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レジェールリード七転八倒

クラリネット リード

 レジェールリードに関してかなり長い事懐疑的だったことは前回も述べたけど、バスクラで非常に好感触だったこともあってその認識が一変した。その後バスクラをレジェールで何度も吹き、本番も経験するうちに、慣れてきたこともあるのだろうが、その音色や抵抗感、そして安定性を総合的に判断したところ、むしろ「今まで使っていたどのケーンのリードよりもいいんじゃないか」という風にすら思えてきたのだ。

 これは強烈な"成功体験"だった。バスクラでこれだけの成果があがってみると、並クラでも今まで通りケーンのリードを吹いていても「この音がレジェールでも出たらいいのにな」と自然に考え始めるようになるまで時間はかからなかった。
 ただしバスクラと違って、並クラの方は当時リードに問題を抱えていた訳ではない。数年前にヴァンドーレンのブラックマスターを気に入って以来、その取り合わせにとりたてて不満なく使い続けていた。ブラックマスターが1度仕様変更した時は苦労したものの、マウスピースの開きを少し狭いものに替えることによって乗り越えることができ、手持ち在庫も当面困らない程度あって危機感はなかった。
 それでも練習で使っていて、使っているリードが非常に調子がよければよいで、いつもこんな風に吹いていたい――しかしこのリードもこの調子で吹いていたらじきにヘタっちゃうんだよな、という考えが頭をよぎるようになった。レジェールだったら気にせず使い続けられるのに…と。そうなったのもバスクラの"成功体験"があるからだろう。
 その想いが急速に膨らんでいき次第に我慢できなくなって、程なく並クラ用のレジェールリード試奏をしてみようと件の楽器店に連絡を取った。

 2回目の試奏。事前に下調べをしたところ、並クラ用には思った以上の種類があることが分かって困惑した。スタンダードとシグネチャーはもちろん、他にケベックとエーラー、さらに最近発売になったというヨーロピアンシグネチャーと5種類もあるのだ。
 何がどうだかと言葉で説明を受けたって分からない。とりあえず全種類吹いてみようと、店員に3~3半あたりを一揃い(3×5=15種)お願いした。しかしその範囲で全て揃ってるのはスタンダードとシグネチャーのみで、新製品のヨーロピアンシグネチャーは人気が高く3半がなく、エーラーは3番が「今ちょうど使われてる」とのことで31/2と3半のみ。そしてケベックも3半以上しかないということで3半のみ運ばれてきた。
 さて――とまずB管にスタンダードの3半をつけて吹いてみると――息を入れていきなりとんでもないベーベー音が出てとてもじゃないが吹いてられない。すぐさまシグネチャーの3半に――。しかしバスクラでは予想外の成功だったシグネチャーも、ここではスタンダード同様ペナペナ。ヨーロピアンシグネチャーの3半はかなりの幅広タイプでちょっと期待したんだけども、これまたシグネチャー以上に薄っぺらい。ひそかに期待していたケベック…。これもかなり薄い。ここまでことごとく、一息吹いただけでダメ出し出るような状態、ああ、考えが甘かったかと一気に落ち込んだ。最後に試したエーラーの3半は逆に硬すぎて自分にはうまく吹けない。エーラーらしい幅の狭いリードはその分硬く作られているのだろうか、かなり高負荷で僕の息をがっちりと受け止めてるが碌に振動してくれない。それではと31/2にすると少し改善するがまだ固い。3番を試してみたくなるがないものは仕方ないし、これまでの状況から正直これ以上試す気力が萎えていた。
 とはいえこの中でケベックだけはちょっとだけ望みがありそうな気がした。3半でも薄いけども、もっと上ならばひょっとして…。で「ケベックの33/4ってあるんですか?」と店員に訊くと、あるとのことなのでそれを改めてお願いし、今までのは「ケベック以外はもう結構です」と返した。
 少し経って出てきたケベックの33/4が在庫品2枚、あ、さっきよりも音が落ち着いてきたようだ。うん、今日吹いた中で一番まともな音が出たが、なんか弱音ならいいが強く吹くと、なんかリード全体が共振するような妙な響きが混ざっていただけない。これは前回のバスクラの時も感じたので、レジェールリード全体の問題点なのかもしれない。でも感触やリードの横幅の感じから言って、ブラックマスターとちょっとタイプが似ているような気もした。2枚を吹き比べてみると、若干一方ががもう一方よりも左の方が音がまとまっているような気がしたので最終的にそちらを選択して購入した。前回は20分とかからず決定したが、2回目の今回は1時間近く迷いに迷っての選択だった。やはり並クラの方は今まで音色等で試行錯誤を繰り返してようやく今のリードを見つけ、そこに行きついた経緯があるし、音色にも一番こだわりがある。レジェールの限界みたいなのを感じさせる2回目の試奏だった。

 でも、これだけ迷いに迷って選択したこのリード、もちろん買って帰ってからもいろいろ試してみたのだが、やっぱりケーンのリードとのとの落差があまりに大きすぎ、どうしても人前で吹く気にならずにしまい込んだまま使わなくなってしまった。これに懲りてレジェールの事をきっぱり切り捨てられれば良かったのだが、それでもやはりバスクラの成功体験はなかなか忘れられない。(というかバスクラはもっぱらレジェールを使うようになっていた) バスクラではこんななのにどうして並クラでは――との思いがまたくすぶり始めた。考えてみたらこの時の試奏では結局吹かなかった領域があることに気づき、そこを攻めていったらあるいは――と気になって仕方なくなってしまった。

 そしてしばらく間を置いて3回目の試奏に向かう。その頃はもうダメならダメで決定的にダメ出ししとかないと安心してケーンのリードを吹けそうにない所まで精神的に来ていた。今回の試奏対象は「ケベックの4番以上とジャーマンの3番以下」。この前吹いてない、そして可能性のあると思うエリアをお願いしただけなのだが「変わった取り合わせですね」と店員に言われる。そして前回もケベックが品薄だということはちょっと聞いていたのだが、どうやらこのケベック、もう製造中止らしい。つまり今ある在庫のみということか。でも逆に人気がないのか、4番以降だけでもずらりと在庫があった。
 まずはケベック。4番以上になるとさすがにちょっと骨がありそうだが、それでも本気で吹いてみるとなんかリードが息に負けた感じで、開いた音になってしまう。じゃあ次、と41/4・41/2・43/4…とどんどん厚いのにしていき、とうとう最後の5をつけてみたが――それでもやはり本質的に変わらない。形状や吹奏感からいってウィンナぽいと思ったケベックだが、結局のところ硬さが変っても腰の弱さは変わらない。だからすぐ負けてしまうみたいなのだ。ここでケベックは完全に見切りをつけた。
 続いてジャーマンに移る。エーラー吹きであるが普段からウィンナリードを使ってる身としてはなんかすごい細身に感じる。2回目の時、他は皆薄く感じたのにジャーマンだけは「硬くて吹けなかった」という真逆の印象だった。ということはこのやわらかい方で活路があるのではないか、と思って今回試してみたのだが――幅が狭いせいか、吹くプレッシャーが強いのは確かだが、それでもやはり本質的に、吹いてもリードが息に負けて開いた音になってしまうというのは同じだった。こうしてみると、ジャーマンってスタンダードの幅を単純に狭めただけじゃないのか?
 いったいバスクラでのシグネチャーの大当たりはなんだったのか…。並クラではレジェールはやはり使えないのだろうか――次々ととっかえひっかえ、時折現行リードを交えて比較しながら吹いていた時、ふとあるリードを吹いてみて(なんか違う)という感触があった。(あれ、今吹いてるのってレジェールだよね) それはジャーマンの23/4だった。やにわに注意を集中していろいろ吹いてみる。うん、悪くない。確かにやや薄っぺらい感じだけども、今日吹いた他のどのリードとも違ってこれだけは音がまとまる。どういうことだ?ともう1枚あった同じ23/4を取り換えて吹いてみると――ああ、やはりベーベーと薄っぺらい音がする。その上の3にしてもやはり薄い。また最初の23/4に戻すとやっぱり音がまとまる…。一瞬混乱したけども、どうやらこの中でひとつだけ、僕にとっての"当たり"が存在したことが認識できた。レジェールは工業製品で同一設計同一品質だから、当たり外れはあまりないと聞かされていたのだが、案外そうでもないらしい。同じ23/4でもこれだけ違うんだから。そしてそれは硬度の高い3にしたところで腰が強くなるわけでもない――。"硬さ"と"腰の強さ"は別物なんだと非常によく分かった気がした。とにかくこの感触が勘違いではないかとしばらくいろいろ吹き続け、確信に変わった所でそのリードを間違えないようにひとつ離して置き、それを購入した。

 ――なのだが、結局このリードも使わなくなった。あれこれと何枚も試奏しているとその中ではいい感じがするのだが、結局"比較的"な問題で、いざ帰っていろいる吹いてみると、音もレスポンスもどこか中途半端で、ケーンのリードにはかなわない、という結論に達してしまうのだ。

 試奏しておきながら結局使えないリードを2度まで購入してしまった結果になり、反省して一度は並クラでレジェールを使う事をあきらめようとも思った。なのにしばらくしてまた挑戦しようと思ったのは、「リードのことばかり考えていたからじゃないか?」とふと気になったからだった。

 それで次に狙ったのは「Play Easy」。これまでは今使っているマウスピースに合ったレジェールリードを探してきた。しかしその望みが絶たれた今、マウスピースとの取り合わせまで含めてレジェールリードを考えるべきではないのか?と思い立ったのだ。「Play Easy」はオーストリアの新興マウスピースメーカーとして話題のNickが、レジェールリードで吹くことを前提に開発し、リードとセットで販売しているものだ。リードもこのマウスピースに合わせて調整しているらしいし、これで吹けば新たな可能性があるのではないか――。そうして4回目の試奏に向かった。

 ただ――もうくどくど書かないが、この試みもまた徒労に終わった。試奏してみて、ここで使われるリードもスタンダードと大差ないようだし、マウスピースと合せても、まぁせいぜい「悪くない」と言う程度だった。今までの手痛い失敗から、この程度では結局またお金をどぶに捨てることになってしまう…それが見えてしまった。それでもその中からけっこうよさそうに思えたリードを単品で1枚買ってしまったのはまだあきらめがつかない表れか。

 そしてこのリードも結局前2枚と同じ道を歩み、リードケースの肥やしとなっていったことは言うまでもない。。
 こうして3枚も立て続けに似たような失敗をしてしまったため、さすがにここはレジェールをあきらめた。バスクラの方は相変わらずレジェールを使っていたので、それでも時折むくむくとレジェール熱が再燃しそうになるが、そんな時は手元の3枚のリードを引っ張り出して吹き「所詮こんなだぞ」と改めて自分に思い知らしめることによって気を鎮めていた。

 さらにもうひとつ決定的だった出来事が、これと前後して、以前からお世話になっているプロのクラリネット奏者の指導を受けた時にあった。その方が最近レジェールを使っていることをその時初めて知ったのだが、レジェールに関する貴重な話を伺うとともに、その方が自分で今使っているレジェールリード(ヨーロピアンシグネチャー)をちょっと吹かせてもらう機会にも恵まれたのだ。はたしてどんな具合か、自分のマウスピースに付けて吹いてみたが――それでも印象は大きく変わらなかった。プロの奏者が自分で吹くために選定したリードである、間違いなく選りすぐりのレジェールリードとみていいだろう。それを吹いてですら自分の印象が変わらないとすれば…これはもう自分にはレジェールは向かないと断言していいだろう。これでもう本気であきらがついた、とこの時は思った――。

 と、このようにレジェールリードを巡って七転八倒の大騒ぎをして一旦はあきらめておきながら、この病気は一旦罹るとなかなか抜けてくれないらしい。この後さらに右往左往し続けることになるのだった。

レジェールリード狂騒曲

クラリネット リード

 レジェールリードの存在を知ったのはもうかれこれ10年以上前になるだろうか。確か最初にその実物に接したのは2005年夏にパルテノン多摩で開催された国際クラリネットフェスティヴァルでのことだった。この時には国内外の著名なクラリネット奏者が多摩に集結したのはもちろん、クラリネットに関する様々なものが紹介され(バックンの樽やベルがものすごい話題になったものだ)、レジェールリードもその中で出品・販売されたのだ。そこで試奏もできたはずだが、なんかどうにも色物的なものに思えて手を伸ばそうとはしなかった。

 だがそれから数年して、ウィーンフィルのエルンスト オッテンザマーとその2人の息子(まだ「クラリノッティ」と名乗る前だった)が来日して3人で演奏会を開くのを聴きに行った際、演奏途中で楽器につけているリードが半透明なことがちらりと判別できてわが目を疑った。いつの間にやら敬愛するベルリンフィルウィーンフィルの現役クラリネット奏者の間でレジェール使用者が増えつつある、と知って衝撃を受けたのはその少し後の事だが、この時はレジェールを使っている事を耳で聴き分けられなかった事がショックだった。知った後で改めて聴いてみると、彼らの音が微妙に浮ついた感じに変わってしまったように思えたけども、言いかえれば「言われてみればちょっと…」ぐらいの違和感しかなかったのだ。

 それでもライスターがレジェールに否定的な発言をしたり、ザビーネ マイヤーを始めまだケーンのリードを使い続けている奏者はたくさんいる。その頃、一緒に吹いていた人が持っていたレジェールリードをの場で借りてちょっと吹いてみたのだが、その際はあまりにケーンのリードと違ってまともに音が出ず、印象は最悪だった。そんなことがあってまだ自分で近づこうとは思わなかったのだが、それでも内心無関心ではいられなくなってきた。

 そんな自分の中の状況が変わっていったのはここ2~3年のこと。身近なクラ吹きの中でも徐々にレジェールを使う人が増えてきて、しかもその中には以前より「うまいよなー」と感心していた人がいつの間にかレジェールリードを使っていて、「え! これがレジェールで出した音なの!?」と内心驚くことが一度ならずあったからだった。レジェールも案外ばかにできないかもしれない。調べていくといつの間にか種類も増えており、なんでも後発の「シグネチャー」は評判がいいらしい。ようやくちょっと心が動き始めた。

 心動かされた理由はもうひとつ。というのも2年ほど前からバスクラのリード選びに心底悩んでいたのだ。バスクラに関しては数年前からヴィルシャーの№463というリードを愛用していたのだが、これが3年ほど前に製造停止になってしまった。リードの統廃合・仕様変更はよくあることなのだが、毎度それには振り回される。ヴィルシャーのエーラー用バスクラリードはもうひとつ№429というのがあり、もちろんそちらも使ってみた。こちらも悪くなく、音色に関してはむしろ№463よりもいいぐらいだったのだが、非常に繊細であり、思いっきりよく吹きこむ事ができなかった。しばしば音の立ち上がり時にキュッキュと音が出ることがあり、一度それが始まるとドツボに嵌って抜け出せない。結局そっと吹かなくてはならない感じで安心して使えなかった。自分には微妙すぎるのだと思う。(その点№463は良くも悪くも堅牢) そんなわけで結局手持ちの№463を使っていたのだが、リードが消耗品である以上供給がなければどんどん減っていくのは理の当然…。残り少なくなってきてどうしよかと困っていた所だったのだ。

 バスクラのリードどうしよう…。なかなか次が決まらず、減っていくリードにだんだん焦燥感が募ってきたところにこの状況である。レジェールリードがもし使い物になってくれさえすれば、この悩みが一気に全部解決するかもしれない…。そんな想いがが頭の中を駆け巡り、淡い期待が湧いてくる。たまらず昨年2月、大久保のとある管楽器専門店にレジェールリードを求めて入ってみたのだ。
 この、それまであまり馴染のない楽器店にわざわざ足を踏み入れた訳は、ここではレジェールリードを各種試奏した上で買えると知ったからだった。普通のケーンのリードだったらまとめて箱買いしてその中から取捨選択するのは当たり前だが、単価が高く、1枚単位で長く使うのが前提のレジェールは「試奏しないで買うなんておかしい!(リスク高すぎ)」と常々思っていたので、試奏できると聞いて「わが意を得たり」とこの店に望みを託したのだ。

 さて、とはいえ自分が使っているエーラー式バスクラのレジェールリードはまだ製品化されていない。しかしエーラー式バスクラはアルトサックス用のリードが代用できるのは知っていた(ちなみにベームバスクラだとテナーサックスのが代用できる)。受付で来意を告げ、店員に「アルトサックスの3番とその前後を、スタンダードとシグネチャー両方で」とお願いして試奏室に入る。楽器を組み立てていると、スタンダードとシグネチャー、23/4~31/4の3枚づつが並んで出てきた。
 さて、いよいよ…とリードをマウスピースに着けてみる。こうしてみると、思ったよりも大きい。レーンから少しはみ出して、吹き口をすべて覆う感じになってしまう。使えるとはいえ、やはりぴったりという訳にはいかないものだ。まぁ足りないよりははみ出すぐらいの方がいいと経験的に思ってるのでなんとかなりそうだと吹き始めた。
 まずはスタンダードの3番を。ちょっと緊張気味に息を吹き込むと――あれ、ぜんぜんダメ。なんだか板を吹いてるみたいでかなり抵抗が強くてスカスカの音しか出ない。以前借りて吹いてみた時の記憶が頭をよぎる。ひょっとしてはみ出すぐらいのリードだと通常よりも抵抗が大きくなってしまうのだろうか。最初からバスクラ用のマウスピースならば3番だが、この場合もっと薄い番手の方がよさそうだ。ということで次にスタンダードの23/4を。あ、これはまだ何とかなる。音が出ることは確認できたが、まだなんかごわごわした感触でいただけない。

 それではいよいよ期待のシグネチャーを、と23/4をつけてみる。あ、こちらの方が感触が自然、というかケーンと大差ない吹奏感を得た。これなら…とひとしきり吹いて、次に手持ちのヴィルシャー№463をつけて違いを確かめた。結果――吹き心地や音に関しても、とりたてて変わりはない。これなら、あの№429の繊細な音は無理かもしれないが、少なくとも№463の代わりにはなりそうだ、と思う。 次に試しにシグネチャーの3をつけてみる。確かにさっきよりは重いけども、スタンダードの時のようなどうしようもなさはない。というか吹いているうちに段々コツがつかめてきたのか音がどんどん出始めた。
 あ、じゃあこっちの方にしようかな――とふと考えて苦笑した。ケーンのリードだったら、はじめのうちはちょっと重いぐらいのリードを選ぶのが正解だろう。吹いてるうちに柔らかくなることを想定して。その考えが染みついているのだ。けどもこれはレジェール。ヘタることを考慮しないとしたら、今一番音が出ている23/4にすべきだろう。結局スタンダードにはもう2度と戻らず、23/4のシグネチャーに戻してさらにいろいろ吹いてみる。気になっていたレスポンスだが、確かに音の立ち上がりの反応が若干遅いような気がする。アタックを繰り返して注意深く反応を見る。確かにちょっと先端が厚めのリードのような感触だが、むしろそれ以上に感じたのはその安定性だった。ケーンのリードのようなバランスのばらつきがないせいだろう、息の入れ具合に対して非常に素直に反応してくれて、予想外の反応(すなわちリードミス)がほとんどない。つまりどう息を入れればどういう音が出るか、というのが事前に計算できるのだ。今までどうしても不確定要素が入り込んでいたケーンのリードと比べるとこれは大きなメリットになる。実際吹いててけっこう強く吹きこんでもリードミスをすることは1回もなかった。
 結論。これは充分使えるリードだ。そう心に決めて、店員にシグネチャーの23/4購入の旨を伝える。時計を確認すると、試奏し始めてから実質15分ほどしか経っていない。実際それほど迷う要素が少なかったのだ。

 さて、以来買ってきたレジェールをつけてひとりで吹いてみて、かつ練習でも何度となく使い心地を確かめてみた。そして何より感じたのは「圧倒的に吹きやすい」ことだった。
 レジェールリードの特徴として前述のように安定性がある。ケーンとは違い水が浸み込まないので使っていて状態が変化することがない。吹く前に唾を含ませてる必要もなければ吹いているうちにどんどん浸み込んでヘタることもない。なのでどんな時でも吹き心地が変わらず、同じように息を吹き込めばいつも同じように鳴る、偶発的な要素がなく、その分安心して吹けるのだ。自然素材でなくすべて合理的に計算されたものだからか、息を吹き込めば楽器が素直に鳴ってくれる。その結果リードミスも格段に減り、またそれまで苦手にしていた最低音域への跳躍などもかなり確実に決まる。そうなると自分がうまくなった気がして楽器を吹くのが楽しくなり、一層練習に身が入る。しかもケーンのリードだとヘタらないよう、いいリードでもある程度時間が吹いたら交換して休ませなければいなかったのに、レジェールならこの「いい感じ」のリードをずっと使い続けていられるのも嬉しい。

 もちろんいいことばかりではない。音色は予想以上に満足いく、円みを帯びたものだけども、なんだか思い切り吹きこむと雑味が出るような――ただこれはアルトサックスのリードを使っている弊害(マウスピースのレーンよりも若干はみ出し加減のリードのため、リードの位置がちょっとずれると余計な振動が発生する)らしいということがだんだん分かってきて、ちゃんとずれを修正すれば軽減することが分かってきた。その他にもフォルテシモが思い切りよく出ないとかアタックの切れ味がやっぱりイマイチ丸いとか気になる部分はあるが、充分許容範囲といえた。以前レジェールの使用感として「最上のケーンのリードにはかなわないまでも、これと同等のケーンのリードはいくらでもあり、そのレヴェルのものがいつでもに吹けるという意義がは大きい」という意味の発言を読んだことがあるが、まったく同感だ。

 ただ強いていえば、安定しすぎと言うか、あまりに予想通りに音が出るのでなんかちょっと面白みに欠けるというか――下手なのを棚に上げて大きな事を言うと、不確定要素があるからこそなんとか特徴を掴んで使いこなそうと必死になるのに、そういう冒険心がなくなるというか…。レジェールに慣れきってしまうとケーンのリードが吹けなくなる、というのを聞いたことがあるが、ひょっとするとその真意はそんなところにあるのかもしれない。

 それでもレジェールによって、なんというかバスクラの"可動域"が拡がったことは疑いようがなかった。今まで苦労していたことがけっこうスムーズに吹けるのを実感でき、使い込むうちに勝手が分かってきたのかどんどん自分に馴染んでいくように感じ、いつしか手放せなくなっていた。このリードを手に入れて1年余り、実を言うとバスクラを吹く時は今でもこの時買ったリードを使い続けており、もう何度となく本番もこなし、手放せないものになっていった。

 ――が、その時はまだ気づいていなかった。これがいかにビギナーズラックであり、こうしてレジェールにのめり込むことによって、それからどんなに七転八倒することになるか、を…。

「俺を誰だと思っているんだ」

警句

 その言葉を発した時点で、その人は既に自らのプライドに凝り固まってまわりが見えなくなっている。

マウスピースのリフェイシング!?

クラリネット マウスピース

 前回、マウスピースの手入れについての考察を書いたばかりだが、その矢先、今月号のPipers(Vol.426)に興味深い記事が載っていた。「マウスピースのリフェイシング」についてだ。

 リフェイシング? 耳慣れない言葉だがその意味するところは察しがついた。フェイシングとはマウスピースでリードと接するあのわずかに傾斜している部分の事。そこを再構築する、ということだろう。
 さっそく雑誌を手に取ってみると、言葉同様、今まで自分では考えもしなかった事が次々と書かれていて目を瞠った。使って摩耗したマウスピースを再生、さらにはチューンナップできるというのだ。

 いや、正確にいうとマウスピースの加工自体には馴染みがあった。例えば先ごろ亡くなったドイツのヴィオット氏が制作したマウスピースにはかつてさんざんお世話になったが、彼は本職は数学教師でありながら、余技としてマウスピースのフェイシングを自らひとつひとつ手作業で削り直し、製品として販売していたのだ。彼の場合もベースはツィンナー製マウスピースであり、自分は最後のひと手間を加えただけ。これも一つのリフェイシングといえるのだろう。しかしこれはあくまで製造過程としての一環であり、使用後に再調整して復活させる、いわば調整としてのリフェイシングという発想はなかった。しかし記事を読み進むうちに、今まで自分が知っていたことのすぐ傍らに、マウスピースのリフェイシングというものが古くから存在していたことを初めて知って驚いた。

 それはマウスピースの歴史とも関係している。そもそもマウスピースはかつて楽器本体同様木で作られていた。それも知っていたけども、木は元々環境その他で変形しやすい素材だから、今よりもはるかに変化を受けやすい。だからこそ頻繁に調整して状態を維持する、あるいはチューンナップしてより良い状態にすることが必須となり、その技術が自ずと発達していったのだという。

 しかし近年エボナイトその他状態がより変わりにくい素材でマウスピースが作られるようになってから、それほど頻繁に調整する必要がなくなり、それに伴いマウスピースの調整技術そのものも次第にすたれていった。その結果、徐々にマウスピースは1回摩耗すればお終いの「使い捨て」のものだという認識が定着するようになって今に至るのだ。
 かといって現在のマウスピースだって"木に比べれば"ましというだけであって、変形しないという訳ではない。前回の書き込みで、吹奏後の手入れによる変形の事を気にしていたけども、今回のPipersの記事によると、それよりも前、実際に吹いているうちに下唇がリードと接触する辺りから摩耗が始まり、徐々に奥に、下にと拡がっていくのだという。となると、マウスピースの摩耗は吹奏後の手入れや保管方法でどうということではなく、長い目で見ると使い減りは避けようのない事となる。

 「マウスピースに息を吹き込んだ瞬間、あるいはリードが振動した瞬間から、すでに変化は始まるのである」筆者はそう言う。もっとも変化は悪いばかりではなく、時にはその人によっていい変化をもたらすこともあるが、いずれにしろその状態がいつまでも続く訳ではない。吹き続ける限り状態は少しづつ変わっていくのだ。
 そして次第にマウスピースとリードの接触面の状況が変わっていき、筆者によると、当初のフェイシングが維持されるのは、使用頻度にも選るがほぼ2年だという。これはだいたい僕の感触的にも納得のいく数字だ。前回の書き込みで取り上げたマウスピースを購入したのは2014年の5月、それから2年半ほど気に入って使い続けてきたが、12月になって急におかしく感じ始めた。僕がマウスピースを「換えよう」と気になるのはだいたい2点、なんか吹いていて気密性がなくなった気がして、息を吹き込んでから音が出るまで何かワンクッション置くような感じになり、ダイレクトに反応してくれなくなるのだ。もしくは妙に音が細く甲高くなって自分の音に納得できなくなり、吹いてて嫌気がさしてくるのだ。
 今回この記事で、筆者がすり減ったマウスピースを使ってて相談を受けた人の悩みの代表的なものを挙げているの。曰く「リードが全然合わなくなった、レスポンスが悪くコントロールしづらくなった、音が明るくキンキンするようになった、響きが不安定になり音の芯が失われた、以前とは違う(通常より硬めの)リードを選ぶようになった、等々」これを読んで思い当たることがありすぎて参ってしまった。実は今回のマウスピースも、使っていて昨年あたりからそれまで使っていたリードが妙に薄く感じるようになって、実際により一段硬めのリードを取り寄せて使ってたりしてたのだから――思えばその頃から既に摩耗が進んでいたのだ、と今になって思い当たる。

 結局僕が前回書いた手入れについての考察なんて大した意味はなく、普通に吹いていれば摩耗はもう避けられようがない不可逆的なものだということがはっきりしてしまった。どうしたらいいんだろう――。僕はクリスタル製のマウスピースは使ったことがないが、今回の記事の中でクリスタル製が(他の材質に比べて)吹奏による摩耗が格段に少ない事が述べられている。もちろん落としてしまえば一発で砕けてしまうものではあるが、そういう事がなければ、うまくすれば一生もんとして使う事すら可能なレヴェルだという。これを読んで、一瞬クリスタルのマウスピースを購入しようかとすら考えてしまった。

 けどこうした摩耗してしまったお気に入りのマウスピースを復活させる方法として、今回の「リフェイシング」があるのだ、と筆者は述べている。これをすれば気に入っていた元の状態に戻すのはもちろん、場合によってはよりいい状態にチューンナップできるのだと。
 ただ、これはもちろん相当な特殊技能であり、素人が簡単にできるものとは到底思えない。ケーンのリードをトライアルアンドエラーしつつ調整していくのとは訳が違う。でも使い古したお気に入りのマウスピースがまた復活するというのは非常に魅力的な提案だ。この記事の筆者はプロのクラリネット奏者として活動しながらこういうマウスピースのリフェイシングを研究し、現在は既製品の調整だけでなく自ら設計したマウスピースを商品化するに至っているという。
 日本にリフェイシング技術を持つ人がいるのかどうか、聞いたことがないが、もしいてくれたら、時折楽器本体を調整に出すみたいに、マウスピースを調整に出して復活することができたらいいな、とつい考えてしまう。

 ともあれ今回の記事は前半であり、次号にはこの続きの記事が掲載されるそうだから、この先にまた何が書かれるのか、とりあえず今は興味を持って待ちたいと思う。

マウスピースの洗浄、その試行錯誤

クラリネット マウスピース

 楽器の演奏にはマニュアルは存在しない。そりゃ基本的な吹き方とかそういう指針めいたものはあるけど、個人差があって「こうすれば必ずこうなる」と言い切れるようなものはない。結局のところある程度まで行けばその先は各人がそれぞれ自分に見合った方法を模索していく事が必要となってくるのだろう。そういう奥深さがあればこそ長年趣味としてやっていける面白さに通づるのだが、そのため、あるひとつの事に関してに十人が十人違う事を言うことだってある。

 僕がやっているクラリネットについていえば、マウスピースを普段どうやって手入れをするか、なんてその最たるものだろう。

 マウスピース(金管やボクシングで全く別のものを指すのでややこしい)はクラリネットの先に挿し込んでリードをセットすることによって歌口として機能するものだから、始終息を吹き込んでいくので吹いていくうちにどうしても汚れてくる。だから当然掃除する必要があるはずなのだが、困ったことにその洗浄の仕方に"定説"がないのだ。

 ちなみにクラリネット本体は、吹いた後に"スワブ"という紐のついた布を通すことによって管の内側についた唾その他を拭き取ることが必須となっている。マウスピースも一見同じようにしそうなものだが、それは「しない方がいい」とよく言われる。
 マウスピースは非常にデリケートな器具であり、ほんのちょっとした変化で吹き心地が変わってしまう。僕も前に、うっかり手を滑らせてマウスピースを床に落っこどしてしまったことがあるが、それだけでもうぜんぜんダメになってお蔵入りせざるを得なかった。マウスピース自体は楽器と違いエボナイトでできている事が多い(最近他の新素材が使われる例も増えてきた)のだが、このように衝撃にはかなり弱い事は確かだ。
 だから吹くたびにスワブを通したりしていくと、特にデリケートな内側が徐々に削れていって寿命を縮める、というのだ。現に僕が最初にクラリネットを教わった先生(現在も日本を代表するプロオケでトップを吹いている人ですが)からは「マウスピースは自然乾燥しとけばいい」と教わり、なので吹いた後もただそのまま放っておくことを長い事続けていた。

 けど――やはりなんにも掃除しないのもよくないことがそのうちだんだん分かってくる。吹くという事は口の中と常時接触して、そこから絶えず息を吹き込んでいく事だから、息だけでなく口の中のものが一緒に流れ込んでくる。それが少しづつマウスピースの内側に付着していくのは避けようがない。衛生的にも問題があるが、いろんなものが付着して内側に層をなしていき、結局はマウスピースの状態を変えていってしまうのだ。
 やっぱり掃除した方がいいな、とは思いつつもスワブ通せば削れてしまうと言われればそれもためらわれる。ではどうするか――それが、前述のように"定説"がないのだ。考えあぐねた挙句、時折中に水を通したうえでおそるおそる麺棒で軽くなでて汚れを取る、ということを続けてきた。

 「それじゃみんなどうしてる?」と気にかかるのは当然だろう。調べてみるとやはり誰もが知りたい問題らしく、雑誌のQ&Aコーナーとかネットで調べてもいくつかその人なりの回答が目についた。

 その1「コップに水を張ってその中にマウスピースを(コルク部を水に浸けないように)入れ、そこに入れ歯洗浄剤を投入する」
 これはなるほどと思って実際にやってみました。ドラッグストアで(ちょっとこそこそと)ポ〇デントを買ってきて、マウスピースを投入。シュワシュワの泡に包まれていかにもきれいになりそうな感じだったんですが――浸かってた部分が変色してしまったのを見て、なんかヤバい感じがして2度とやる気が失せました。

 その2「コップにポ〇カレモンを入れてそこにマウスピースを突っ込んで一晩置いておけば驚くほどきれいになる。食品だから安全」
 逆に食品を洗浄に使うのに抵抗感を感じてしまって――それにまた浸けた部分が変色してしまうのではないかという不安がよぎり、結局1回もやりませんでした。

 その3「マウスピースなんてしょせん消耗品なんだからさ、気にせずスワブ通していいよ」
 あるプロの人に直接訊いて返ってきた答え。ある意味正論でぐぅの根も出ず、実際一時期マウスピースにスワブを通していた。でも最初に叩き込まれた教えが常に頭の片隅から離れず、暗示かもしれないけど徐々に吹奏感が変わってくる気がして――長続きしませんでした。

 さてそれではどうすべきか。極力マウスピース本体に影響を与えずに汚れだけを落とす方法はないものか…。数年前、某メガネ量販店の前で(これ、いけるんじゃない)とアイディアがひらめきました。
 そう、店舗の前によく置かれているメガネ洗浄機です。超音波洗浄機の事はその以前から話に聞いていましたが、実物を見たのはここが初めてでした。水を張ってある中に眼鏡を突っ込んでスイッチを入れると、蝶番など隅の方に溜まった汚れだけがぶわーっと水の中に浮き出てくる。初めて見た時にはちょっと感動しました。で、なんとなくずっとこれはメガネ洗いのためと思っていたのですが、ある時(ここにマウスピースを突っ込んだら…)と頭の中でつながったのです。まぁいくらなんでも店先でいきなりマウスピースを取り出すのはためらわれたのですが、調べてみるとこの超音波洗浄機、家電量販店で数千円で買えると知り、思い切って"マウスピース洗浄のために"買ってみたのです。

 特に変わった使い方はしていない。張る水に関しては「エボナイトは塩素はよくない」とのことなので浄水器を通した水を使っているぐらい。コルク部分に水を浸けない方がいいとは聞いているので、コルク部分を持って張った水の中に先の方を突っ込み、手でホールドしたままスイッチを入れて終わるまでそのままの体勢で待つ、そのぐらいか。頻度は月1回ぐらいだが、思った通り、スイッチを入れるとマウスピースからは驚くほどの汚れが湧き出てきて、(こんなに汚れてたんだ)と驚く。超音波で共振する影響はどうなんだろうと不安はあるが、元々吹いている時にも共振しているんだから考えないことにした。

 こうしてここ数年、マウスピースの洗浄はもっぱら超音波洗浄機でやってきた。気のせいかもしれないがマウスピースへの影響も少なく、寿命も延びたような気がしていた。ただ、先日ある事があって以来、これだって他と大差ないやり方なんじゃないかと思えてきた…。

 というのも去年の暮れ、練習してなんか妙に音が細く、薄っぺらい音がするようになってしまったのだ。いきなりどうしてだ?としばらく訳が分からずとりあえずまた超音波洗浄機で洗ってみたのだが、その時に内側を覗き込んであることに気がついた。
 コルク側の内側、つまり洗う時手で持っている方の接合部近くに、なにやら薄く盛り上がりが見えたのだ。なんだか分からなかったがこれが関係してそうな気がして、内側に水を通してまんべんなく濡らしたうえで、麺棒を使ってその盛り上がりをこそげ落してみた。それで分かったのだが自分の痰のかけらがへばりついていたのだ。そういえあばその少し前に風邪を引いて鼻水や痰がひどい状態の時があって、そんなときでも楽器吹いていたものだから息と一緒に痰が吹きこまれ、マウスピースの内側にくっついて乾燥したものらしい。前述のように超音波洗浄機に突っ込むときコルク部分を持っているからそこは水に浸かってない。つまり超音波洗浄の死角に入ってしまっていたのだ。

 仕方がないのでマウスピース内部に水を通して濡らしたうえで麺棒をあててそっとこそげ落とす。その上で改めて吹いてみて、とりあえずは状態が好転したようには思えたのだが…それでも、その前と同じようには戻らなかった。吹いているうちに思うようにならない不満がだんだんに溜まってきて――その時たまたま別の具合のいいマウスピースに出会い、結局新しいのに乗り換えることにした。

 自分の中では超音波による洗浄はなかなかいい方法だと思っていたのだが、とんだ落とし穴があった。そして水に浸ける以上、どうあってもコルク部分は洗浄範囲内になってしまう訳で…。息と共に汚れが溜まるのが先端部分が主なので気にしてなかったが、これは結構大きな問題だ。(入れ歯洗浄剤やレモン果汁にも同様の死角が存在する)
 結局このマウスピースの寿命は2年半余り。気に入ってたのだが、結局これまでとさして変わらない寿命で終わってしまった。

 こうして話は半ば降り出しに戻った。結局一番いいのは「気にせずスワブを通すこと」になるのだろうか…???

「響け!ユーフォニアム2」を観終えて

アニメ レヴュー

 昨年放映された「響け!ユーフォニアム2」に関しては、放映開始前に「期待と不安」と題して投稿し、かつ各回放映ごとにコメントの形で所感を述べていったが、無事最終回が終了した今の時点で、改めて全体の総括をしてみたいと思う。

 結論から申せば期待は決して裏切られずに全体的に素晴らしい出来栄えだったけども、一方で危惧していた部分も予想通り出てしまい、必ずしも第1期のような完成度には至らなかった。

 危惧していた部分――それは前回も書いたように原作第1巻と第2巻の「性格の差」だった。第1巻が最初らしくさまざまな要素がからみあって徐々に組織が組み立てられていく過程が描かれていて、非常に多様な内容を持っていたのに対して、第2巻はそれを受ける形で、第1巻で少しだけ触れられていた前年発生の「1年生大量退部」によって生じた部内の歪み、それが端的に表れた「みぞれと希美問題」の発生と解決に至るまでを一気呵成に描いた作りになっていたのだ。それだけに第2巻は第1巻や第3巻に比べて少し短めで、他の要素を加えづらい。結果的に第1期のように第2巻1冊分を1クールでやるのは分量的に足りなかったのだ。

 結局、「響け!ユーフォニアム2」の制作において一番の壁となったのは、1クール13回という放送業界の枠組みそのものだったのだろう。このスタッフなら、おそらく第3巻をアニメ化するならば1クールでぴったり収まるだけの内容を組み込めただろうし、結果第1期に勝るとも劣らぬものができたと思う。しかし第2巻を飛び越して第3巻を創る訳にもいかないし――。おそらくこの点は制作の最初の段階で原作をどう処理するかさんざん検討されただろうし、結論として、1クールで第2巻と第3巻を一気に駆け抜けるという策を取ったのだろう。
 だがそうすると今度は無理矢理その内容を押し込む形となり、あちこちで駆け足or端折るという場面が出てきてしまった。第1回を倍の1時間枠にすることにより実質14回分の時間を確保したとはいえ、それだけでまかないきれるものではなかった。

 殊にそれは第2巻分で顕著になった。なにせ最初の5回(実質6回)分の時間しか割り当てられなかったのだから。その展開の速さはこちらの予想を超えていた。第2回の前半でプール回を処理し、後半と第3回で合宿を駆け抜け、第4回では早くもクライマックスに――。その結果、さすがに原作のすべてを処理することができず、重要な要素がぽろぽろと抜け落ちてしまっていた。
 そのひとつが「強豪ひしめく関西大会突破の困難さ」だ。幸先よく府大会を勝ち抜いたものの、その次の関西大会は圧倒的な強さを誇る"3強"がひしめいていて北宇治の突破はほぼ絶望的だった。「みぞれと希美問題」と並行して、そのプレッシャーが原作ではひしひしと感じられたのだが、その部分が駆け込みで申し訳程度にしか描かれなくて、そのため関西大会突破のドラマ性が薄れてしまった。ここで姿を消す梓とのやりとりももっとしっかり描いてくれれば…と悔やまれる。
 その影響は、第5回の関西大会の描き方にも表れてしまった。もちろんここではこちらが待ち望んでいた「三日月の舞」ノーカット演奏なんてとんでもないものを見せてくれたのであんまり文句はいいたくないが、北宇治がどうして"3強"の一角を破って関西大会を突破できたのか――北宇治の後に演奏した"3強"のひとつ秀大附属に起こった事件、これは第2巻の中でも特に強烈に印象に残った部分だけに、ここがばっさりカットされてしまったのには悲嘆にくれた。
 その結果、北宇治が強烈なプレッシャーの中いかにギリギリで薄氷の勝利を得たのか、そのところが描かれず、なんとなく関西大会を突破したかのような風になってしまったのが、今回一番残念に思う所だ。

 そして「みぞれと希美問題」に関しても、やはり駆け足でやったためか踏み込み不足になった事は否めない。第4回の衝突も、なんか「いろいろ誤解もあったけどなんとか和解できてよかった」みたいな感じで非常にマイルドに描かれてそれで終わってしまった。これもまぁ外面的にはそんな風にも見えることは確かなんだけど、原作を読むと2人の間の断絶の深さにぞっとするほどなのだ。みぞれの想いは希美にはまるっきり伝わってない、というか想像の埒外にある。詳しくは原作を読んでもらうしかないだろうが、2人の溝は実は全然埋まってない。そのことを思い知らされながらも、みぞれは希美がまた自分のそばに戻ってきてくれたことが嬉しくてその表面的な和解を受け入れる――。
 僕はこんなところに作者の(決してラノベの域にとどまろうとしない)"作家魂"を見た思いなのだが…アニメでは時間の制約もあったのかもしれないが、なんかあえて踏み込まないという判断をして表面的な(きれいな)解決で済ませたような気もする。
 ま、このみぞれの想いをあすかもまったく理解してなかったことが直後に判明するのだが、そちらだけアニメで取り上げただけになんか中途半端な後味が残った。

 ※アニメから外れるが、この"両者の断絶"は作者にとってもかなり重要なテーマらしく、スピンオフの「立華高校マーチングバンドへようこそ」でも形を変えて再び取り上げている。こちらは言ってみれば同じ問題を希美の立場から描いたようなもので、作品に明るく前向きなだけでない影の部分をつけ加えていた。

 関西大会を終えて全国大会を控えた第6回からはそれまで時間の制約に押し込まれた閉塞感が一気になくなり、なんだかのびのびと描かれるようになって、観ているこちらもなんかほっとするようになった。第3巻ではメインにあすかの問題、サブに久美子の姉麻美子の問題が共振するような構成になっているのだが、アニメはそれをうまく並行させてうまく響き合わさるように構成されていた。原作をアレンジしてうまく膨らませる部分もいろいろ見られたけども、ただやっぱり時間的にそんな余裕がないので、どこかを膨らませるとどこかが削られてしまって――。前半のようにちょっと致命的なほどのカットこそなかったものの、ちょっと「惜しい!!」と思う事はいくつかありました。膨らますところも第11話のように「どうしてここをそんなに膨らませるのかな?」と思うような話もあり、ちょっとバランス悪い気もします。なによりこれでは塚本君がかわいそすぎる。出番がことごとく削られちゃって…。
 そんな中でもほんと素晴らしい回があって、第9話と第10話はほとんど文句のつけようのない素晴らしい出来でした。ストーリー的にも最重要ポイントだという事があるんでしょうが、ここでの久美子とあすかのやりとりは思惑と感情に満ちていて、スタッフもキャストもその力を総動員したことが感じられます。なんかこれを観るためにこれまでずっと観続けていたんだ、という"報われた"感がありました。

 第12回の全国大会、ここで、まぁ、関西大会とは逆に、ドラマ部分に集中するために演奏全カットという思いきった手に出る訳ですが…。それでもいささか駆け足になってしまったのは、やはりそれでも時間が足りなかったんでしょうね。もしもできることならこの回も1時間枠で観たかったなぁ。少なくとも滝先生があすかに進藤正和の言葉を伝えるシーン、ここはもっとたっぷり時間をかけてほしかった…。
 しかしそんな思いも最終回を観たらかなり吹っ飛びました。原作ではほんの数ページしかないエピローグを、よくぞここまで…。ほとんどオリジナルになってましたが、ラストの卒業式のシーンは原作をきっちりと使い切り、かつうまい具合にアレンジして膨らまして、ほんとこれ以上ないラストシーンに仕上がっていました。最終回でのコメントの繰り返しになりますが、脚本・演出・作画・音響――その他すべてのスタッフの技量の高さには感服します。もちろん各声優の方々の演技にも。この作品を作っていただいたすべての人に感謝いたします。(しかし塚本君だけは最後まで不憫だ~っ!)


 全体を総括すると、やはり最後までこのアニメ制作は「時間制約との闘い」だったのではないかと思います。もし1クールという時間に縛られずに、そう…全20回(第2巻8回+第3巻12回)ぐらいのペースで作れたら、おそらくとてつもなくすごいものになった、そう思えるだけに、ほんと惜しい出来だったと思います。全国大会での演奏は全カットされてしまったけども、音楽の方は先にその分もちゃんと録音済みだったようですね。もうすぐ出るサントラCDには、ちゃんと「関西大会」と「全国大会」2つのヴァージョンが収録されてるようですから。

 ああ、もう、なんか「響け!ユーフォニアム2 ディレクターズカット版」みたいなのないのかなぁ、なんてついつい考えちゃいますね。

佐村河内 守を擁護する気はさらさらない、だが…~吉本浩二「淋しいのはアンタだけじゃない」

マンガ レヴュー

 物心ついた時には「鉄腕アトム」があり、小学生時代に「ブラックジャック」の連載にリアルタイムで接していた世代ということもあって、手塚治虫作品は今もなお自分にとって特別な存在であり続けている。そんなだからこそ数年前に「ブラックジャック創作秘話」なる作品が連載されれば飛びつかずにはいられなかった。手塚治虫の創作現場をインタビューを元に再構成したこの作品、実際には既知の内容も多かったが、連載が続くに従ってその周辺の人たちまで題材は幅広く広がっていき、個人的には最後まで興味が尽きないものとなった。

 その作品の絵を担当したのは吉本浩二。初めて聴く名前で、他に原作者がいるとはいえこれだけいろんな人に取材してマンガに纏めていくのは大変だろうとは思いつつ、絵柄はけっこう泥臭くてちょっと時代がかっているのが気になった。今回は題材が題材だから読んだけど、なんとなく彼の他の作品を読むことはもうないんじゃなかろうか、とそんな気がしていた。

 なのに再び彼の作品を読もうという気になったのはほんの偶然。雑誌をパラ見していたらいきなりあの"佐村河内 守"が出てきて思わず目に留めたらのがきっかけだった。それが吉本氏の作品だと気づくのはもう少し後のことになる。

 「淋しいのはアンタだけじゃない」そうタイトルがつけられたこの新作は別に佐村河内を描こうというのではなく、「聴覚障害とはどういうことか」というシリアスな題材を取り上げたものだった。
 今回初めて吉本氏が他にどういう作品を今まで書いていたか知ったのだが、特に近年、取材に基づいたドキュメンタリータッチのノンフィクションに力を入れているらしく、「BJ創作秘話」もその中のひとつといってよかった。マンガ界では他にあまり描いてないジャンルであり、絵柄より内容で人を惹きつけられるものなので、このようなスタイルはなるほどと思った。

 この作品は作者と担当が二人三脚で自ら取材を重ねて作り上げたものだが、ページを繰るたびに驚きに満ちた内容が次々と出てくる。そして自分が今までいかに聴覚障害について無知であったかを思い知らされ、恥じ入りたくなるほどだ。
 普段、人がどのように周りの状況を把握しているかというのに、今までどちらかというと視覚情報が主だと思っていた。ただ、もちろん視覚情報も重要だが、他者とのコミュニケーションツールとして、リアルタイム性が重要な場合ほど聴覚からの情報がどんどん重要になっていく。なにより一番それが発揮されるのが緊急時だ。火災のような災害時、警報は主に音として発せられる。聴覚障害者には時としてこれは致命的だ。作中にも取り上げられているが、何も気づかずに部屋にいたらいきなり消防署員が踏み込んできて、何事かと外を見たらもう火がすぐ目の前まで迫ってきて…。この人は幸い九死に一生を得たようだが、その状況を想像するだけで恐ろしさに震え上がる。こんな非常時でなくても、普通に電車に乗っている際でも、運行情報は主に車内アナウンスによって行われている。聴覚障害者にとってはすべての情報を遮断されているに等しい。こんな何気ない所で日常的に強烈なプレッシャーの中で生きていく、というのを知らされると、今まで気づかなかったことに申し訳なくなってくる。
 こうした様々な事象を、吉本氏はインタビューという形で淡々と描いて行く。変に脚色するでもなく、あるがままに――。そのことが一層事の重大性を際立たせているようで、彼の作風がプラスになっていると思う。

 こうしてみると、足腰が不自由な人に対するバリアフリーとか、視覚障害者に対する点字ブロックその他といった障害者対策はいろいろあるが、聴覚障害者に対しての対策は一番遅れているのではないだろうか? なにより、作中でも触れられているが、聴覚障害者は一見障害者に見えないという状況がある。ひょっとすると彼らは障害者全般の中でも一番不便を強いられている存在なのかもしれない…。

 そしてどの障害でもそうだが、聴覚障害も障害の度合いは人によって違い、また状況も千差万別でひとくくりにできない。この作品中でも"耳鳴り"の事は大きく取り上げられている。
 僕もかなり最近まで、全聾の人というのはまったくの無音状態の"静かな"世界にいるのだと思っていた。しかしそういう人だけではなく、人によっては外からの音は聞こえないくせに自分の内側からの、"耳鳴り"という無限に続く騒音に悩まされ続けている――。その事を僕が知ったのは、白状すると佐村河内の事が大きく取り上げられてからのことだった。最初は小さな耳鳴りだった兆候が、時が経つにつれどんどんひどくなっていき終いには失聴する…。自分自身、子供の頃から軽度の耳鳴り持ちだっただけに、これを聞いた時は(自分もそのうちいきなり聴覚を失うのではないか)と怖気だったのを憶えている。
 この作中で取材を受けた障害者のひとりも「常に頭の上にジェット機が止まったままになっている」ような耳鳴りに常に苦しめられる(他にも日によっていろんな別の音が混じるという)事が語られていて、耳鳴りの状態は自分も覚えのある事なので(程度の差はあれ)その感じが想像できてしまい、より一層のリアリティがあった。
 その他にも、全聾の人がしばしば素晴らしい笑顔を見せる理由とか、"音"を感じた事がない人が日常にあふれる音を最も察することができるのがマンガで多用される擬音だったとか…単行本第1巻だけでも本当に目から鱗が何枚も落ちるような事象にあふれていた。

 しかし今、聴覚障害を取り上げるとなると、どうしても1人の男の事に触れない訳にはいかない。もちろん佐村河内 守のことだ。成人してから全聾になり、耳鳴りに苦しめながら作曲を続ける"現代のベートーヴェン"。その触れ込みで一大ブームを築いた苦難の作曲家。その姿が3年近く前に一気に瓦解したのは記憶に新しいが、この事件のポイントは次の2つにまとめられる。
 (1) 実際は彼は作曲などしていず、すべてはゴーストライターの作品だった。
 (2) 本当は全聾でもなんでもなく、耳は聞こえていた。

 このうち(1)についてはもう間違いがない。佐村河内自身も認めており、その作品のほとんどは新垣 隆氏によって書かれ、彼自身は1音符も書いてないことは明らかである。そしてこのマンガにおいても、(1)については直接関係ないのでまったく触れられてないし、それは妥当だと思う。
 問題は(2)だ。佐村河内の言葉によると「かつては全聾だったが、数年前から少し聞こえるようになってきて、改めて検査したところ"感音性難聴"と診断された」ということだが、(1)で「騙された」人たちには、もはや(2)も信じられるものではない。一緒くたに否定されてしまった。
 実際、前述のように聴覚障害は見た感じではなかなか分からないので、他の障害に比べて、特に検査機器があまり発達していなかった以前は偽装が比較的容易だった。実際、そのようにして大量の偽装者が出た、という「負の歴史」にもこの作品中できっちり触れられている。(ただその大半が貧しい人で、偽装の動機が生活苦を和らげるためだった、というのがなんともやりきれないものが残るが)
 このマンガで特に注視しているのは、一連の騒動後、佐村河内が単独で主催した記者会見のことだ。あの時彼はトレードマークの長髪を切りサングラスも外し、手話通訳者ひとりを介して大勢の記者と相対した。その際に時折記者の言葉に直接反応したように見えた時があったことで、「佐村河内と普通に会話した」という新垣氏の言葉が裏付けられと多くの人が感じていた。

 しかし――本当にそうなのだろうか、と作者は疑問を投げかける。繰り返しになるけども、ほんと我々は聴覚障害者の実態についてあまりにも知らなかった。なによりもまず知らなければならないのは「聴覚障害者=全聾」ではないことだ。他にも一言で難聴と言っても大雑把に言って伝音性と感音性があり、さらにその複合型も存在するらしい。それぞれに程度が人によって違い、dB(デシベル)で表現されるが、同じdBでも人によって、また日によって、その場の環境によって聴こえ方が千差万別だという。佐村河内が例の記者会見の時に開かした「50dBの感音性難聴」というのはかなり微妙なもので、状況によっては聞き取れることもあるが、音がゆがんで入ってくるので脳内で補完して判別できる時もあるがそうでない事も多い。殊に人が大勢いてがやがやしている所では「ほとんど聞き取れない」のが実情らしい。佐村河内と同じ「50dBの感音性難聴」の人にもインタビューしていくが、その状態がどのようなものであるか、その状況を説明し様にも非常に伝わりにくいものではあるが、作者はマンガならではの技法を駆使して一般の人にもうまく察せられるように表現している。その結果、あの記者会見で佐村河内がいったいどのような状況にあったのか…。その姿がおぼろげながら徐々に我々にも"見えて"くる――。そういった意味でこの作品はまさしくエポックメイキングといえるものであり、ひょっとすると吉本浩二はこの作品で「ドキュメンタリーマンガ」というひとつのジャンルを確立させるのではないか、そんな期待すら抱いてくる。

 そして第1巻の後半、作者は遂に佐村河内自身とのインタビューに成功する。もちろん例の事件そのものにはほとんど触れず、彼の現在の耳の状況がどのようなものであるかを主に探っている。それ自体は非常に興味深いものではあるが、ただやはり彼と深く接することに対しては一抹の不安感はぬぐえない。
 それは作者に非がある訳ではない。佐村河内は間違いなく稀代の詐欺師である、それは疑いようがない。今もなお、一応は謝罪するような事を言っていながら、一貫して自分を正当化することに汲々とし、少しでも自分を非難しようとする言動は一切認めようとしない。この期に及んでその鋼のような精神力は驚くべきものだ。佐村河内へのインタビューはその後も回を重ねているようだが、あまり彼に近づきすぎると、いつしか彼に取り込まれて、いつしか作品が彼の都合のいいように捻じ曲げられていくのではないか、佐村河内のプロバガンダに利用されていくのではないか――。
 この作品には大いに期待しているし、「聴覚障害者の事をひとりでも多くの人に知ってもらいたい」という作者の意気込みにも強く賛同しているので、もしそうなってしまっては聴覚障害者全般にとっても不幸な結果になってしまうかもしれない、という危惧がどうしてもぬぐいきれないのだ。
 
 佐村河内とは、それだけ危険な男だと思っている。