新垣 隆の新作交響曲「連祷」を聴いて

 あの"新垣 隆"が新作を、それも交響曲を発表し、しかもそれがDECCAからCDが発売されると聞けばさすがに気になってしまい、どんな曲だろうと思わず買ってしまった。

 新垣 隆という作曲家、まぁ僕も他の人と同様、一昨年の一連のゴーストライター騒ぎの際に初めてその名を知った。佐村河内 守という稀代の詐欺師と共に、もう一方の当事者としてマスコミの矢面に立たされたが、世間の印象は佐村河内とは逆だった。どちらかというとその才能を食いつぶされた被害者とみなされ、全体的に同情が集まった。
 結局その後の活動は対照的だった。引き籠ってマスコミから逃げまくった佐村河内と違い、新垣氏は作曲家として注目されるだけでなく、乞われれば気軽にTVにも出演した。しかも時が経るに従って「こんなのに出る事ないのに」と誰もが思う音楽と関係ないヴァラエティ番組にまで引っ張り出され、時にはコントの片棒まで担がされたのだから。しかしどんな時もそのまったく慣れてない様子のまま、困惑した態度でたどたどしげにこなす様子が却って好印象を与えた。
 どうやら新垣氏は「頼まれると断れない」性格らしい。ゴーストライターもこの性格が災いしたというし、ところ構わぬTV出演も同じ理由でいいようにいじられてしまったような気がする。それに案外サーヴィス精神も旺盛なのかもしれない。
 TV等の露出のおかげでその顔や人となりは知られるようになったが、はたして肝心の「作曲家:新垣 隆」とはどうなのか、そこのところが置き去りにされてしまっていた。

 もちろん交響曲「HIROSHIMA」を始めとする一連の佐村河内作品が事実上すべて新垣氏が書いた音符から成っている事は明らかになっている。でもはたしてこれがどこまで彼の実力とみなしていいのか、正直判断が難しいと思う。
 交響曲「HIROSHIMA」だけは僕も事件発覚前、ちょうどブームになった時にCDを買って聴いてみた。ある時タワレコ行ってみたらいきなりCD平積みで1コーナーできていたんでびっくりしたのを憶えている。ポピュラーならともかくクラシック畑でこういう未知の作曲家の作品がこんな大プッシュされるなんて異例の事だったので、「なんだぁ!?」と思ったのが第一印象だった。

 間もなくTVを始めとするマスコミでも佐村河内が取り上げられる機会が増え始め、いやでもその情報が耳に入ってくるようになっていった。彼が全聾であり、その他にもいろいろな病と闘いながらも苦労して作曲を続け、そうして作られた作品が近年、特に東日本大震災の被災地で大いなる感動を呼んで迎えられていると――。NHKでもドキュメンタリーが放映され、彼のより詳しい情報や作品の一部も流された。その後民放でも「金スマ」で取り上げられたりして、僕はそのどちらも観た。
 番組中、あまりにできすぎたような話に正直胡散臭さも感じたし、全聾と言いながら出演した氏が違和感なく喋るのも不思議だった。(成人してから聴覚を失った場合、喋る感覚は残っているからこういう風に自然に喋れるのかなぁ、なんて考えながら見ていた)
 被災者の声というのもなんだか所謂"ステマ"の臭いが感じられたものの、身障者や被災者が頑張っているのを根拠もなく色眼鏡をかけて見るのもどうか、との思いもあり、全てを呑み込むことにした。なにはともあれ問題は音楽としてどうかだ、ととりあえず話題の交響曲第1番「HIROSHIMA」のCDを買ってみたのだ。

 実際のところ正直感心できるものではなかった。21世紀の現代にあえてロマン派風の大交響曲を書いてみようというその心意気は買える。演奏時間全80分にもなりなんとする規模はまるでマーラーを思い起こさせるが、その楽想はなんだか迫真性に欠け、聴いていても迫ってくるものがない。なによりも気になったのはその部分部分が妙にくっきりとブロックごとに区分けされているようで、そのひとつひとつのつながりに音楽的な必然性が感じられないことだった。そのため長大でありながら構成的に散漫な印象を与え、80分間、聴きとおすのが正直かなり苦痛だった。終わる数分前、TVでよく取り上げられていた旋律がようやく出て来た時には(ああ、やっと…)と正直ほっとしたものだ。
 要は企画倒れで内容が伴っていない失敗作。そう思ってこれ以外に佐村河内作品を聴こうという気は起きなかったので放っといたのだが、でも音楽の評価は多分に好みが左右するものだし、この曲に感動している人も多いようなのでそれはそれとして、少なくとも自分にとっては特に必要のないものだと割り切って考えるようになった。

 そこに例のゴーストライター騒ぎが起き、程なくあの「指示書」なるものが明らかになって、なんかあの曲の構成の理由が腑に落ちた。結局音楽の素人が、音楽以外のあれやこれやの概念をふりかざして勝手にでっちあげたプログラムに無理矢理音楽を嵌め込まれて作り上げられてしまったのがあの交響曲の正体なのだろう。そういう意味で、その音楽を書いたのが新垣氏であることは間違いなくとも、かなり強制されて捻じ曲げられていることは十分考えられる。

 はたして新垣氏が自発的にオリジナルの作品を書いた時、どういうものになるのか、その時初めて氏の作曲家としての評価ができるのだろうと思っていた。Wikipediaからの孫引きではあるが、「佐村河内の依頼は現代音楽ではなく、調性音楽でしたから、私の仕事の本流ではありません」と発言しており、彼の普段書いている作品と佐村河内作品とは意図的に傾向を異にしている事が想像された。
 そこに今回のCD発売である。やはり不本意とはいえこれだけ騒ぎを起こしてしまった新垣 隆という人がどのような作曲家であるのか、興味を持たずにはいられなかった。

 まずは交響曲「連祷」-Litany-を聴き始めてまず驚いたのは、この曲が明らかに調性を持った音楽だったことだ。前述の発言からして、おそらくはもっと前衛的な、無調音楽になっているものと勝手に思い込んでいたのだが、全体的にかなり叙情的ではっきり聴き取れるメロディライン(その旋律線は「HIROSHIMA」のものとどこか似ていた)がいくつもあり、全体的に非常に聴きやすい。
 正直その点に戸惑った。ひょっとして新垣 隆としての再出発とみなされる作品でありながら、聴く人はやはり佐村河内作品のようなものが求められていると推測して、やはりその線に沿ったものを書いてしまったのではないか、と勘繰ってしまう。ただ、ここには「HIROSHIMA」のような不自然なブロック構造は影を潜め、自発的に音楽が発展していくような必然性がみてとれた。もっとも構造はソナタ形式のような分かりやすいものがあるわけでなく、なかなかその全体像を今もまだ読み取れないのだが、少なくとも指示書のようなものはなさそうなことだけは推測できた。ただ――非常によく書けているのだが、「HIROSHIMA」の時も感じた迫真性の欠如、どこか作り物めいた印象はここでも感じられた。

 このCDには交響曲の他に、ピアノ協奏曲「新生」、そして「流るる翠碧(すいへき)」と題されたオーケストラ小品の計3曲が収録されている。いずれも例の騒動後に発表された最近作のようだ(もっとも構想自体はもっと前からなされていたかもしれないので「騒動後に作曲」と言えるのかどうかは定かではないが)が、ピアノ協奏曲を聴くと耳に心地よい響きはより一層鮮明になる。作曲者自身によるピアノ演奏は実に堂々たるもので彼の腕前が単なる"作曲家のピアノ"の域にとどまってない事が分かる。そのピアノの使い方は非常にオーソドックスで、それ故に実に簡潔かつ明快でついつい聴き入ってしまう。正直3曲の中で一番気に入った。最後の小品はちょっとタケミツっぽい響きがするけども、正確に言えば"映画音楽の武満徹"を思い起こさせる流麗で情感のあるメロディで聴かせる佳品といえそうだ。

 いずれも「現代音楽作曲家 新垣 隆」の面影はなく、言ってみればあの事件が今も発覚せず「佐村河内 守の新作」として発表されればおそらく皆そう受け取ってしまうだろう、という音楽だった。新垣氏がゴーストライターとして活動しているうちにそういった音楽の書き方も習得したことは間違いないだろうが、今になってなおそうした路線で新作を書き続ける意味はどこにあるのだろう…。

 CDが売れなくなりクラシックの新録音がほとんどなされない現状の中、まだあまり実績のない作曲家がいきなりDECCAなんてメジャーレーベルから新譜を出すのは異例の事で、彼があの事件のおかげでいかに注目されているかが分かる。でも晴れて自分の名前で作品を発表できる状態にありながら、それでもあえて佐村河内路線で曲を書いたのはなぜなのだろう。もちろんその方が"売れる"のは確かだろうし、佐村河内作品のファンだった人にとってはおそらく待望の1枚となっているのは間違いないだろう。

 でも新垣さん、本当にそれでいいのか?

忘れられた危険

 今日ふと気になった事がある。近頃は覚醒剤大麻、危険ドラッグなどのニュースが横行しすぎて、「シンナー中毒」というものをめっきり耳にしなくなってるな、と。
 自分が学生の頃といったら、"麻薬"なんてものはせいぜいTVの刑事もので出てくるぐらいで、身近にあるこの手の危険物といってまず真っ先に上がるのがシンナーだったものだが…。"アンパン"なる隠語のもと、吸うと「脳が溶ける」とか強烈な脅し文句でその危険性がアピールされていた。

 まぁ、それ自体普通にホームセンター等で買えるものであり、所持してたって違法でもなんでもないものだから上記のような本物の違法薬物の前では影が薄くなったってしょうがない。しかし、シンナーの危険性自体は昔も今も変わっていないはずだ。
 おそらく今の学生にはスネークマンショーの「シンナーに気をつけろ!」を聞かせてもまったく意味が通じないだろう。しかしだからこそ、その危険性を知らずにいつのまにかどっぷり浸かっているなんてことがないだろうか――。

 その危険性を知らないからといってなくなった訳ではない。知らないからこそ却って危険なものに触れた時に障壁なく飛び込んでしまう新たな危険を孕んでいるのだと思う。

イアン結び

 ウォーキングを日常的にしている身としては、その最中で靴紐がほどけてしまうのは非常に気にかかることだ。ほっとくとほどけた紐が歩く度にぶらんぶらんして気持ち悪いしかつ危険。中断して靴紐を結び直すことになるのだが、なんだろう、急いで結ぶのが悪いのだろうか、こう言う時に限ってほどけるのが癖になってしまい、少し歩くとまたすぐにほどけて再び結び直す、という事を繰り返す羽目に陥ることが時々ある。

 常々なんか紐がほどけないようにするいい手がないもののか(例えば結び目に嵌めてほどけないよう留めておくストッパーのような器具とか)と思っていた所にある朗報が。少し前にTVを観ていたら「ほどけない靴ひもの結び方」なるものが紹介されていたのだ。その時も「ん?」と注目したのだが、なんだかその結び方が妙にささっと映し出されるだけでよく分からないうちにそのコーナーが終わってしまい、結局何もつかめないまま終わってしまった。

 かつてならそのまんま「あれはなんだったんだろう」で終わってしまったんだろうが、ネット社会のありがたい所は後から「なんだったのか」を容易に調べられること。しばらくしてどうしても気になったのでその番組ホームページに行って過去の番組内容を遡ってチェックし、その結び方がどうやら「イアン結び」なるものだということをつきとめた。

 そうと分かったら次は「イアン結び」で検索してみると――次々といろんなページがヒットした。結び方手順を図解したものやら結び方の動画やら…。よし、ひとつこれやってみよう、とやる気を出した、のだが…。
 それからがちょっと難渋した。複数のページでどうやら6ステップに分解した同じ図解が載っていて、どうやらそれが一般的な手順と思われたのだが、これまた途中でよく分からなくなってしまう。ステップ1は蝶結びと同じでステップ2で左右それぞれで巻き方の逆にして輪っかを2つ作る、そこまではいい。問題なのはステップ3以降、なにやらその輪っかをくぐらせて引っ張って――って感じなのだがそのやりかたがよく分からない。自分の手先の不器用さを改めて痛感させられる。こうかな?とやってみて引っ張っても結び目はできずただ左右に紐が拡がるだけ…。
 考えてみると、結び方を覚えるなんて小学生の頃の蝶結び以来だ。あの時、とりあえず最初に単純なこま結びを覚えて(あれは「交差させて引っ張る」を2回繰り返すだけだから楽だった)、次に蝶結びを覚えるよう母親に言われたのだが――その時もどうやっていいかなかなかつかめずにイライラしたっけ…今ではほとんど無意識にやっている蝶結びも最初はそうだったな、と数十年ぶりの感覚を新鮮に感じたが、それもつかの間、分からないことに次第に痺れを切らし、動画ならわかるんじゃないかと次はそちらを見てみた。

 けど――こちらはこちらで、こっちが知りたいステップ3以降がささっと進んであっという間に結び目ができてしまう。肝心なところが…。動画の数は相当数あるのに、どれもこれも魔法のようにあっという間に結び目ができあがるのだ。ゆっくりやってみた、と謳っている動画でもこちらには速すぎて、だんだん「喧嘩売ってるのかい」と言いたくなってくる。そこ、そこをひとつスーパースローでやってくれる動画はないのかぁ…なんてぼやきながら手当たり次第に見ていくうちに、ようやくひとつ、イアン結びの結び方を繰り返し繰り返し延々と5分間にわたって映しだしている動画を見つけた。言語は英語だけども結び方を見る分には問題ないし、この動画は、最初はすばやく、回を繰り返すごとにどんどんゆっくり、ひとつひとつの動作を分解コマ送りするかのようにじっくりと何度も見せてくれていた。これを見ながら自分も手元で紐をいじくるうちに、ようやくそのやり方を理解することができた。

 それから数日、自分が紐を結ぶときは意識的にイアン結びをするようにしてきた。最初のうち、朝方出かけしなに靴紐を結ぼうとすると焦ってやり方が分からなくなってやむなく蝶結びをすることもあったが、次第に手順が身についてきて確実に結べるようになっていった。
 そして慣れて来るにしたがって、多くの動画がどうしてあんなに3ステップ以降を素早くやっているのかも察することができてきた。要は3~6ステップは実際の所連続した一連の動作、というか結局これをまとめて1ステップな動きであって、その途中でぶった切って分解しようとすると却って紐が緩んでうまく結べなくなってしまうのだ。実は…慣れてくるとイアン結びは蝶結びよりもシンプルだ。蝶結びだと1回支点となる結び目を作ってその上でさらにぐるりとひと巻きするような所があるが、イアン結びは支点を作らずいきなり最後の結び目を作ってしまう。「慣れれば速い」と言われるのはこのプロセスの短さにもよるのだろう。。

 さて、肝心の「ほどけない」という点はどうか、というと――まだ始めて数日なので判断するには早すぎるとは思うが、今までで1度、満員電車の中で紐の端を踏まれてほどけた事があっただけで、歩いている最中に自然にほどけた事は今のところない。なので当初の目標は一応達成されたような気がするのだが、さらにもうひとつ別に気づいたことがある。
 それは結んだ時の感触だ。イアン結びで靴紐を結ぶと、蝶結びの時のように結び目がきゅっと締まる感じがない。最初のうちは慣れてないからきちんと結べず最初からゆるくなったのかと思ったが、場数を踏んで慣れてきて、かなりきつく縛った感じでも、靴全体が紐で包まれたようにふわっとした感触なのだ。これは先に書いた「1回支点となる部分なく」縛れてしまうという特徴に関係しているようだ。蝶結びだとその支点の部分で押さえつけるようになるので、きつく結ぶと靴の上から縦に押さえつけるような力が働く。ところがイアン結びはそのような支点を作らず、唯一の結び目は左右に引っ張られる力を持つので結ぶ力は左右に流れる。結果として靴紐で上から押さえつけられるようなことはなく、靴全体で包み込むように力が働くのだ。
 私見だが、これは「ほどけにくい」イアン結びの特徴にもつながるのではないだろうか? 蝶結びの上から押さえつけるような力は、逆に言えば紐の結び目をゆるめ、ほどく方向にも働く。イアン結びではその力が働くことがなく、結び目が崩れる要素がその分少なくなるのだ。
 だからイアン結びでは固く結びすぎて締めつけで靴が痛くなるようなこともない。一方きゅっと靴が引き締まったような感触がほしい人には物足りないかもしれないが、全体的に無理な力が入らずに足を包み込むような感じでいける結び方のような気がする。

 イアン結び、「早く結べ」「ほどけにくく」「紐で足を締め付けられるようなこともない」いくつもの利点を持っている結び方のように思える。これからもしばらく使っていこうと今考えている。

 天才"傍流"マンガ家の限界~岡崎二郎「ビフォー60」

 岡崎二郎の名前は一般にはどれだけ知られているだろうか?
 一部コアなファンからは「マンガ界の星新一」「藤子・F・不二雄の正統な後継者」と称されるまでに高い評価を維持し続けているのだが、おそらくその名を聞いて「ああ、あの…」と分かる人は相当マニアックなマンガ読みに限られていると思われる。

 その理由の一つは彼が"SF短編の名手"であること自体にあるのだろう。僕などは手塚治虫以来SFマンガはマンガの本道だと思いこんでしまっているのだが、どうも一般的にはSFマンガはあまり人気がないらしい。その上マンガというメディアでは単行本が何巻何十巻と続くような長編やシリーズものの方が注目される傾向にあり、短編はどんなに上質なものであってもどうしても埋もれてしまいがちになる(「ねじ式」や「11人いる!」のようなごく一握りの例外はあるが)。藤子・F・不二雄にしても、その知名度は「ドラえもん」を始めとする数多くの国民的ヒット作によるものであり、むしろ彼の本領と言うべきSF(すこし・ふしぎ)短編は一部好事家にしか読まれていないのが正直なところだ。このように岡崎二郎の作品はそのジャンルからしてどうしても陽のあたりにくい、言わばマンガの"傍流"に位置せざるを得ない不利な位置に追いやられがちだった。

 一方岡崎二郎が藤子Fの後継者と言われるのもよく分かる。彼の絵は今時珍しい、藤子不二雄を髣髴とさせるシンプルな太い主線で描かれたもので、その大半はよく練りこまれたアイディアを適度にひねったストーリーで簡潔に描き出したものだ。初期の代表作「アフター0」はそうした単独に書かれた読み切り短編の集合体であり、統一したテーマやストーリーはない。(一部同じ登場人物によるシリーズ化されたものも含まれてはいたが) にしてもこれらの短編集は今読み返してもアイディアが豊富で、短いながらも展開に切れがあり、その並外れた才能には感嘆するしかない。しかもその絵のおかげでかなり殺伐とした話でもどこか愛嬌があってユーモアも忘れず、不思議と読後感がさわやかだ。この魅力を知った人が、一人でも多くの人にこの素晴らしさを知ってほしい、と声高に叫びたくなるのも頷ける素晴らしい作品群なのだ。

 その後も「大平面の小さな罪」「国立博物館物語」といったSF長編シリーズや、「NEKO2」「ファミリーペットSUNちゃん!」といった(すこし・ふしぎな)ファミリーものなどどれも味わい深い作品を発表する。どれもそれぞれ違った魅力にあふれた作品群で、そのはずれのないレヴェルの高さには驚嘆に値する。間違いなく現役のマンガ家の中で最も才能あふれる一人と言っても過言ではないだろう。
 なのに――それでいて世間の耳目を集めるようなヒット作には恵まれず、ここ数年はあまりその作品を目にする機会が減ってきていた。


 しかし最近、復刊ドットコムにおいて久しぶりの短編集が刊行された。読者からのアンケートを募り、その結果を基に魅力的ながらも埋もれがちな作品を掘り起こし続けている復刊ドットコムの業績は非常に大きいと思う(その性質上値段がかなり割高なのはしかたのないことか…)けど、実は今回の単行本は復刻ではない。全作品単行本初収録なのだ。しかし収録作品は「国立博物館物語」「NEKO2」「ファミリーペットSUNちゃん!」…。つまりは雑誌発表しながら既存の単行本では今まで収録されていなかったエピソードを集めて1冊にしたものなのだ。これも価値ある復刻の形だろう。
 こんなにも未収録作品があったことにも驚くが、今回それぞれに作者が「なぜ収録されなかったのか」コメントも寄せているのも非常に興味深い。
 さすが岡崎二郎、そんなのでも決して落穂拾いとは思わせないだけの内容を持った作品群だったが、ある作品に関する作者コメントを見て、思わず手が止まった――。

 
「時の添乗員」――先ほどあえて触れなかったが、岡崎作品の中でも特に感慨深く読んだ1冊だった。これを読んだ時、「新境地だ!」と感激したことをはっきり憶えている。しかも表紙に第1巻とあることから、続く第2巻が出ることをいかに首を長くして待ち望んだことも…。
 この作品は、過去のある時に強い心残りやわだかまりがある人を見込んで、その"時"にその人を連れて時を旅するひとりの添乗員を狂言回しに、毎回その"時"に立ち会った人がその時の本当の姿を改めて目にすることによってさまざまな思いを呼び起こす連作シリーズだった。明らかにそれまで読んだどの岡崎作品とも読後感を異にして、どのエピソードも鼻につんとくるようなさわやかな感動を味わえた。第1巻に収録された8作品、どれも強く心に残り、その後も何度となく読み返したほどだ。
 今回の「ビフォー60」にもこの「時の添乗員」が1篇収録されている。第2巻に収録されるはずだった作品か…いったいどんな理由で中断してしまったんだろう――なんて思いながらそのコメントを読みだすと、そこにあったのはそれまでとは打って変わって、作者の厳しい言葉だった。
 「最も編集サイドにすり寄った作品」
 「終わってホッとした」
 「ラストのコマに挿入されたフレーズも作者個人では絶対にやらない演出」
  (毎回最後に書かれたモノローグは編集が勝手に書いていた、という示唆か?)
 さらには単行本発売時につけられた帯には推薦文を書いてもらった松本零士の名前が(作者の名よりもはるかに)大きく書かれていたことにも触れ、強く傷つけられたことも語っていた。(これは「自分の名前では売れないのか」という風にとったものと思われるが、こういうことはけっこうよくあることなんだけどね…) とにかく作者としては第1巻収録分ですべて終ったつもりであり、単行本発刊時に宣伝のために書き足された今回収録の1篇だけがずっと浮いていたらしい。おそらく編集サイドとしては時間をおいて第2巻も、と考えていたのだろうが――語られてはいないが、作者の方は、単行本に「第1巻」と書かれたのを見て逆に驚いたのではないだろうか。

 このように「時の添乗員」は作者にとっては非常に不本意な作品であることがここに明示されていたのだが、おそらく描くにあたって編集が内容にかなり踏み込んでいっていったため、作者にとっては"描かされた"意識が強いのだろう。確かに彼のように自己の作風がしっかり確立されている作家にこういうことをするのはかなりの冒険だろうが、どうだろう、"新境地"と受け取った僕などは、この路線を受け入れることによって彼の作風はさらに拡がりを見せたのではないだろうか、と思わずにはいられない。

 今回改めて「時の添乗員」第1巻を読み返してみたが、やはり明らかに他の作品とは方向性が違う。これらはおそらく編集サイドからの要請だと思うが、毎回決まったフォーマット・決まったフレーズがある。これは下手をするとマンネリを招きやすいが、うまくやると読者に安心感を与え、安定した面白さを約束してくれる。冒頭でその"時"に関する謎が提示され、時を遡ることによって眼前でその謎が解かれていく、という趣向も読む者の興味を切らさないし、またその意外な結末を知ることによってしばしば心を突き動かされる、そう"情"に訴える力があるのだ。
 こうして振りかえってみると、岡崎二郎の作品にしばしば感歎・感激したことはあったけども、感動したこと・心を突き動かされたことってそれまであっただろうか――。SF的なアイディアという点からすると、他の岡崎作品ほどの切れはないかもしれないが、でもこの作品にはそれを補って余るものが確かにあると思う。
 こうして考えると編集サイドが狙った意図がなんとなく見えてくる。岡崎二郎の作風を生かしつつも、そこに「ヒットの方程式」をあて嵌めようとしたのではないか? 固定フォーマットに固定フレーズ・謎の提示と謎解き・情に訴える意外な結末…。これならば連続TVドラマにしても面白いし、岡崎二郎の名を一気に押し広めるのに役立ったかもしれない。

 しかし作者はこうした働きかけがどうしても意に沿まわなかったらしい。フォーマットを固定することも情に訴えることも、もうそれなりにキャリアを積んできた彼にとっては余計なお世話に映ったのかもしれない。情に流れること自体が肌に合わなかったのかもしれない。

 結局その後も作風を変えることなくに実績を積み重ね、今年でデビュー30周年を迎えるという。それを記念する意味でも刊行された「ビフォー60」(このタイトルは作者が来年還暦を迎えるためつけられたというが、「アフター0」と対をなす意味もあるのだろう)はこの天才マンガ家を振りかえる意味でも非常に重要な位置を持つと思う。
 そしてこうして見ると「時の添乗員」は作者にとってターニングポイントにもなり得る作品だったのではないだろうか? 本人には不本意かもしれないが、あれは多くの人に感動を与えるパワーを秘めた作品だった。これをきっかけに岡崎二郎の名を大いに広め、マンガ界の"本流"に乗り出せたのではないか、と。しかし、作者はその未来を自ら拒否した――。

 「知・情・意」人間の精神活動の根本とも言われるこの3つだが、岡崎二郎はその作品から"情"の部分を拒否し、残り2つ、"知"と"意"だけで勝負しようとしているかのように見える。ここに岡崎二郎という天才作家の欠点、というか限界の一端が見えてきたような気がした。

漢字書き取りの効用

 数か月前から毎日漢字の書き取りを始めました。

 思い立ったその日になんか適当な問題がないかとネットで探して「毎日漢字」というページを見つけ、毎日15問づつ、内容的にも自分に適当そうなのでその日のうちにノートに書きだし始めました。そのノートももう3冊目になります。

 思い立った理由は単純。年々漢字が書けなくなっていくことを痛切に感じ、それがもう危機感を覚えるレヴェルに至ったからです。毎日毎日パソコンでキーボードを打つことに慣れ切ってしまい、気がつくと手で文字を書く機会はほとんどなく、たまに何か書く必要に迫られるともう簡単な漢字すら頭から湧いて出ず筆が止まることがしばしば。これはなんというか人としてやばくないかと不安に陥るほどになっていた。

 振り返ってみると初めてキーボード打ちを憶えたのは大学時代の事、ちょうどワープロが普及しだした頃で、打てた方がいいかなと「2週間で英文タイプが打てる」という謳い文句の所に通ってみたのが最初でした。本当に終わる頃には曲がりなりにもブラインドタッチができるようになっていて驚いたけども、その後まもなく我が家にもワープロがやってきて、そのまま頭が柔らかいうちに富士通親指シフトを習得。サークルの名簿作成とかに重宝されるようになった。

 卒業して就職する頃にはパソコン等を使うようになり、富士通ローカルの親指シフトから汎用的なローマ字入力に移行したけども、素地があったおかげでさして苦労することなく、いつしかキーボード打ちすることにまったくストレスを感じなくなっていった。

 以来20数年、文書作成等もすべてパソコンで行っているのでいつしか手書きで文字を書くことが激減し、前述のとおりの体たらく。漢字変換に頼り過ぎた結果、"読める"字は沢山あるのだが"書ける"字がほんと少なくなってしまっていた。これからの人生、これじゃやばいんじゃないかとひしひしと感じていたところに思いついたのが漢字の書き取りだった。今になってみると小学校時代に戻ったみたいで却って新鮮に思えたのも幸いした。

 このようにノートを取り始めてまず直面した問題。それは自分の手がもはやまともに文字すら書けなくなっていたという衝撃の事実だった。キーボードを打つのと文字を書くのとでは、指の筋肉も使う部位が違う。キーボードは基本的に単純な上下運動の繰り返しで済むが、文字を書くには縦横斜めといろんな方向にペンを走らす必要がある。キーボードに慣れ切った自分の指では、縦線はともかく横やら斜めやら、"はね"やら"はらい"やらいろんな細かい操作が必要なのに、そうした動きをつかさどる筋肉が思いっきりなまっていて、思うようにペンが進んでくれないのだ。結果書かれた字は"くずす"とかそんな段階では済まされぬ、自分でもほとんど判読不能なぐちゃぐちゃなものになってしまっていた。

 ここに至って自分の衰えを心底痛感した。これは本当にヤバい。今からちゃんと鍛え直しとかないと人生後半戦ほんとうにどうしようもなくなるぞ――と改めて決意を固めざるを得なかった。


 書き取りの手順はいたってシンプル。このページは前述のように毎日15問、短文で問題が出されてうち1単語がカタカナ表記+下線で問題として示されるのだが、僕はそれを短文ごとすべて書き出し、問題の所はもちろん漢字で書くようにした。どこにでも売ってるコクヨのB罫ノートに1行おきに書き出すとちょうど1日分が1ページになる。そして書く時はとにかく極力崩さず、ゆっくりでもいいから楷書で書くことを心がけた。元々字は下手なのでどんなに丁寧に書いても恰好のいい字にはならないけども、とにかく読み間違いがでないレヴェルは最低限確保して、毎日15問、こつこつと続けていった。
 とにかくこっちの方にペンを動かそうと頭では思ってるのに指がそっちの方にいってくれない、そんな情けないことに何度もぶち当たる。特に右から左へと流すように書くのが苦手でしばしば立ち止まってしまった。もう無理矢理でもいいからとにかくそちらの方に動かしてみて、変な方向に行ってしまうと消しゴムで消してもう一度トライ…。長年のツケを取り戻そうと地道な努力をしていった。

 ――それから数か月、なんとか指の方はだんだんと動くようになってきた。肝心の漢字の方は…。こちらの方も、最初の頃は分からないともう頭の中が真っ白になって何も思い浮かばなかったが、最近は少しづつではあるが、思いだそうとするとなんかぼやっと字のイメージが湧くことが多くなってきた。「確かこんな風な字だったよな…」となんとかその形をペンで再現しようと努め、ピタッと思いだせた時は単純に嬉しくなる。思い出しかけたんだけどもなにかパーツが揃わずどこか違う字になってしまった時や、悔しくてなんとか頭を絞り出すが結局思いだせなかった時はくやしいし、「よし、これだ」と自信満々に書いて、いざ答え合わせすると棒や点が1本足りなかったりして思わず天を仰いだり――。別に誰から評価をされる訳でなく、純粋に自分のためにやっているのでそういう場合でも容赦なく×にする。要は〇を採るのが目的ではなく、×を食らった字を洗い出し「僕はこの字が書けないのだ」と自覚させることによって向上することが目的だから、むしろ×を喰らった方が勉強になるのだ。

 そんなことを続けた結果――毎日新しい問題を解いている訳だから正解率としては大差ないけども、それでもだんだん、イメージを再現して書ける漢字が多くなってきたのを感じている。個人的な感覚ではあるが、漢字に対するシナプスが増えてきたように思えるのだ。思いだそうと懸命に脳内をフル回転させることが頭を活性化させる気がするし、数年前に流行った「アハ体験」を気軽に行える方法でもあるのだろう。
 指先を動かすことも脳の活性化につながるというし、しかも漢字は形が複雑でいろんな方向への指の刺激になる。二重の意味で頭の体操になり、かつ生活の上でも役に立つ、身近でかつ効果が見えやすい、と当初思ってた以上の有効性を今感じています。

哀悼 三好 銀

 来月発売されるマンガの新刊をチェックしていて"三好 銀"の名前を見つけ、「おお、久々に新刊が出るのか」と喜んだのもつかの間、「追悼作品集」の文字が目に入って硬直した。
 え…三好 銀って――亡くなったの?

 あわてて検索してみると、今年の8月末、膵臓がんで亡くなったという。享年61歳。早すぎる…。ここ数年、九重親方(元千代の富士)を始め膵臓がんで命を落とす方が妙に目につくが、ここにもまた早すぎる死を迎えざるを得なかった人が1人。個人的にはデビュー作で注目して以来長らく消息不明だったのだが、ここ数年になって新作をぽつりぽつりと発表して健在ぶりを示していただけに、残念でならない。


 「三好さんとこの日曜日」――平成も始めの頃に、スピリッツ本誌および増刊に時たま掲載されていた掌編マンガのタイトルだ。作者の名前は三好 銀。登場人物は作者と同じ名前の中年夫婦と「梅」と言う名の猫一匹。それから時おり近所の人が出る程度。タイトルの通り、日曜日のなにげない日常の出来事を切り取ったような、フィクションともエッセイマンガともつかない作品だった。
 絵柄は妙に薄っぺらで各人の表情も張り付いたように動きが無い。往年の「ガロ」でよく見たような雰囲気をかもしだしているが、作者のプロフィールとかは一切分からず、どのような経歴かは不明だった。

 そんななんとも言いがたいようなマンガに――僕はどうしようもないほど強く惹かれてしまった。

 僕はどうやら、「なにげない日常」の中に潜む「なにげなくない心の動き」を鮮やかに描き出していくような作品がどうしようもなく好きらしい。そのさりげない描写の中に描かれた日常のきらめきをその中に見つけて、幾度ハッとさせられたか分からない。こうなると作者に対する興味も湧いてきて、この人はどういう人なんだろう?――ずっと気になっているうちに、この作品が単行本として1冊にまとめられた事を知り、その単行本『三好さんとこの日曜日』を手に入れた読みふけった。
 僕が知った時にはもうこの作品が始まってもうしばらく経っていたらしく、単行本に収録されているものは未読のものばかりだった。これはこれでもちろん楽しめたのだが、やはり雑誌で読んで最初に強く心惹かれた作品もまた読みたい。僕はそれらが収録されるであろう第2集の発売を心待ちにしていた。

 ――だが、それっきりだった。

 間もなく新作が雑誌に掲載されることもなくなり、続きの単行本が出るなんて話もまったく聞かない。いや、作者:三好 銀の名前自体、かき消されるようにマンガ界からいなくなってしまっていた。
 自分の手許に残ったのは単行本1冊のみ。これすらなかったら、ひょっとしたらあれは夢だったのではないか?と自分を疑いたくなるほど見事な消えっぷりだった。

 それから10数年の歳月が流れた。その間まったく情報はなく、時おり『三好さんとこの日曜日』が古本屋に並んでるのを見て悲しくなる日々が続いた。その後、比較的方向性が似ている「神戸在住」(木村 紺)という素晴らしい作品に出会うことができ、そちらも深く愛読していながらも、逆に読み返すたびに「それにしても三好 銀はどうしているんだろうな」とついつい思ってしまうのが常だった。このようにインターネットが普及してからは、何度となくネットで「三好銀」を検索してみたりもしたが、ほとんど情報らしい情報はひっかからず、改めてその消えっぷりを思い知らされるだけだった。
 そう、この長い長い期間、三好 銀はまごうことなき「消えた漫画家」だった。


 ところが――2009年の末、いつものようにネットで次月の新刊情報をチェックしていたら「三好 銀」の名前がいきなり飛び込んできて、思わず目を疑った。本当か?同姓同名の別人じゃないのか? 本人だとしても本当に出るのか? あまりに長く待たされたおかげですっかり半信半疑のおももちで発売日を期待と不安半々で待った。
 そして発売を心待ちにして実際に本を手に取ると、間違いなくあの"三好 銀"が戻ってきた!という感慨で胸がいっぱいになった。
 この時はなんと2冊同時発売で、うち1冊は、僕がずっと熱望していた『三好さんとこの日曜日』の続編、そこには雑誌で読んだきりずっと読み返したかった諸短編が皆収録していた。まごうことなきあの世界が目から飛び込んでくる。初めて読むものですら「ああ、やっと読めた」と感慨に浸ってしんみりしてしまうももありました。
 子供のいない三好さん夫婦は、日曜日、仕事も休みで家にいることが多いし、出かけても近所ばかし。しかしそんな狭い行動範囲の中でも、落ち着いて視線をめぐるといろんなものに出会うし、いろんなことに気づく。そうした事を丹念に拾い、描いているのだが――なんでこんなに心に残るのだろう。なんというか――こういう言い方は口幅ったいが、作中に豊かな"詩"を感じるのだ。その当時ググってみたら、「ちゃんと出汁を取って作ったシンプルなお吸い物みたいな感じ」と評している人がいたが、言いえて妙だと思う。さりげなく、あっさりしているようでいて、ちゃんと味わうとなんとも奥が深い、日本のマンガ界の中でもこういう作風の人は稀で、ちゃんとした評価が定まって欲しいと思う。まぁ、ほんとうに地味すぎるほど地味な作品なので、間違っても大ヒットすることはないとは思うけど――。
 ブランク中何をしていたのかは結局よく分からないけども、復活の少し前からコミックビームに改めてマンガ家として復帰していたそうだ。この時発売された「海辺へ行く道」は実に不思議な作品世界を持っていた。絵柄は根っこの部分では同じながらも、やはり年月を経てかなり印象が変わってきている。内容も日常を淡々と描いているようでいて、その日常自体がどこかでぐにゃりと曲がってシュールな趣が出てきていた。一応連作で一つの街を舞台として登場人物もある程度連続性があるのだが、いったいどこまでつながっているのかが曖昧であり、どこかで現実のボタンを掛け違えて非現実に踏み入ってしまって、その非現実がいつしか現実めいた色合いを帯びていくような、読み進むにつれて多層的な迷宮に迷い込んだような感じがした。ひとつひとつのシーンを読み進むうちに心のどこかが引っかかって軋みを上げ、言葉はどこか虚空に浮かび上がって意味を失っていくうち、いつの間にか別の意味を持ってまた地上に降りてくるような――それは「三好さんとこの日曜日」で僕が求めていたものとは明らかに異質でありながら、また引きこまれずにはいられないような求心力を確かに持っていた。
 この「海辺へ行く道」は最終的に全3巻のシリーズとなり、三好 銀は長いブランクのうちにいったいどこに進んでいくのか分からない独自な作風を確立していた。

 その後も寡作ながらビームに新作を描き続け、次の「もう体脂肪率なんて知らない」でも変わらず、どこに進んでいくのか分からない、でもひとつひとつのシーンが心に引っ掛かってしょうがない世界を描き出していて、僕の中では「他に真似のできない作風を確立した唯一無二の大家」との評価が定まっていった。新刊が出るのはほんと数年に1度だが、あの長いブランクの時を思えばはるかに気が楽だった。そして次の新刊が出るのを心待ちにしていたのだ。

 ――そこにこの訃報である。
 もうこれを最後に、三好 銀の新刊を心待ちにすることができないのだと思うと心から残念だ。せめて来月24日に発売される遺稿集「私の好きな週末」を心行くまで味わいたいと思う。

レニングラードフィルとサンクトペテルブルクフィル

 先日NHKで放送されたテルミカーノフ/サンクトペテルブルクフィルの演奏するショスタコーヴィチ交響曲第7番「レニングラード」を聴いて、なんとも複雑な気持ちになった。

 僕がクラシックを聴きはじめた中学時代、レニングラードフィルとと言えば"泣く子も黙る"別格扱いの世界有数のオーケストラだった。名指揮者エフゲニー ムラヴィンスキーのもと鉄壁のアンサンブルを誇り、どんな速いパッセージでも一糸乱れぬ演奏を繰り広げ、聴く者を圧倒し続けた。
 ムラヴィンスキーのリハーサル風景を収録したDVDを観たことがあるが、そこには思わず目を見張るような光景が展開していた。演奏しているのはブラームス交響曲第2番フィナーレなのだが、冒頭、弦と一緒にトランペットが最初の1音だけDの音を重ねる。ムラヴィンスキーはそのトランペットが気に入らずに、もう何度も何度も執拗にそこだけを繰り返させるのだ。確かにこの1音はトランペットにとっては難しい(技術的に、というよりも弦と溶け合うほど良い音を出すというのが)とは思う。しかもムラヴィンスキーはどうしろという具体的な注文をつけるでもなく、ただ「違う」とばかりに自分の求める感じになるまでただただ繰り返させるのだ。そこにはどんな音をも決しておろそかにしない、偏執的なまでの厳格さがあった。
 正直こんな指揮者の下でやりたくないな、なんて僕など思ってしまうのだが、レニングラードフィルはそんなムラヴィンスキーをおよそ50年もの間 常任指揮者に掲げ続け、あの奇跡のようなアンサンブルを軸に、数々の名演奏を残してきた。こんな風に団員を締め上げ続けて作ったアンサンブルなんて書くといかにも冷たく血の通わない演奏のように聴こえるが、なんというか、その音楽にはすべてを突き抜けたような凄味があって、すべての音が一体化したかのようなベートーヴェンチャイコフスキーの音楽は他に例を見ない壮絶な名演だと今でも思っている。

 ムラヴィンスキーは1988年に没し、レニングラードフィルは半世紀にわたって君臨し続けたシェフを失った。ひとつの時代が終わったと誰もが思ったろうが、実はオケだけではなく、ソヴィエト全土、いや共産主義圏自体の時代がその後大きく変わろうとしていた。
 翌89年には北京で天安門事件が起き、ドイツではベルリンの壁が消滅。それがきっかけとなったかのようにソ連をはじめとするヨーロッパの共産主義国の屋台骨が次々と連鎖反応的に傾き、東欧の共産諸国が次々に崩壊、民主化が進んだ挙句、遂に1991年、共産主義の大本ともいえるソヴィエト連邦が解体した。当時はCIS(独立国家共同体)なんて呼んでたけども、要はロシアとその周辺諸国に分裂し、ソ連建国の英雄レーニンの名を冠したレニングラードも、革命前の旧称サンクトペテルブルク(これもピョートル大帝の名を冠したものだが)に戻った。それに伴い、レニングラードフィルもサンクトペテルブルクフィルに改称した。

 ムラヴィンスキーの後任には当時50歳のユーリ テルミカーノフが就任。手元に1989年、レニングラードフィル(当時)の新シェフとして来日した際のテルミカーノフのインタビュー記事(レコード芸術1989年12月号)の切り抜きがあるのだが、それによるとテルミカーノフは就任するまでほとんどレニングラードフィルを振らせてもらえなかったにも関わらず、ムラヴィンスキー死後に楽団員の圧倒的な支持を得、就任が決定したのだという。それだけでなく、その口調の端々にムラヴィンスキーに対する反発・批判が垣間見えている。その偉大さを認めつつも、ムラヴィンスキ-がオケを前に前時代的な独裁者となり、楽員に恐怖心すら抱かせて団員を隅々まで支配していた事――オケの方も長年にわたり専制君主的カリスマ指揮者に君臨され続けて疲弊していたところに、ペレストロイカに代表される自由の風が吹き荒れ、次期シェフに、前任者とまったく違うタイプを欲する流れになっていたと考えると、この人選はなんか納得いくのだ。テルミカーノフはどうもアンサンブルの構築よりもその時その時のライヴ感・即興性を重んじるタイプの指揮者のようで、本人もインタビュー中でそう語っている。
 しかしその結果はどうなったろう。ムラヴィンスキーによってギチギチに締め上げられていたオケをテルミカーノフは一気に手綱を放して自由気ままにやらせていったようにみえる。名前がサンクトペテルブルクフィルに代わってしばらくしてからその演奏に触れた時に、かつての一種異様な迫力が消え、なんとも散漫な"ゆるい"演奏になってしまっていて驚いた記憶がある。

 今回のTV放送でも演奏前にテルミカーノフのインタビューが流され、その中でもかつてこのオケは「楽員に異様なまでの楽譜の忠実さ・正確さを強要され、それにより音楽が自由を失っていた」という意の事を語り、名前こそ出さなかったものの明らかにムラヴィンスキーを批判している部分が見受けられたが、はたしてその演奏は――というと、正直の所、以前聴いた時よりもさらに箍がゆるみまくっていた。元々テルミカーノフの指揮ぶりは棒を持たずに両腕を振り回していて打点がはっきりしていない。今回の「レニングラード交響曲の冒頭でも、一応ちゃんとオケは演奏しているのだが、いったいこの指揮のどこを見ればそうなるのか全然見えてこず、どうやって合せているのか不思議な感じがした。
 テンポが一定な間はそれでもなんとかなるのだろうが、テンポが揺れる場合は…。第2楽章の中間部でテルミカーノフはいきなりテンポを上げた。三拍子に変わり鋭いスタッカートのリズムの上でエスクラバスクラが鋭く掛け合う非常に緊張感漂う部分だが、ちょっとここまで急激にテンポを上げた演奏は僕は聴いたことがなかった。おそらくこれがテルミカーノフ流の即興的な部分なのだろうが、オケのほとんどその変化に着いていけず、プロオケとは思えないほどぐちゃぐちゃになり、立ち直るのにしばらくかかった。その間もテルミカーノフは立て直すでもなくそのなんだかわからない腕を振り回すだけで――いいのか?という気になってくる。
 さらには第3楽章冒頭。木管による目の覚めるようなコラールで始まり、続いて弦がみずみずしさこの上ない音楽を奏でるのだが――コラールのキューがあいまいなため、はっきりいって約半数が第1音落っこってしまい、初めからぐずぐずになってしまった。もはや解釈がどうとか言うレヴェルではない。プロオケとしてこれでいいのか?と言いたくなるぐらいアンサンブルの精度が下がっているのだ。

 テルミカーノフが就任して30年近く、ムラヴィンスキー時代の反動…とかでは済まされないほど、昔の面影はない。かつてのレニングラードフィルと今のサンクトペテルブルクフィルは、もはやひとつながりの団体とは思えないほど変質してしまった。もちろん指揮者の役割はアンサンブルを構築するだけではないし、その即興的なきらめきで唯一無二の名演奏を繰り広げた名指揮者は何人もいる。しかしそのタイプの指揮者を掲げたオケは時にアンサンブルが乱れて凋落していく、という事があるのもまた事実なのだ。現在のサンクトペテルブルクフィルを見ていると、なんだかその典型のような気がする。テルミカーノフの下、アンサンブル精度と引き換えに何か音楽的なプラスの部分があったのか――いや、ここまで精度が下がっては焦点がぼやけてしまってそれがあったかどうかすら判別がつきづらい。ひとえに「自由」「民主化」の名の許 勝手気ままにやらせすぎたテルミカーノフの責任と言えるだろう。「反ムラヴィンスキー」で一貫してやってきたようだが、それだけでオケが運営できる訳ではない。
 テルミカーノフは現在も元気そうだが、年齢はもう80近い。もうそろそろオケのアンサンブルを立て直してくれる"次の"シェフを考えて行かないと、20世紀の伝説的なオケ、レニングラードフィルは名実ともに消滅してしまうかもしれない、そんな危惧さえ抱いてしまった。