいい。ただ他者が創造した「作品」を享受することにのみ喜びを感じてそれ以外への感性が鈍ってしまった人たち、対象とした作品が完結してしまっただけで「○○ロスだ」とまるで世の中が終わってしまったかのように嘆く人たち、それこそが"おたく"の本質ではなかろうか。

 もっと興味を外に向けろ、と言うのは簡単だ。だが僕自身そうした要素が自分の中にあるのを自覚しているので、それが本当は簡単ではないことを知っている。ただそうした自分の中の"おたく"的要素を認識することによってこそ、初めてそれから抜け出す道を探し出せるのではないかと思う。
 「号外」の最後の一文、国木田独歩はこう締めくくった。
「そこで自分は戦争(いくさ)でなく、ほかに何か、戦争(いくさ)の時のような心持ちにみんながなって暮らす方法はないものかしらんと考えた。考えながら歩いた。」

 100年以上も前にその"おたく"の本質を見出した国木田独歩に敬意を表して、僕は"おたく"の事を「号外」症候群と名付けたい。

モンキー パンチ氏を悼む

 びっくりした。
 モンキー パンチ氏の訃報を聞いて最初にしたリアクションがこれだった。もちろん既にかなりの高齢であり、最近は作品を発表することもめっきりなくなっていた事は認識していたのですが、たまたま現在「週刊漫画アクション」創刊期を描いたドキュメンタリーマンガ「ルーザーズ」(吉本浩二作)が連載中であり、その中でまさにデビュー当時のモンキー氏が生き生きと活写され、さらにその単行本第1巻巻末には当時を語るご本人のインタビュー記事が掲載されていたものだから、まだお元気だと思っておりました。

 モンキー氏と言えば、なんといっても「ルパン三世」でしょう。まだ小学生の頃、夕方に再放送されていた「ルパン三世」(確か当時しつこいぐらい繰り返し放映されていた)を初めて観た時の衝撃が今でも忘れられない。ちなみに僕が見たのは1stシリーズ、所謂"緑ジャケ"ルパンだけども、それまで観たどのアニメとも一線を画する画期的なものだった。いったい何が違うかというと"空気感"だったと思う。その独特のヒリヒリと肌を刺すような雰囲気、今なら「クール」とか「スタイリッシュ」とかいろんな言葉を当て嵌められるが当時はそんなこと思いつきゃしない。ただひたすら「なんかしらんけどめちゃくちゃかっこいい」。後半になると(低視聴率に伴う路線変更だと後から知った)コミカルなシーンも増えてくるけど、そういうのもひっくるめてすべてに魅了された。
 この出会いがなければ、今に至るまで「ルパン三世」と言えば嫌でも追っかけてしまう自分は存在しなかったと思う。それほどまでに、骨の髄まで惚れ込んでしまったのだ。

 こういった風にアニメ「ルパン三世」に関してならいくらでも書き連ねていけそうだけども、ここではあえてそうしない。その存在が大きすぎ、モンキー氏を振り返るのに却ってその目を曇らせてしまいそうだからだ。

 そんな魅了された作品ならば「原作を読んでみたい」と思わない訳がない。ところが実際に原作「ルパン三世」に触れたのはずっと後、確か中学に上がってからだった。なにせアニメのエンディング(有名な「不二子がバイクでひたすら疾走する」やつ)の中で「週刊漫画アクション連載」と書かれたのを見て「アクション?何それ?」と当時マガジンやサンデーしか知らない身にとってはそれがいったい何なのか見当もつかなかったぐらいだから。

 ようやく原作に触れたのは新しいアニメシリーズ(所謂"赤ジャケ"ルパン)が放映開始された後で、アニメ新シリーズがかなり雰囲気が違うのでとまどいつつ、ようやく単行本を目にする機会があり「じゃあ原作はどうなんだろう」という感じだった。
 けど原作を読んだ印象はというと、正直とまどいしかなかった。どちらかというとアニメ第1期のヒリヒリとした肌触りはあったが、どこかそっけないというか読む者を寄せ付けないものがあった。設定もアニメとは違い、特に峰不二子が特定キャラクターでないのが一番とまどった。

 その後も氏の作品は機会あるごとに単行本を見つけては長年買い集めてきた。その数はタイトルで10を超えるが、独特の魅力は感じつつも、正直「これぞ!」というものは見当たらない。なんというかあえてキャラクターの内面に踏み込まず、読む者の感情移入を拒否するような作風なのだ。代わりに長年追求してきたのは外面的なカッコよさ、そしてひんやりとしたカミソリのようなセンス。だがそれ故に作品が表面的にも見えてしまうリスクを常に背負っていた。
 前述の 「ルーザーズ」を読んでいると、モンキー パンチの登場がいかに当時の日本マンガ界に衝撃を与えたかが伝わってくる。こんなマンガを描く人が、いや、こんなマンガが存在できること自体誰も思いもよらなかったのだろう。センチメンタルを一切拒否してひたすら己の持つセンスだけで勝負しようとするマンガ家の出現、その新しいパワーが日本初の青年マンガ誌「アクション」を生み出す引き金になったことが伝わってくる。

 しかしこの時連載した「ルパン三世」そのものが、マンガ界を越えて現在のように誰もが知る作品になり得たかというと、正直首をかしげざるを得ない。内面に踏み込まない(故に「ルーザーズ」内でモンキー作品で出てくる「文学を感じた」という科白にはどうしても違和感を覚えてしまう)その作風は、斬新さを感じつつも一方で共感を得にくいので、広く長く親しまれるには限界がありそうなのだ。
 だがこうした原作の衝撃が失われないうちに最初のアニメ化がされた。幸いなことに大隅・大塚・宮崎ら当時の俊英が次々関わったこのアニメによって、原作ではあえて描くことを拒否していたようなキャラクターの内命にまで踏み込んで描写され、このことによって5人の主要キャラクターがここで確立されたのだ。
 原作者のモンキー氏にとってはこれは意に染まぬことだったかもしれない。しかし氏は「アニメはアニメ」と割り切って一切口を出さず、アニメスタッフの好きに任せた。第1期のアニメは時代を先走り過ぎて本放送時は低視聴率に悩み、途中で演出者交代・路線変更を強いられるものの結局は打ち切りの憂き目にあった。しかし再放送を繰り返すうちにどんどん人気が上がって行き世間への認知度はアップ、それを受けて制作された第2期は放映開始時から大ヒットを記録――。それからのことはもう言うまでもない。
 第2期のアニメは第1期ともまた明らかに違うもので、最初にあったあのヒリヒリとした空気感は消え去りカラッとしすぎたきらいがあり、僕にはそこが不満だったがこれはこれで楽しい作品になっている事は確かだった。そしてモンキー氏はここでも何も言わず好きにさせた。

 その後もアニメは断続的に制作され、平成に入ってからも年1回のスペシャルとして定期的に制作、その間も映画化やOVA、ゲーム、パチンコ、そして近年になってスピンオフ作品や再び連続TVアニメ化、さらにアクション誌上においてShusay・山上正月・深山雪男等様々な若手マンガ家による新たなマンガシリーズが制作、その他小説版や実写映画も作られつつ、連載開始から50年もの年月を駆け抜けた。これらの作品は各々のスタッフの手によってそれぞれかなり自由な特色を持っており、まさに百花繚乱、作品の数だけルパンがあるような感じなのだ。
 これだけ好き放題されながら、原作者のモンキー氏はそれでも何も言わなかった。本当に「好きに任せた」のだ。

 いや正直な所内心はどうだったのかは計り知れない。その後「DEAD OR ALIVE」ではモンキー氏自身が監督として初めてアニメの制作に携わったのだが、自分が原作者でありながら、スタッフから「いや、ルパンはそんなことをしない」と突っ込まれたというエピソードが残っている。この時点でもう、それだけ原作者の抱くルパン像と他の人のそれが大きく乖離していたのだ。
 結局それが最初で最後となり、以後は一切アニメとは関わらず、相変わらず沈黙を守って生涯を終えた。もはやその本心を訊くことはできなくなった。
 この徹底ぶりはすさまじい程だ。しかしその結果、ルパン三世は世代を超えた国民的作品となって今も続いている。モンキー氏が原作者としてのこだわりを見せていたら、おそらくこうはならなかったろう。

 はたして原作者モンキー氏の一番の功績は…と考えると、結局のところ「ルパン三世という作品のフォーマットを作った事」そして「それを他人が制作することに対して一切口出ししなかったこと」に尽きるのだろう。確かに「ルパン三世」と言う作品をを生み出したのはモンキー氏自身だ。しかし氏は自分が生み出した「ルパン三世」というソフトウェアを、言わば改変可能なシェアウェアとして開放したのだ。その結果、脚本家が、アニメーターが、マンガ家が、ゲーム製作者が、各々「ルパン三世」というフォーマットを使って自在に新しい作品を作る事が可能になり、その結果、ルパン作品は今もなお増殖を続けている。
 もちろんこれによってルパン像は時にはブレを起こすことは避けられないし、作品の質自体玉石混交になっている事は否めない。しかし一方でだからこそ各時代時代に対応してフレキシブルに対応することが可能になり、新しい才能の受け皿となって新たな魅力を生み出すことが可能となった。結果、おそらくモンキー氏ひとりでは絶対に不可能だったほどの作品の広がりと長命が実現できたのだ。
 原作者の死後もその作品がアニメ等で作られ続けている作品としては他に「サザエさん」「ドラえもん」「クレヨンしんちゃん」などがあるが、それらは皆言わば専属の後継スタッフが、作品が独り歩きしないよう作品世界をチェックしながら継続させている。「ルパン三世」はフォーマットを踏襲する限りほぼ無制限に容認されることによって、これらの作品とは桁違いな規模での作品の再生産が今も続けられているのだ。
 もちろんこれは作品世界がいつ崩壊するかわからないリスクを抱えているし、それなりのチェック機能も存在していると思うが、やはり一番の根底として「ルパン三世」というフォーマットがいかに様々な展開を呑みこんでしまう器の大きさを持っていたか、ということに尽きるだろう。下手に脆弱なフォーマットだったらこんなことをした瞬く間に原形をとどめずに滅茶苦茶になってしまったに違いない。そこに「ルパン三世」という作品の真の偉大さがある。

 

 繰り返すが、モンキー パンチの最大の功績、それは作品としての「ルパン三世」というよりも、そのフォーマットを作り出し、そのフォーマットを解放したことに他ならない。他にちょっと例がないほどの無鉄砲さ(それは自分の作家性をも否定しかねない)ではあるが、彼の死を迎えた今になると、その度量の、そして人間の大きさには敬服するしかない。これによって「ルパン三世」はおそらくは平成が終わって令和を迎えた後も長く命を保ち続けるだろう。
 改めて、氏の業績に敬意を示し、その死を悼みたいと思う。